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2008/12/15

日本板硝子専用線

松尾寺駅について調べているうちに、松尾寺駅から日本板硝子に専用線(地図上の薄い白線)があることを知り、きのう(2008.12.14)、舞鶴に行ったついでに見てきた。

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まずは、松尾寺駅(地図A)。写真は旧JR松尾寺駅本屋。「旧」とつけるのは、ことし3月、JRから舞鶴市に無償譲渡されたからである。で、現在、改修工事が発注され、着工準備中といったところか。本屋は大正11年の建設で、木造平屋建。改修工事で、観光案内施設や地域の交流施設として活用できるようになる。

鉄道は、もともと第三海軍火薬廠鉄道側線として存在していたが、終戦時にいったん廃止。その後、火薬廠跡地に工場を誘致するために、舞鶴市が専用線として整備したものである。最終的な廃止年はよくわからないが、平成になっても走っていたらしい。松尾寺駅の貨物扱い取りやめが平成11年なので、ひょっとするとそのころまでは生きていたのかもしれない。

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廃線跡は全線自転車道として整備されている。最初の構造物は、この吉野トンネル(地図B)。鉄道のころは煉瓦のトンネルだったようだが廃線後、このように整備された。

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知らないと大変に不自然なトンネルである。トンネルの半分を歩道(写真右側)が占領している。これは、鉄道当時からめずらしい道路鉄道併用トンネルであった名残である。

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当時第三火薬廠だった現舞鶴高専前(地図C)。いかにも鉄道らしいカーブで進む。

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最初の橋、こりん橋(地図D)。自転車道ようにかけられたもののようだ。橋台は鉄道当時のもののようにも見えるし、新設のようにも見える。

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2番目の橋。おっとガーター橋(地図E)。このガーターは鉄道のものか。

20081214m

橋台、ガーターとも1980年製。びみょうな年代だ。日本板硝子は遅くとも昭和27年(1952年)に稼動しており、このころまでに舞鶴市が専用線を整備しているのだから、この橋は架け替えられたと見るべきか。いずれにせよ、この年代プレートはどうみても鉄道のものだろう。

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これが最後の橋(地図F)。写真は、終点側から撮影。この橋をわたると日本板硝子の工場の壁にあたって鉄道跡は終わり。この橋、妙に左に振れている。

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板硝子工場側の橋台。鉄道時代の橋はまっすぐ架かっていたことがわかるとともに、この橋台は鉄道時代のものなのだろう。

というわけで、路盤敷は、自転車道となって完全に保存されている。自転車系の意匠はいろいろとあったが、もと鉄道のあとだという表示もなにかほしいところである。

舞鶴市史編纂委員会編, 1975. 舞鶴市史 各説編: p207. 舞鶴市役所.

松尾寺駅は、小浜線開通とともに設置され、第二次世界大戦中に第三海軍火薬廠鉄道側線(6.8km)が同廠と松尾寺駅との間に設置された。この側線は戦後連合軍に接収され、接収解除後は舞鶴市に譲渡された。昭和34年4月以降は火薬廠跡の臨海部に誘致された日本板硝子(株)舞鶴工場の専用線となり、同工場の製品はこの側線を利用して松尾寺駅から送り出されている。それ以来、同駅の貨物収入は福知山鉄道管理局内で上位を占めている。
この、「昭和34年4月以降」というのがよくわからない。舞鶴市から日本板硝子に譲渡されたときのことか?

福知山鉄道管理局, 1973. 福知山鉄道管理局史: p530. 福知山鉄道管理局.

専用線一覧表(昭和46年度末現在)
所属駅専用線名敷設年月日延長
松尾寺駅舞鶴市S18.126.8km
松尾寺駅日本板硝子KKS26.123.2km

これによると、一般に言われている6.8km以外に、日本板硝子が独自に設けた路線もあったようだ。

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コメント

古い記事に失礼します。
昨日、迎えの前に駅まで行って線路の南側を通ってきました。
だから、このトンネルは通りませんでした。
「先輩の数珠(?)が何もせんのに突然切れたし、なんかいる」とか聞いてたので。
そのためもあって、汽車での帰省は嫌みたいです。(とほほ)
汽車賃よりガソリン代の方が安いんですけどね~
予習できてよかったです。ありがとうございました。

書き込み有難うございます。

幽霊とか霊的現象とかを全く信じない私としては、そういう都市伝説的な霊的話題が広まることは、近代化遺産保存のためには歓迎です。ま、ここの場合、それと保存は関係ないですけど。

第三火薬廠の「ロシア病院」あたりも、「ロシア病院」(おそらく高専生が名付けたのでしょう)というネーミングがなければ、もっと荒れていたと推察します。

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