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2006/11/22

レンガ小屋

20061121

O氏の案内で見せてもらったレンガ小屋。なんか、いままで紹介されていなかったような気もするので、あえて掲載。ここは、M氏のとなりにあたるところなので、M氏の意見も聞きたいところ。昔、家具工場だったところのような気もする(一度、薪の材料を取らせてもらったことがある)。最初の写真は、北東からの写真。

20061121b

南面は、なんとなく雑な感じ。

20061121c

雑な南面のつみ方。つみ方そのものはどの面も同じ。

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近代化遺産」カテゴリの記事

コメント

ご無沙汰しています。

おっしゃるとおり家具工場の一部でした。ほとんどが土壁の建物の中で、ここと、もう一カ所煉瓦の部分がありました。車が写っているところが駐車場で、ドアの前に車の入れる屋根付きの通路でした。ただ、建物の中は覗いたことがないので、何に使われていたのかわかりません。
ただ、ここは元々が家具工場ではなく、別の工場があったそうです。地主の日下部氏に聞けばわかると思います。また、なぜこの建物だけを残したのかもわかるでしょう。
手を入れて、ジャズ喫茶にすると、雰囲気があると思いながら眺めています。

正右衛門

書き忘れてましたが、この物件は豊岡市立図書館の近くです。

正右衛門さん(M氏)登場。もともと家具工場じゃなかったのですか。そういや、醸造系とか言ってませんでしたっけ。醤油とか。

それにしても、南面だけ極端に雑なのがなぞですね。レンガがきれい過ぎる気もする。下のほうに、焼結レンガを使っているのが、豊小の体育館の近くのレンガ塀と同じです。同じ職人の作かも。明治?

醤油屋さんと聞いたことがありました。で、油倉庫と思っていましたが実際はしりません。雑なつみ方は一面だけなので建物の間仕切りだと思っています。建物を半分にちょん切った形ですね。煉瓦ノ刻印を調べようと破片を探ったのですがわかりませんでした。

醤油か陶器の工場か倉庫のように聞いた記憶があります。国体に出場した西岡姉妹の曾お爺さんが始めたもので、我が家が越してきて時には既に家具工場でした。南側は、土壁の建物が続いていたので、その仕切り部分だと思います。ただ、そこだけ煉瓦なのかはわかりません。

どこだらぁ?煉瓦積みって珍しいですね。
そういえば、豊小にも煉瓦の塀があったような。

べねさんも、チェック済みのようですね。さすが。やっぱ、醤油工場だったんかな。

豊小周辺の近代化遺産マップ作っときました。

豊岡市街地レンガ系近代化遺産マップ

さすがレンガマップ パチパチパチ。
明後日にサンケイ新聞に載せる原稿を書いていました。今回は豊岡カトリック教会ですが大正10年に着工しています。持ち主は中江種造氏ですが中江氏はレンガ工場ももっていた。しかし自らの別荘(カトリック教会)にはレンガは使っていない。なぜなのだろう?当時レンガは安いものだったのかもしれない。粗悪なレンガ・・まさに手作業で造ったとおもえますね。

あ・・粗悪ではなかったのか。きれいなレンガなのですね。

大正10年着工なら、そのころはもうレンガは時代遅れだったのかも。レンガ工場ももうやっていなかったのかもしれませんね。

明治=レンガ 昭和=コンクリートというのが時代のトレンドだったような気がします(大正は過渡期か)。たとえば、但馬では、山陰線=レンガ鉄道、出石鉄道=コンクリート鉄道という感じですね。

レンガマップには神武山配水場を入れてなかったのであとでいれときます。豊岡のレンガってこのあたりに思いっきり集中してますね。

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