河内簡易水道施設
所在地:たつの市揖保川町金剛山
竣工:1959年3月
揖保川町の水道は基本的に相生市の水道事業から区域外給水として給水を受けていたが、南部の河内地区のみ水道がなく、この簡易水道施設が1959年3月に竣工し、4月から稼動した施設で、おそらく現役。現在は西播磨水道事業団という団体の管理となっている。戦後の話なので、厳密には近代化遺産ではない。
型枠はコンパネではない。最近、県産材利用の促進のため、こういう型枠を治山工事などで使うが、このころは、こういうのが当たり前だったのだ。コンクリートはどんなコンクリートだったのかとか、どうやって運んだのかとか、いろいろ疑問もわくが、きれいに打てているのではないだろうか。50年前の竣工である。
参考
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私が生まれた時にできたものなのですね。
同い年や。
50年半世紀なんですね。
この間、娘の受験の付き合いで、仕事を休み、暇な時間を門真の小学校時代過ごしたところを散策しました。約40年前・・・ここには川があって、河舟が浮かんでいたのに、レンコン畑もあったしなあ。と歩くところには家がいっぱい立ち並んでいました。でも、その当時同級生だった子の家らしき(表札の名前が一緒だった)があった。でも周りの雰囲気はすっかり変わっていました。
50年も経つと、すっかり様子が変わりますね。
この水道施設も出来た頃は、こんな山奥な感じではなかったのではないのかなあ。
コンクリートは、現場練でしょう。
投稿: ひろさん | 2009/01/24 20:00
コメントありがとうございます。
そうそう、われわれと同世代の構造物。おっしゃるように、おそらく当時は里山よりもっと身近な場所だったのでしょうね。
投稿: nagai | 2009/01/24 20:23