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2008年12月

2008/12/31

大阪中之島公園周辺の近代化遺産

大阪市中央公会堂

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大阪市中央公会堂
所在地: 大阪市北区中之島一丁目1番27号
設計: 岡田信一郎の設計案をもとに,辰野金吾,片岡安が実施設計
竣工: 大正7年10月
構造形式: 鉄骨煉瓦造、建築面積2,164.17m2、三階建、地下一階、銅板葺、一部スレート葺
所有者: 大阪市
文化財指定: 重要文化財(2002.12.16)
鉄骨煉瓦造とのことだが、煉瓦のみを見れば小口積み。これは、小口積みと見るよりは東京駅のように煉瓦タイルと見たほうがいいように思うのだけれど実際はどうなのだろうか。目いっぱいの建築だ。豪華、重厚。たいへんな目の保養である。

大阪府立図書館

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大阪府立図書館
所在地: 大阪市北区中之島一丁目27番地
  • 本館
    設計:野口孫市
    竣工: 1904(明治37)年
    構造形式: 煉瓦及び石造、建築面積655.1m2、三階建、中央円屋根付、銅板葺 (事務室及び閲覧室部分の内装を除く)
  • 左翼
    設計:日高胖
    竣工: 1922(大正11)年
    構造形式: 煉瓦及び石造、建築面積310.5m2、三階建、銅板葺(内装を除く)
  • 右翼
    設計:日高胖
    竣工: 1922(大正11)年
    構造形式: 煉瓦及び石造、建築面積310.5m2、三階建、銅板葺(内装を除く)
所有者: 大阪府 文化財指定: 重要文化財(1974.05.21)
こちらも、めいっぱいの建築だ。ここまで豪華にするのはどういうパワーなのだろうか、そのあたりが、根が貧乏人には理解できない。そういうところが、近代化遺産のひとつの醍醐味だとは思う。かなり早い時点で重文指定。

水晶橋(旧堂島川可動堰)

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水晶橋(旧堂島川可動堰)
所在地: 大阪市西天満-中之島、堂島川(旧淀川)
竣工: 1929年(昭和4年)3月。 1982年(昭和57年)10月に橋面を改装
構造: 鉄筋コンクリート・アーチ橋
橋長: 66.57m
幅員 - 9.09m
もと可動堰として作られたもの。

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で、このアプローチだ。うううううむ。もう、感覚が麻痺して、これくらいでは動じない。

難波橋

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難波橋
所在地: 大阪市北区西天満-中央区北浜間
意匠: 宗兵蔵
彫刻 :天岡均一
竣工: 1915年
形式: 2ヒンジアーチおよび合成桁RCアーチほか
長さ: 189.65m
幅: 21.8m
文化財指定: 浪速の名橋50選
で、難波橋。ライオンだ。この橋も、目いっぱい。このあたりは、実に豪華な空間である。京阪なにわ橋駅が気合を入れたというのもわかる。

大阪証券取引所

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大阪証券取引所
所在地: 大阪府大阪市中央区北浜1-8-16
設計: 長谷部竹腰建築事務所
竣工: 1935年。2005年新ビルとなるがエントランス周りは保存された。
こういう施設になると、さすがに飾りつけはぐんと減るけれど、その分重厚さが増しているような気も。こういうものをきっちりと残すというのがこれからの改築の基本となればというお手本だろう。

ということで、ここから地下鉄に乗り、息子と日本橋に行ったという大晦日であった。

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図書館両翼があるので大正11年以降の写真。


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A: 大阪市中央公会堂
B: 大阪府立図書館
C: 水晶橋
D: 難波橋
E: 大阪証券取引所

京阪中之島線に乗る

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今年10月19日に新線開業したばかりの京阪中之島線に乗ってきた。とはいうものの、地下線なので車窓がどうということもないのだけれど、まずは、中之島線向けに作られた新型車両。色も新色。大変に渋い色で、とくに前面の黒がかっこいい。中之島線には急勾配があるらしく、そのために新型車両のみしか入れないらしい。

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で、なにわ橋駅で降りた。

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なにわ橋駅の改札とかがあるホール。設計は安藤忠雄。天井が高く、そして全面木。不燃木材らしい。中之島公園の中心部の駅ということで、特に気合の入った駅らしい。駅を出るといきなり公会堂だ。というわけで、このあとは中之島公園の近代化遺産の見物へ。

2008/12/29

もやしもん7巻 やっぱ近代化遺産萌え?

「もやしもん」って農大内にある石造アーチ橋など、近代化遺産ちっくな建造物が続出だ。また、作者は、必要以上に緻密にこれらを描いている。で、7巻は・・・。

このコミック、ページ数が振られていないが、82話の最初のページがすごい。これって、神戸で見た明治の下水渠そのまんまだ。写真再掲。
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ところが、85話の最後から5ページ目では、スプリングラインから下がコンクリート(あるいはモルタル塗り)になってかなりグレードアップ?

いやあ、いろいろと楽しませてくれる。


2008/12/28

舞鶴 第三火薬廠 検査場(鋳造成形工場)

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つづいて、高専の北東側の検査場の谷に入った。高専のテニスコートのところから東進すると、道が2つに別れるが、左側の道の谷だ。右側は乾燥谷・25工場となる。

最初に、このいかにも古そうな橋。欄干の簡素さが工廠らしい感じ。

そして、この橋の近くに煉瓦構造物。

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たいへん小さな建物であるが、壁が三方にしかない。よって、もっと大きな構造物の一部と見るべきだろう。位置的には、検査場か炸薬庫になるが、判然としない。

煉瓦の積み方は長手積み。簡単な感じ。内側はモルタルで塗られている。

煉瓦のサイズは、208.5mm×98.6mm×59.3mm。あれ、JISじゃん。ま、1925年に日本標準規格としてこのサイズは定められているので、国の施設ならそういうサイズなのだろう。ただ、もっと新しいもの、つまり戦後の建物の可能性もある。煉瓦の寸法を実測した感触としては、ばらつきがたいへん大きい。最大値最小値で見ると、L=190~217mm W=96~103mm H=53~67mm。長さが190mmって2センチも寸足らずである。たいへん劣悪な煉瓦という感じがした。

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そして、道沿いにあるプール。これは、「住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠」の地図にも記述がない。なにかの付帯施設ということなのだろう。

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「住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠」の地図で、溶酸破砕場と示されているあたりにあった構造物。この2つは形はよく似ているが、構造はまったく違う。上の写真のものは、中が空洞で、上に四角い穴があり、最下部にはスリットがある。下の写真のものは、見たとおり切り欠きがある。しかし、形、大きさはたいへんよく似ている。

ということで、ここで、時間切れ。奥に爆薬庫あるようだが、次回におあずけ。


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A: 橋
B: 煉瓦小屋
C: プール
D: 溶酸破砕場?

2008/12/27

舞鶴第三火薬廠 隧道式地下火薬庫

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息子の年末回収を兼ねて、第三火薬廠を見てきた。まずは、隧道式地下火薬庫の高専側入口。高専の南側駐車場の奥にある。駐車場が嵩上げしているせいか、段差がついているが、埋められたわけではなく、ちゃんと入口にはアクセスできるようになっている。

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この地下火薬庫はまっすぐなトンネルで、山の反対側にもう一つの入口がある。ライスセンターの裏側だ。こち側は、五角形の縁取りがあるが、屋根がついていたのか。こちらは鉄道横付けだったようだ。入口前に長方形のステージがあるが、ホーム跡かもしれない。


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A: 高専側入口
B: ライスセンター側入口
このあたりのみ詳細な写真がない。

2008/12/24

住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠

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今度の土曜日は息子と2回目の第三火薬廠探検を予定しているが、たまたま、ヤフオクにこの本が出ていて、無事落札。出品者に無理をいって、本日入手できた。ありがとうございます。

この本には、巻末に、第三火薬廠の施設配置図が掲載されており、現地調査の大きな参考となる。こういう本を出版された努力にも感謝。

本書は、著者の関本さんが再版されており在庫あるようです。ご希望の方は、メール等で私までお知らせください。メール->egf@nifty.com

2008/12/23

龍野の近代化遺産

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旧菊一醤油本社事務所
所在地=兵庫県たつの市龍野町大手54-2他
構造=木造2階建、瓦葺、建築面積687m2
年代=昭和7年/昭和54年改修
文化財指定=国登録有形文化財
きょうは、龍野にいたので、龍野の近代建築を見てきた。いまさらという感じでもあるけれど。で、まずは、うすくち醤油資料館。竣工は昭和7年で、設計は未詳。色の薄い部分はスクラッチタイル。地方都市としては実に重厚な建物である。

この建物は菊一醤油造合資会社の本社として建てられ、浅井醤油合名会社との合併後の龍野醤油(株)-ヒガシマル醤油(株)の本社として使われたものである。

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これは資料館の向かいの建物。おそらくはヒガシマル関連の建物なんだろうけれど、チラシやパンフレットに記述はない。窓が上下に動くタイプなので資料館と同じころの建築なのだろう。

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こちらはうすくち醤油記念館別館。これも一部にスクラッチタイルが使われている。こちらは大正13年竣工とのこと。別館と本館は同じ設計者とのことだけれど、誰だかは不明。

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これは別館近くにある煉瓦の煙突。煉瓦の寸法は224.4mm×106.2mm×56.1mmで、龍野では標準的な寸法。

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これは、街中の煉瓦の蔵。これの煉瓦の寸法は224.8mm×104.8mm×54.5mm。ほかの物件で、223.6mm×104.6mm×57.8mmというのもあって、龍野の煉瓦はこのあたりが標準的な寸法のようだ。

参考文献

  • ヒガシマル醤油株式会社. うすくち龍野醤油資料館パンフレット. ヒガシマル醤油株式会社.

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A:うすくち龍野醤油資料館
B:醤油資料館向かいの建物
C:うすくち龍野醤油資料館別館
D:龍野の煉瓦壁の蔵

チョウゲンボウ?

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たつの市の龍野歴史文化資料館でみかけたチョウゲンボウらしき猛禽。ま、G9ではこんなところか。

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建築MAP大阪/神戸

神戸の近代化遺産についてのまとまった書籍ってないなぁといろいろと探していると、こういう本に出会い、かなり妥協しながらではあるが購入した。

妥協した点とは、

  • 近代化遺産だけでなく、現代建築も扱っている。というか、おもしろい建築を列挙した本。
  • 持ってうろうろするにはかなり大きくて厚い本。
  • 件数がそう多くなく、近代化遺産的ではなく建築的視点からの取捨選択がなされているようだ。

ま、最初の点については、好ましいことかな。2番目の点については、コピーで凌ぐべきだろう。

というわけで、とりあえずは満足しているほうかな。ほかの地域のも買おうかなと思っているところ。

2008/12/17

神戸の近代化遺産

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また、神戸。まずは、神戸税関旧庁舎。もともとは、大蔵省営繕課設計の1927年3月竣工の2代目庁舎だが、震災で半壊。1998年、2代目庁舎の外観とホール等を保存・継承するかたちで再建された厳密には3代目という微妙な建物。大変に重厚な建物である。中庭も必見。

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神戸農林水産消費技術センター(旧神戸市立生糸検査所)。神戸市営繕課。1927年竣工。神戸税関の向かいにある。方立てが上向にとんがった感じ。玄関の上の飾りが凝ったものである。

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神戸韓国領事館(旧兵庫県信用組合連合会事務所)。置塩章(置塩建築事務所)。竣工1929年。つい、「韓国領事館」に印象が引っ張られるけれど、竣工時は信用組合連合会事務所で、ま、別に普通の建物だったわけだ。方立ては天然石。

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東遊園地事務所。これは過去に東遊園地付近にあった神戸クラブの建物を模して建てられたもの。したがって、厳密には近代化遺産ではない。

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こちらも同じく、レストランであるが神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブの建物を模して建てられたものである。

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こちらは、本当の番外編。貿易センタービル前のモニュメントなんだけれど、ツタからまりまくりで、神戸で突然、第三火薬廠に出会ったような感じ。葉っぱがあるときはそれなりにきれいなんだろうけれど。


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A:神戸税関旧庁舎
B:神戸農林水産消費技術センター
C:神戸韓国領事館
D:東遊園地管理事務所
E:レストラン
F:貿易センタービルモニュメント

インテリジェント基準点

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神戸で見つけた「インテリジェント基準点」。ちょっと前(1~2年前)に神戸で自律移動支援プロジェクト神戸実証実験が実施されて、そのときに設置されたもの。ICチップが埋め込まれていて、専用端末で基準点情報を入手できる。情報を入手した後は、移動支援やら観光案内やらに基準点情報を活用すればというような感じだったと思う。

WRCから日本車が消える

スバル、スズキがWRCのワークス撤退を発表した。これで、WRCから日本車が消える。

日本ばかりが撤退ということで、急速に進んだ円高環境が経営に響いてきているのだろう。しかし、スバルはブランドイメージがWRCに出てなんぼというところまで来ている感じなので、WRC撤退でますます経営不振になるのではと心配してしまう。少なくとも、これで、日本でのWRCの温度は極端に低下することは間違いない。去年のいまごろはスズキのテスト参戦もあったりしてたいへんに盛り上がり感があったのに。

いや、もうすでにWRCの温度はかなり低下していたかも。WRCでのスバルの不振で、我が家では(といっても私と息子だけれど)数年前に比べてWRCへの興味はかなり低下している。CSの90分番組は長らく見ていないし。

ソルベルグとアトキンソンはどうするのだろう。運転席が4つも減るようじゃ、ソルベルグは失業かな。

2008/12/16

NPO 駅舎と共にいつまでも

舞鶴高専のサイトによると松尾寺駅の改修後の利用をにらんだNPO法人「駅舎と共にいつまでも」が立ち上がり、その理事には、高専の教師陣も入ったようだ。

単一の近代化遺産を守るという、しかも特になんの指定も受けていない建造物の、それも利用に関するNPO法人ってかなり珍しいのではないだろうか。さらに、この理事に高専の教師陣から2人入ったというのはことの展開としては大変に面白いことになってきたような気がする。

舞鶴市の強力な後押しがあったのかもしれないけれど、かなりの異色のNPOなのではないだろうか。

2008/12/15

日本板硝子専用線

松尾寺駅について調べているうちに、松尾寺駅から日本板硝子に専用線(地図上の薄い白線)があることを知り、きのう(2008.12.14)、舞鶴に行ったついでに見てきた。

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まずは、松尾寺駅(地図A)。写真は旧JR松尾寺駅本屋。「旧」とつけるのは、ことし3月、JRから舞鶴市に無償譲渡されたからである。で、現在、改修工事が発注され、着工準備中といったところか。本屋は大正11年の建設で、木造平屋建。改修工事で、観光案内施設や地域の交流施設として活用できるようになる。

鉄道は、もともと第三海軍火薬廠鉄道側線として存在していたが、終戦時にいったん廃止。その後、火薬廠跡地に工場を誘致するために、舞鶴市が専用線として整備したものである。最終的な廃止年はよくわからないが、平成になっても走っていたらしい。松尾寺駅の貨物扱い取りやめが平成11年なので、ひょっとするとそのころまでは生きていたのかもしれない。

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廃線跡は全線自転車道として整備されている。最初の構造物は、この吉野トンネル(地図B)。鉄道のころは煉瓦のトンネルだったようだが廃線後、このように整備された。

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知らないと大変に不自然なトンネルである。トンネルの半分を歩道(写真右側)が占領している。これは、鉄道当時からめずらしい道路鉄道併用トンネルであった名残である。

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当時第三火薬廠だった現舞鶴高専前(地図C)。いかにも鉄道らしいカーブで進む。

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最初の橋、こりん橋(地図D)。自転車道ようにかけられたもののようだ。橋台は鉄道当時のもののようにも見えるし、新設のようにも見える。

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2番目の橋。おっとガーター橋(地図E)。このガーターは鉄道のものか。

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橋台、ガーターとも1980年製。びみょうな年代だ。日本板硝子は遅くとも昭和27年(1952年)に稼動しており、このころまでに舞鶴市が専用線を整備しているのだから、この橋は架け替えられたと見るべきか。いずれにせよ、この年代プレートはどうみても鉄道のものだろう。

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これが最後の橋(地図F)。写真は、終点側から撮影。この橋をわたると日本板硝子の工場の壁にあたって鉄道跡は終わり。この橋、妙に左に振れている。

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板硝子工場側の橋台。鉄道時代の橋はまっすぐ架かっていたことがわかるとともに、この橋台は鉄道時代のものなのだろう。

というわけで、路盤敷は、自転車道となって完全に保存されている。自転車系の意匠はいろいろとあったが、もと鉄道のあとだという表示もなにかほしいところである。

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舞鶴第三火薬廠

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一般にはなぜか「ロシア病院」と呼ばれることが多い舞鶴の第三火薬廠の一部。廃墟である。なぜか書籍「舞鶴の近代化遺産」にも紹介されておらず、このことから、かえって「ロシア病院」という言葉を蔓延させているのかもしれない。

かなり広い地域に散らばって施設が点在し、なかには煉瓦の構造物もあるようだけれど、とりあえず、日暮れも近いし、車横付けできるという息子の情報をもとに、高専北側の建物群を見てきた(写真はすべてクリックすると大きくなります)。砲煩谷(ほこだに)22工場である。

第三火薬廠は弾薬の成型と保管を行っていたようであるが、この建物は砲炸薬整形工場とされる。第三火薬廠は発射薬ではなく炸薬や爆薬を専門としていた火薬廠で、この22工場では大和の砲弾も作られていたという。

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構造は基本的にRCのようだ。備品・調度類は一切ない。こういう比較的大きな部屋と、

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こういう区画された部分からなる。区画された部分は、まるで現在の堆肥化センターのような風情だが、木製の壁があったかもしれない。

というわけで、北側から数えて第1の谷の探検はこんなところ。次回は煉瓦構造物もぜひ見てみたい。


2008/12/14

福知山医師会館

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いつもマンドリンクラブの練習に行っている福知山市勤労青少年ホームのある伯耆丸とよばれる丘のふもとにある建物であるが、前々から大変に気になっていた。窓が上下に動くタイプであることから昭和初期の建物だろうと見当をつけていたのではあるが、これについてはこちらのサイトの筆者と意見が一致。

このサイトによると、付属棟のほうが古いのではということ。スルドイ。で、彼の指摘する通風孔の写真も。

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このサイトによれば、星印は旧帝国陸軍のマークで、陸軍衛戍病院の建物の一部ではとのことだ。福知山衛戍病院は現在勤労青少年ホームのある伯耆丸にあった陸軍の病院でこちらに絵葉書の写真がある。このサイトによると現在の福知山市民病院の母体とのことである。この建物が衛戍病院の一部ということになると明治31(1898)年の建築ということになる。福知山では松村邸でさえ大正5年なので、この建物はもっと注目されてよいのではないだろうか。

で、れんがだ。実測平均は222.6mm×107.3mm×55.0mm。かけ離れたものを除外した実測平均である。今回は記帳マンを息子が務めてくれたので、たいへんらくちんに測定ができた。

これは、
作業局型(1905ごろ)224.2mm×109.1mm×56.1mm
鉄道院並型(1901)224.2mm×109.1mm×57.6m
鉄道院第2種(1911)224.2mm×109.1mm×57.6mm
らが近いが若干小ぶりである。このなかでも1905年ごろの作業局型が厚みにおいて近いのでやはり明治のれんがと言えよう。

参考


未見の文献
  • 高橋忠久, 1985. 福知山衛戍病院の写真より. 会報「ふくち山」, 395.


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2008/12/13

赤穂市立民俗資料館(旧大蔵省赤穂塩務局庁舎)

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所在地:赤穂市加里屋805-2
設計:大熊喜那
竣工:1908年3月18日
構造:
旧事務所:木造瓦葺一部2階建 610.41m2
塩倉庫:木造瓦葺平屋建 297.46m2
旧文書庫:れんが造平屋建 98.51m2
文化財指定:兵庫県重要有形文化財

きょうは、赤穂に行く用事があったのでついでに、赤穂市立民俗資料館(旧大蔵省赤穂塩務局庁舎)を見てきた。この建物は、1908年3月18日竣工、1974年まで旧専売公社赤穂支局として当初の役目を果たしてきた。その後、赤穂市に譲渡され、現在は県の指定重要有形文化財に指定され、民俗資料館として活用されている。明治末期の公共建築としては一般的な雰囲気であるが、私としては、こちらの文書庫が目を引いた。

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れんがだ。れんがのサイズは実測平均で219.2mm×104.7mm×58.1mmという微妙なサイズ。219.2mm×104.7mmというところは、山陽新型と呼ばれるサイズ(218.2mm×104.5mm×51.5mm)に近いのだけれど、厚さが異なる。山陽新型と山陽型の中間型と見るか、山陽新型と鉄道局並型の中間型と見るべきというところだろう。つみ方は隅部に七五(長さが通常サイズの4分の3サイズのれんが)を使っているのでオランダ積み(ま、イギリス積みの派生系)といえよう。

しかし、これって見事に蔵だよね。

参考文献

  • 赤穂市立民俗資料館. パンフレット. 赤穂市立民俗資料館.

2008/12/12

明治のラガー

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もともとキリン派なのではあるが、この「明治のラガー」というのは、自分の近代化遺産路線とあいまって、前を通り過ぎるわけにはいかない何かがあったのである。で、飲んでみると実に濃厚なビールである。

とろみを持った苦味という感じの濃厚さだ。なにを持って「明治のビール」なのかよくわからんが、明治の人がいつもこのビールを飲めていたのなら実にうらやましい限りである。ま、ビールの値段も高かったのだろうけれど。

マークのキリンが実に貧弱な鹿に見えるのがご愛嬌。あわせて「大正のラガー」というのも発売されているが、濃厚さにおいては「明治のラガー」の比ではない。


旧松尾寺駅舎改修

息子が拾ってきたネタだ。

舞鶴の松尾寺駅舎が改修されるという話。松尾寺駅はJR小浜線の駅で、小浜線開通の大正11年に建った駅舎で、いわゆる近代化遺産である(こちら)。で、これは、建て直しか近代化遺産として手直しされるのかがよくわからんかった。で、いろいろと調べてみると、

松尾寺駅舎はことしの3月31日、JRから舞鶴市に無償譲渡されている。ま、この時点で駅舎ではなくなって「旧」駅舎ということになった。これは、取り壊したいJRと残したい舞鶴市の間で、JRが大変に粋な判断をしたのだろう。このあたりは、こちらに記述がある。

工事は、舞鶴市は1千4百万の予算で、今年度中に行い、観光案内所や地域の交流施設として使用できるようなものにするようだ。で、あくまで近代化遺産を残すという方向性の工事なんだろう。ちょっと安すぎるような気もしないでもないが。

で、話はここで終わらない。この舞鶴高専学生会のHPだ。改修後の旧松尾寺駅舎の活用について地元の団体と舞鶴高専学生会が協議をしたということだ。駅舎の活用について舞鶴高専の学生も協力して行くということで、これは、丹後の上世屋で笹葺屋根の家の活用に立命館大学の学生が入ってきているのを思い出させる。ま、高専の場合は目と鼻の先でいってしまえば地元のひとつなんだけれど。

近代化遺産の活用に若い人を巻き込むという方向性は、自然でかつ正しいのだろう。

さて、今回、いろいろと調べていて、松尾寺駅から高専の前をとおって日本板硝子の工場まで専用の6kmにおよぶ引込み線があったことを知った。廃線跡だ。今度の日曜、高専に行くので現地調査だ。例の殺人事件現場の近くも通っているのでちょっとうろつきにくい部分もあるけれど。


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2008/12/02

神戸旧外国人居留地付近の近代化遺産

本日は神戸出張。昼休みに該当する時間に旧外国人居留地界隈を散策してきた。

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まずは、旧居留地38番館。これは、旧ナショナルシティバンクオブニューヨーク神戸支店(のち大丸南1号館)。竣工1929年、改修1988年。設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ/ヴォーリズ建築事務所。鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階。外国人の設計だけあって、本格的に洋風だ。クロネコのトラックが写っていなければ、日本とは思えないカットだ。

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38番館に隣接する旧大丸2号館(写真上)と3号館(写真下)。大正時代の建築で外装のみ当時のもの。

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旧居留地15番館の近くに「展示」されている旧神戸外国人居留地下水渠(1872年ごろ)。れんがだ。使用されているれんがは断面が台形で、管の内側が薄く管の外側が厚いスペシャルなれんが。れんがの寸法は223.6mm×111.0mm×34.3~53.6mm(実測値。いくつか測定した平均)。1901年の鉄道の仕様書の寸法224.2mm×109.1mm×57.6mmに近い。当時のれんがの標準的寸法から派生したものだろう。

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旧神戸居留地15番館。明治13年築のこの建物は居留地の唯一の遺構として重要文化財に指定されているが、震災で倒壊。平成10年に復原された。復原にあたっては免振構造が採用されたが、文化財としては初の採用とされる。

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神港ビル。昭和14年竣工。設計:木下建築事務所。鉄骨鉄筋コンクリート造8階建。昭和14年ともなると、あまりうなれないというか、わりと普通の建物に見える。

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神戸市立博物館(旧横浜正金銀行神戸支店)。1935年竣工。設計:桜井小太郎。とりあえず壮大、豪華。やはり、このころの上向きの国力か。

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神戸朝日ビル。昭和9年。渡辺節建築事務所。おっと現豊岡市役所南庁舎別館の渡辺節。豪華。迫力。古さがない。っていうか、いま、こういう方向性の建築って無理じゃあと言う感じ。
四角い部分の角の処理は、豊岡市役所南庁舎別館と同じ感じ。って、誰か言ってたなぁ。神戸中尾さんか、但馬中尾さんか。

この手のガイドブックってありそうでない。大丸でもらった「神戸旧外国人居留地ご案内」(基本的にはショップ案内)というパンフレットで、とりあえず38番館と15番館の目星をつけて回った。


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A:旧居留地38番館
B:旧大丸2号館
C:旧大丸3号館
D:旧神戸外国人居留地下水渠
E:旧神戸居留地15番館
F:神港ビル
G:神戸市立博物館
H:神戸朝日ビル


神戸駅のネズミ

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神戸駅の線路上にネズミがいたのでとりあえず写真に撮った。砕石の上に立って、PC枕木に手をかけているところ。ホームから撮影。クマネズミかな。人なれしているもようで、まったく人などお構いなしにうろついていた。

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