「鹿男あをによし」最終回を見た
やっぱり、新品の銅鏡にちょっと感激した。銅鏡は青銅製だけれど、なんとなく「青銅」の「青」という字にだまされて、あの緑青(ろくしょう)の色が青銅の色だと思いがちだけれど、青銅って、10円玉とほぼ同じなのだから、新品の銅鏡は、新品の10円玉のような色と光沢だったにちがいない。けれど、いまだにそういう銅鏡を示されたことは1度も無かった。しかし、「鹿男」の最終回では、卑弥呼が鹿たちに銅鏡を授けるシーンで、新品の銅鏡が写ったのである。そうそう、新品の銅鏡って、こういう色でこういう光沢だったんだよねと、かなり感動した。
で、期待の学年主任はほとんど映ることもなく、原作どおりの教頭へのきめ台詞のみだったんだけれど、原作よりもドラマの方が、すかっとした感じが強かった。一度職員室へ行ってから教頭室へもどるという演出がよかったのだろう。
カメラワークもかなりこったものになり、クレーンが多用されていたのではないか。特に若草山のシーンでのクレーンは、どうやってクレーンをあそこまで上げたんだというところに頭が行って、私としてはキスがどうのこうのどころではなかったのが本音である。直後の下宿のシーンもクレーンが使われていた。ダイナミック感あふれるカメラワークが最終回の気分を盛り上げてくれた。
結局、女性化した藤原君は、女性化された期待通りの結末を迎えたが、堀田のキスが省略されなかったのも、藤原が堀田に印の消し方を教えるというギミックで不自然さを消すのに成功している。なるほどなぁ、この手があったのか。
反面、最後の東京でのデートのシーンは蛇足。「となり町戦争」(小説)を髣髴とさせる切れの悪さだ。「鹿男」の面白さは、「坊ちゃん」のトレースにもある。これの極めつけが終わり方の潔さなんだけれど、ドラマではそのよさがなかった。堀田からの手紙を読んで終わればよかった。小川が教師になったことを明らかにするなどもってのほか。最後の小治田の鹿せんべいシーンも不要。
ということで、ドラマを見て、改めて、原作の完成度の高さを再認識できた。学校を去るときの爽快感に期待していたのだけれど、ここは原作どおりで十分だったよなと納得したのである。
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