魚釣島の灯台国家財産へ
魚釣島に政治団体が作っていた灯台が国家財産になった。
おそらくは、次の民法の規定によったのであろう。
第二百三十九条 無主ノ動産ハ所有ノ意思ヲ以テ之ヲ占有スルニ因リテ其所有権ヲ取得ス
○2 無主ノ不動産ハ国庫ノ所有ニ属ス
この2の方だ。つまり、政治団体が所有権を放棄した時点で、これといった手続きも必要なく、国家財産となりえる。なかなか名案だ。
さて、尖閣諸島の今までの経緯についておさらいしておこう。
尖閣諸島は、西南諸島西端に位置する魚釣島などからなる(少し離れた大正島も含む)島々の総称で、総面積は6.3km2。
日本政府は明治24年1月24日、日本領編入を閣議決定したが、当時は特に領有権論争はおこらなかった。ところが、1968年に日本、台湾、韓国の専門家が、エカフェ(国連アジア極東経済委員会)の協力で、東シナ海一帯の海底学術調査を行い、大陸棚に広大な油田があるとされ、国際的に注目されるようになった。
その後、台湾、中国が相次いで領有権を主張しだし、日本との間で領有権論争に発展。1978年には中国漁船100隻あまりが大挙して尖閣諸島の領海内に入り、日中関係が緊張した。しかし、このときは、日本の退去要求を受けて中国側が漁船を引き上げたことで収まった。
1978年10月に来日した鄧小平副総理は、記者会見で「この問題は10年でも棚上げして構わない。次の世代にみんなが受け入れられるいい方法を考えるだろう」と述べている。しかし、これにより中国が領有権を放棄したわけでもない。
尖閣諸島の実効支配(目に見える形の支配)については、昭和45年(1970年)、琉球政府が魚釣島に2箇所、北小島2箇所、南小島、久場島、大正島に1箇所ずつ領域表示板を設置。地籍表示の標柱も、この5島に石垣市が設置している。
昭和53年(1978年)4月28日には、園田外相が「尖閣諸島に漁港をつくるなど火ダネになるようなことをするのは得策ではない。わが国の実効的支配はいままでの状態で十分と思う。(衆議院外務委員会)」と述べたが、同年8月には、沖縄開発庁が「尖閣諸島利用調査」を行うことを決定した。
その後、昭和54年(1979年)3月には、尖閣諸島へのヘリポート建設予算が認められ、同年5月下旬、海上保安庁が、仮設へリポートを建設した。
さて、今回の政治団体の設置した灯台であるが、これは平成8年(1996年)ごろに設置されたもので、当時の梶山清六官房長官は、同年9月13日記者会見で、「政府は民間人が自分の所有している場所でしかるべく行動していることを阻止すべき権限を持っていない。灯台建設の賛否については言う立場にない」として黙認している。
これが多分、件の灯台の写真(「日本海域と領土」より)。
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