大学助教って平安時代の言い方か
大学の先生の肩書きって、知らないうちに、教授・助教授・助手という言い方から、教授・准教授・助教という言い方にかわってるみたいだが、日本後紀(森田悌訳 講談社学術文庫版)巻第11延暦22年4月23日(803/5/17)の条、遣唐使船が難破し豊村家長という人が行方不明となるのだが(行方不明となるのは4月16日(5/10))、彼の肩書きはなんと大学助教である。
いままで、「助教」という言葉って変な言葉だと思っていたのだが、これを見つけてちょっと親しめる言葉になったかも。
<3月13日追記>
日本後紀 大同元年2月16日の条には、「従5位下紀朝臣良門を大学助に任じ」とあり、また、WEB版六国史では、豊村家長も「大学助」となっており、実際の役職は大学助なのかも知れない。しかし、佐伯有清「最後の遣唐使」では、豊村家長は「大学助教」となっており、豊村家長の肩書きは若干混乱している。
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