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2009年2月

2009/02/26

福知山 ポッポランド(旧三ツ丸百貨店)

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北丹鉄道の資料もあるようなので、初めてポッポランドに行ってきた。

この建物、昭和8年竣工で、三ツ丸百貨店の建物として建てられた。戦後、京都銀行の建物となるが、その後リサイクルセンターなどを経て、現在のポッポランドとなった。

昭和初年のRC建築で、今の三ツ丸ストアのイメージとは一線を画する当時としては豪華な建築であったに違いない。

で、「北丹鉄道の歴史」と北丹鉄道の切符シートを購入。

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参考

2009/02/22

福知山グンゼ

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福知山グンゼの倉庫は見といたほうがいいと、ネット上で勧められたけれど、見るべき倉庫ってこれかな。実に蔵な倉庫。波板トタンが張ってあるが、全体にれんが色に塗ってあるので、もともとはれんがかも。れんがだったらなかなかすごい建物だろう。

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トタン倉庫のすぐ近くのコンクリートの建物。かなり古そうに見える。トイレかな。

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これもグンゼの敷地内にある建物。寮か???実際のところ、この3物件の中では一番気になる建物。ちょっと学校風でもあるし。昭和10年ごろかな。


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A: 倉庫
B: トイレ?
C: 寮?

北丹鉄道 日藤トンネル

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北丹鉄道に2つあったトンネルは日藤第1トンネルと日藤第2トンネルであったが、2つとも現存する。写真は第1トンネル南側。自転車道か歩道として利用できるように手が加えられている。パラペットのある標準的な簡素なトンネルであるが、スプリングライン以下は迫石に石が使われている。

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れんがの積み方はトンネルとしては一般的な積み方。翼壁はイギリス積。れんがの実測平均のサイズは223.1mm×105.1mm×57.8mmで並型か作業局型に近い。この並型のちょっと厚いめというのは、兵庫県の播州でよく見かけるサイズでもある。


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山本武男, 2000によると、内部は素掘りであったというが、現在はコンクリートである。

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第1トンネルから第2トンネルを見る。連続したトンネルであることがよくわかる。

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第1トンネル北側。

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第2トンネル南側。第1トンネルよりほっそりしたイメージ。

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第2トンネル内の待避所(?)。改修でコンクリートで塗り固められているのに、この待避所のみ残されている。

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第2トンネル北側。

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この写真は、福知山市開発公社, 1988から引いた。断面のほっそりした感じから第2トンネルの北側口であろう。この写真を見ると、建設当時は左の方に山すそが延びていたことが分かる。おそらく国道の工事で山が削られて現状になったのだろうが、現状をみると、なんでこんなところにトンネルが必要だったん?という感じではある。

参考文献

  • 福知山市開発公社, 1988. 北丹鉄道の歴史. 福知山市開発公社.
  • 山本武男, 2000. RM RIBRARY 14, 北丹鉄道 ―河川敷に消えた小鉄道―. ネコ・パブリッシング.


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A: 第1トンネル
B: 第2トンネル


2009/02/21

北丹鉄道新旧写真

福知山西駅(地図A)


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白黒写真は

山本武男, 2000. RM LIBRARY 14, 北丹鉄道-河川敷に消えた小鉄道-. ネコ・パブリッシング.

から、カラー写真は現在(2009.2.21)の状況。白黒写真に写っている2本の木は健在だ。

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福知山西-下川(地図B)

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このあたり、背景の風景は一変したが、路盤は残っている。

河守駅(地図C)


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古いほうの写真も廃止後のものであるが、駅跡そのものはそんなに変わっていない。つぶれた本屋の南側にあたる。


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燕マッチ

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神戸日産農林工場は燕マッチを作っていたと書いたが、これがその燕マッチ。現在は兼松日産農林という社名になっている。なんと、100均ショップのダイソーで購入。

ところで、兼松日産農林の現在までの変遷についてはこちらに記述がある。これによると、姫路の煉瓦の工場の竣工年は神戸・兵庫の郷土史Web研究館によると1931年だが、1931年では大同燐寸株式会社という社名をとるのが正しそうである。

参考

2009/02/14

旧神戸日産農林工場

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竣工:1931年

日産農林の姫路工場でツバメマッチを作っていたところ。現在は、山陽色素第二工場となっている。美しいれんが造で、道に面して建っておりじっくりと見ることができる。

基本的に3つの部分からなる。

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一番北側の部分。北面は窓枠がモルタル。

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真ん中の部分は窓枠も煉瓦。冒頭の窓の写真はこの部分だが、庇でもあったのか上部が引きちぎられたようになっている。

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そして一番南側。この部分は、窓が四角である。上部がアーチになっていない。窓の上の構造というか意匠も独特で何か仕掛けがあるのだろうか。

つみ方はヨーカン(幅が半分のサイズの煉瓦)を用いた正しいイギリス積み。すでに姫路市営モノレールのところで書いたが、れんがのサイズは、実測平均 221.0mm×105.1mm×58.9mm。これは、龍野でよく見られるれんがのサイズに近い。播州特有のサイズなのかもしれない。


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参考

旧国鉄市川橋梁

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竣工:1889年

山陽本線のJR市川橋梁である。橋脚部はれんが+石。ただし、下りは

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という感じで石は使われていない。

で、上りは、

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上下が石で補強されており、なによりれんががツートーンになっている!美しい。

ということで、上りと下りはかなり設計というか考え方がちがうので、どちらかが先でどちらかがあとなんだろうな。ということは、後で写真を見ながら気がついた。れんがのサイズは下り側しか測定していない。ということで要再調査である。

で、下りのれんがサイズだが、219.5mm×105.2mm×66.1mm。分厚っ。この厚さは「山陽型」と呼ばれるサイズ227.3mm×107.6mm×69.7mmに違いないが、ちょっと長さが寸足らずだ。


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参考


2009/02/12

飾磨樋門

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竣工:1903年
文化財指定:なし

現地看板によると

飾磨樋門(大樋)
通称は(大樋)。市川の分流船場川への水の取り入れ口。船場川の水は飾磨までの間の600町歩の田の用水だけでなく、姫路城の濠への給水、飾磨からの高瀬舟の運航、「姫山しぼり」などの染織産業にも利用された。 姫路城主酒井家では1万石をあててその管理にあたらせたといわれる。寛延2年(1749)年7月、大樋が切れて姫路城下は大洪水になった事もあるように、各城主は重視していた。
今の樋門は明治36年のもの、花こう岩とレンガとで構築している。門扉は昭和42年3月、豊国式ピンジャッキ捲上機に改修。井堰は昭和37年コンクリートに改修したが、その後しばしば被害を受け、今のものは同43年復旧したもの。

増位中学校区夢プラン実行委員会

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説明どおりれんが石造だが、れんがで管を構成し石で補強という通常とは逆パターン(でもないのかな)。れんがは立ち上がりはイギリス積でアーチ部は長手積。

下流部(船場川側)は写真のとおりだが、市川側は改修されておりコンクリート。


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2009/02/11

旧姫路市営モノレール

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開業:1966年
休止:1974年
廃止:1979年
路線:姫路(仮)-大将軍-手柄山(1.6km)

写真:2009年2月11日撮影

わずか8年の営業で、営業不振に加え、システムを提供したロッキード社のモノレール部門撤退のため、部品供給がなくなったこともあり、休止、廃止となった。当初は、飾磨方面や、JR姫路駅乗り入れなどの構想があり、さらに北を目指し、日本海に達するという構想もあったらしい。そのため、ロッキード式という跨座式、鉄レール、鉄車輪のシステムをあえて用いた。鉄レール、鉄車輪のため、最高速度は160km/hといわれ長距離線には確かに有利であったろうが、現実にはわずか1.6kmの街中の営業線で、鉄レール、鉄車輪から生じる騒音・振動問題があったようである。

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JR姫路駅から西向きに少し歩くと(地図A)、写真のような支柱が見えてくる。これが姫路駅側からの最初の遺構であるが、姫路(仮)駅はもう少し東、山陽百貨店新館のあたりにあったらしい。

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さらに歩くと(地図B)レールが見えてきた。鉄製レールも残っている。

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で、旧大将軍駅(地図C)。ほぼ当時のまま。いわゆる下駄履きマンションの下駄の上に駅があるという大変未来的な駅であったに違いない。マンションも手前はRがついているが、向こう半分は直線という大変挑発的な(?)設計である。いやぁ、すごい。(2016年7月現在で手前の道路上のモノレール高架は撤去済み。2016年8月から高尾アパート撤去工事開始予定)

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大将軍駅を出ると、南にカーブして新幹線をくぐる。新幹線をくぐるところはかなりスレスレな感じ。
(2016年7月現在、新幹線をくぐる部分のモノレール高架は撤去済み)

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新幹線をくぐる手前で、旧神戸日産農林工場(竣工:1931年)(地図D)の横を通る。近代化遺産とモノレールの対面である。間に川もあり、ちょっとした絶景。
2016年7月現在、神戸日産農林工場は取り壊し済みで駐車場になってる。このあたりのモノレール高架は現存。

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手柄山側の最後のレール遺構(地図E)の遠望。冒頭の写真はこれを下から見たもの。左右にカーブしながら、上下にも動いている。ロッキード社がテストのためこのような線形にしたという伝説もある。

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で、終着駅の旧手柄山駅(地図F)。トンネル形の閉ざされた部分が当時は開いていて、この中に駅があった。そして、この閉ざされた開口部の中には30数年眠り続けているモノレール車両が現存している。2011年に一般公開の計画がある。

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さて、この手柄山駅であるが、一見れんが風で化粧れんが張りなんだろうけれど、使われているのはモノホンのれんが。テクスチャーもフランス積といっちょまえである。れんがのサイズは、実測平均 205.8mm×103.3mm×56.5mm。ちょっと小ぶりだが、まあ、JISかな。と思ったけれど、れんがって2W+α=Lでなければならないのに、このサイズだと2W>Lなので、これではイギリス積は組めないだろう。

ちなみに、旧神戸日産農林工場のれんがのサイズは、実測平均 221.0mm×105.1mm×58.9mm。これは、龍野でよく見られるれんがのサイズに近い。播州特有のサイズなのかもしれない。


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C:旧大将軍駅
D:旧神戸日産農林工場
F:旧手柄山駅

2009/02/07

北丹鉄道 福知山西駅跡

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福知山の北丹鉄道福知山西駅跡(地図A)である。この石造の駅名票の裏側には北丹鉄道の沿革が記されている。

大正9年12月1日北丹軽便鉄道株式会社創立(資本金150万円)
大正10年12月25日北丹鉄道株式会社に社名変更
大正12年9月22日地方鉄道営業認可 営業開始
福知山河守間12.4キロメートル
昭和46年3月1日48年にわたる営業を休止
昭和46年12月18日鉄道敷地を福知山市開発公社が買収
昭和49年4月5日北丹鉄道株式会社解散

出石鉄道が昭和4年営業開始なので、少し先輩にあたる鉄道であるが、こちらは戦争中に休止命令を受けずに戦後も営業を続け、昭和46年に廃止となった。ただし、この路線は拡張された形で北近畿タンゴ鉄道宮福線として昭和63年に開業している。

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この公園には、上記の駅名票のほか、本社跡の碑があり、おそらくこの公園全体が本社跡地なのだろう。

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福知山西駅跡のすぐ東側(地図B)に「安村倉庫」という看板を掲げた建物があり、これもちょっと気になる。

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で、こちらは「安村倉庫」の門柱。かなり気になる、立派な門柱である。

白線が路線跡。福知山の市街地を「斜め45度」に横切っていたため、現在も鉄道跡地の建物は「斜め45度」を向いている。

2009/02/06

豊岡の絵葉書

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ヤフオクで豊岡の絵葉書を購入。

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2階建時の豊岡町役場庁舎の写真。竣工は1927年。現在の3階建への改造は1952年。

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こちらは大開通。左の旧郵便局は1927年竣工。右の旧兵庫県農工銀行豊岡支店は1934年竣工。ということで、この絵葉書は1934年以降1952年までの発行ということになる。RCの復興建築も見える。全般的にRCな雰囲気なのに驚いた。

豊小の写真もあるが、これの時代背景はよくわからない。


三菱、パリダカ撤退

三菱がパリダカを今年(2009年)を最後に撤退すると発表した。

はっきりいって、スバルのWRC撤退よりもショックは大きい。スバルは「WRCのスバル」っていう感じだったけれど、三菱は「三菱のパリダカ」という感じだったといっても伝わらないかな、この感じは。

スバルは、WRCだけでなくスーパーGTからも撤退するらしいし。今の不況は、本当に大変なものである。で、モータースポーツってこれからどうなるのだろうか。

姫新線に新型車が来た

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運用は4月からのようだがとりあえず新型車が姫新線に来た。おっと、と思って車内からあわてて撮ったのでまずい写真。

2009/02/03

Google Earth バージョンアップ

Google Earthがバージョンアップした。今回のバージョンアップでの注目点は、GPSからのデータ読み込みに対応したこと。ガーミンとマゼランのGPSに対応している。ただし、対応したのは、GPSからのインポートのみ。GPSへの書き出しはできない。うーーーん、書き出しができるとめっちゃうれしんですけれど。

ま、読み込みができるだけでも、かなりいろんなことができるようになったわけで、歓迎はできるが。

古い航空写真も表示できるようになったみたいだけれど、私の住むエリアはいまだにランドサットのみ。こっちをさきになんとかしてくれぇ。

2009/02/01

JR山陰線 豊岡街道架道橋

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所在地:宿南(信)~江原間 138K665M66
竣工:1909年
構造:ガーター橋、れんが石造(橋台)
支間:9M70

江原駅の少し南にある豊岡街道架道橋である。構造的にも意匠的にも寄宮架道橋とほぼ同じ。れんがのサイズは、223.9mm×106.3mm×54.7mmで並型と呼ばれる224.2mm×106.1mm×53.0mmの規格だろう。

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ガーター部にこういう銘板があるが、「汽車製造合資会社/大阪/明治40年製造」というのはかろうじて読めるが、ほかはペンキがこてこてでよくわからない。

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