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2008/12/14

福知山医師会館

20081214a

いつもマンドリンクラブの練習に行っている福知山市勤労青少年ホームのある伯耆丸とよばれる丘のふもとにある建物であるが、前々から大変に気になっていた。窓が上下に動くタイプであることから昭和初期の建物だろうと見当をつけていたのではあるが、これについてはこちらのサイトの筆者と意見が一致。

このサイトによると、付属棟のほうが古いのではということ。スルドイ。で、彼の指摘する通風孔の写真も。

20081214b

20081214c

このサイトによれば、星印は旧帝国陸軍のマークで、陸軍衛戍病院の建物の一部ではとのことだ。福知山衛戍病院は現在勤労青少年ホームのある伯耆丸にあった陸軍の病院でこちらに絵葉書の写真がある。このサイトによると現在の福知山市民病院の母体とのことである。この建物が衛戍病院の一部ということになると明治31(1898)年の建築ということになる。福知山では松村邸でさえ大正5年なので、この建物はもっと注目されてよいのではないだろうか。

で、れんがだ。実測平均は222.6mm×107.3mm×55.0mm。かけ離れたものを除外した実測平均である。今回は記帳マンを息子が務めてくれたので、たいへんらくちんに測定ができた。

これは、
作業局型(1905ごろ)224.2mm×109.1mm×56.1mm
鉄道院並型(1901)224.2mm×109.1mm×57.6m
鉄道院第2種(1911)224.2mm×109.1mm×57.6mm
らが近いが若干小ぶりである。このなかでも1905年ごろの作業局型が厚みにおいて近いのでやはり明治のれんがと言えよう。

参考


未見の文献
  • 高橋忠久, 1985. 福知山衛戍病院の写真より. 会報「ふくち山」, 395.


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コメント

取りあげていただいてありがとうございます。
この通風孔は明治期の陸軍建築で見られるものですね。
現在は存在しませんが、京都成美高校にあった
旧工兵大隊の本館にも同じような通風孔がありました。
この医師会館の建物は貴重な陸軍の遺構なので
もう少し注目されてもいいかと思うのですが・・・

コメントありがとうございます。

福知山の陸軍は、舞鶴の海軍に比べると、つねに扱いが軽いような感じがしますね。戦争の遺構という大変重みのあるものだと思っています。もったいないですよね。

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