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2009/02/14

出石鉄道/北丹鉄道関連年表

年表解説

1871(明治4)年1月8日藤本俊郎、初代日高村長藤本六右衛門の長男として誕生
1874(明治7)年5月大阪-神戸間開通
1886(明治19)年山陽鉄道兵庫県下最初の私鉄として神戸-姫路間に敷設が計画される。
1887(明治20)年11月5日播但鉄道播磨国神東群川辺村(神崎郡市川町東川辺)内藤利八ほか8名が、飾磨-生野間に「馬車鉄道敷設の義御願書」を内閣総理大臣宛提出
1888(明治21)年4月山陽鉄道山陽鉄道株式会社設立
1888(明治21)年5月31日播但鉄道馬車鉄道敷設認可
1888(明治21)年11月山陽鉄道神戸-明石間開通
1889(明治22)年5月30日山陰鉄道兵庫県小西壮二郎外29名の発起で舞鶴より松江に達する226哩余の敷設計画をもって山陰鉄道株式会社設立出願するが、鉄道局長井上勝により却下される
1889(明治22)年9月山陽鉄道神戸-姫路間開通
1889(明治22)年10月18日播但鉄道既に提出した「馬車鉄道敷設の義御願書」を「汽車鉄道の儀」と変更の義御願いをする
1890(明治23)年末山陽鉄道岡山県境まで敷設
1892(明治25)年播但線山陰・山陽縦貫鉄道具申書
1892(明治25)年6月21日鉄道敷設法。山陰線が舞鶴から豊岡に通じることが決定される(京都府下舞鶴ヨリ兵庫県下豊岡、鳥取県下鳥取、島根県下松江、浜田ヲ経テ山口県下山口近傍ニ至ル鉄道)。
1892(明治25)年8月北丹鉄道黒田宇兵衛宮津町長発起による「宮津商工鉄道期成同盟会」が組織され、宮津と福知山を結ぶ鉄道建設の運動が起こる。(福知山開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1893(明治26)年2月~1895(明治28)年2月山陰線路線調査団が調査
1893(明治26)年5月北丹鉄道宮津-福知山間の踏査、測量着手(福知山開発公社, 1988)
1893(明治26)年6月30日播但鉄道免許を得る
1893(明治26)年9月22日山陰線山陰縦貫鉄道期成同盟会が結成
1894(明治27)年2月播但鉄道飾磨-生野間工事起工
1894(明治27)年2月北丹鉄道「鉄道期成同盟会」組織(福知山開発公社, 1988)
1894(明治27)年7月播但鉄道和田山までの延長について仮免許を得る
1894(明治27)年7月26日播但鉄道姫路-寺前間開通
1894(明治27)年8月1日日清戦争
1894(明治27)年9月播但鉄道津居山までの延長を申請
1894(明治27)年11月山陰線城崎・気多・美含・七美・二方5郡と岩井・邑美2郡が一期昇格及び氷ノ山越えルート排斥を請願(鉄道敷設法山陰線ニ関スル請願)
1895(明治28)年1月3日山陰線気多郡域は出石・日高・三方・西気・七美郡・ニ方郡経由の路線を請願する(鉄道布置海面ヲ距ル程度公布ノ申請)
1895(明治28)年1月15日播但鉄道寺前-長谷間開通
1895(明治28)年3月中筋村白髭初造外1名から「山陰縦線鉄道ニ対スル願」提出される
1895(明治28)年4月17日播但鉄道飾磨-生野間49.2km開通
1895(明治28)年5月山陰線気多郡域は出石・日高・三方・西気・七美郡・ニ方郡経由の路線の軍事的重要性を説いて第4師団にも陳情する(陳情書)
1895(明治28)年8月北丹鉄道鉄道敷設請願書を鉄道庁長官に進達(福知山市開発公社, 1988)
1896(明治29)年阪鶴鉄道大阪-福知山間の工事準備にかかる
1896(明治29)年京都鉄道京都を基点として着工
1896(明治29)年2月出石鉄道山陰鉄道縦貫線中豊岡線ヲ取ルベキ意見書(その1)(その2)が出石町有志総代から出る。
1896(明治29)年3月7日播但鉄道中央の鉄道会議において、寺内正毅案として「和田山・鳥取区間を1区間として許可する」ことが可決され、播但鉄道に対し敷設免許が下付されることとなる
1896(明治29)年5月23日播但鉄道和田山までの延長について本免許を得る
1896(明治29)年9月播但鉄道和田山-津居山間の敷設免許を申請
1896(明治29)年9月7日大阪汽車製造会社設立(福知山市開発公社, 1988)
1896(明治29)年12月宮津線丹後鉄道株式会社創立。宮津-城崎間私設鉄道敷設仮免許の下附を受け、株式募集。資本金150万円。(福知山開発公社, 1988)
1898(明治31)年12月13日播但鉄道播但鉄道布設延長各郡委員会、八鹿村にて開催(連絡文書)
1899(明治32)年京都鉄道京都-園部間開通
1899(明治32)年阪鶴鉄道大阪-福知山間開通
1899(明治32)年3月15日播但鉄道播但鉄道社長が来但し養父郡有志会で津居山までの路線延長を示唆し、増資の一部引き受けを要請。11月24日にも再度の要請
1900(明治33)年宮津線このころ丹後鉄道株式会社解散(福知山市開発公社, 1988)
1900(明治33)年4月24日東京株式市場大暴落。各地に金融恐慌。
1900(明治33)年7月1日播但鉄道地元の増資の引き受けの諾否が線路延長の可否を決すると豊岡町会議員や但馬町村管理者の集会で訴える。この後、各町村割り当てで株を購入
1901(明治34)年8月播但鉄道生野-新井間開通。播但鉄道は生野鉱山の鉱石運搬を任されることを期待していたが、実際には少量しか任されず、この後経営不振となる。
1902(明治35)年但馬軽便鉄道鈴木商店、出資金50万円を以て合名会社鈴木商店へ組織変更(これまで個人商店だった)。鈴木商店は、日双の前身。
1902(明治35)年舞鶴線日露の関係が険悪化し、舞鶴への官設による鉄道計画が決定される
1902(明治35)年1月北丹鉄道与謝郡会、鉄道敷設に関する請願書を逓信大臣に提出(福知山市開発公社, 1988)
1902(明治35)年6月山陰線山陰道縦貫鉄道期成同盟会、評議員を決め、協議費を集金する。。(当選状協議費請求書)
1902(明治35)年8月藤本俊郎、第7回総選挙に際し選挙違反で罰金30円の刑に処せられる
1903(明治36)年3月播但鉄道和田山~鳥取間の敷設の免許を返納
1903(明治36)年6月山陰線「山陰及び山陽連絡線」が姫路-和田山-鳥取として施工されることが議会通過し本決まりとなる。
1903(明治36)年6月~
10月
山陰線鉄道作業局米子出張所が山陰線のルートを調査。
  1. 氷ノ山線 八鹿-関宮-氷ノ山-若桜-郡家
  2. 若桜線 養父市場-大屋市場-戸倉嶺-若桜-郡家
  3. 国道線 八鹿-関宮-村岡-湯村-岩井
  4. 江野線 八鹿-豊岡-城崎-香住-浜坂
  5. 和鳥線 八鹿-豊岡-城崎-香住-浜坂-鳥取
のち、工事の難易度、鉄道利用の経済性から和鳥線が最も優れているとの結論の報告書をまとめる
1903(明治36)年6月1日播但鉄道営業成績不振のため、一切を山陽鉄道に売却し、会社は解散する。(一説に4月)
1903(明治37)年2月10日日露戦争
1904(明治38)年舞鶴線福知山-舞鶴間が開通
1905(明治38)年但馬軽便鉄道鈴木商店、神戸製鋼所の前身の小林製鋼所を買収する。
1906(明治39)年1月山陰線山陰線に関する法律案が国会を通過。この後、用地買収が始まる。
1906(明治39)年3月31日鉄道国有法公布。
1906(明治39)年4月山陰線山陰線は、福知山-和田山-豊岡のコースに決定されるが、宮津、峰山を中心として丹後鉄道急設期成同盟会を組織し、猛烈な誘致運動を行う。和田山・香住間着工
1906(明治39)年4月1日山陽鉄道播但鉄道を買収した山陽鉄道は生野-和田山間を開通させる
1906(明治39)年7月山陰線鉄道敷設要地買収を県に嘱託する
1906(明治39)年9月山陰東線江原工区工事着工のため江原詰所が設置され、工区主任として技手鈴木千秋が着任
1906(明治39)年12月1日播但線鉄道国有法に基づき、山陽鉄道が国有化され、飾磨・和田山間が播但線となる。
1907(明治40)年2月北丹鉄道宮津実業協会主唱で宮津電気鉄道株式会社創立準備着手。大阪市電気局技師の設計により宮津-福知山間電気鉄道建設費170万円の予算で発起請願書提出(財界の恐慌に遭遇し、5月目的中止)(福知山市開発公社, 1988)
1907(明治40)年4月山陰線福知山・和田山間着工
1907(明治40)年6月26日山陰東線江原工区、国分寺字城山の採土場から江原駅に通じる田の中の直線コースのトロッコ線路上で、太田垣かね(1歳4ヶ月)が土を満載したトロッコの下敷きになり死亡。工事請負者の森本千吉は請負を返上して引退したので1年ほど工事にブランクができた。
1908(明治41)年1月北丹鉄道宮津町在住の医師中川雄斎ほか660名の連署で宮津-福知山間鉄道急設請願書を貴族院・衆議院・内閣に提出(3月衆議院可決)(福知山市開発公社, 1988)
1908(明治41)年3月北丹鉄道宮津-福知山間鉄道急設請願書、衆議院で可決するも実現せず(福知山市開発公社, 1988)
1908(明治41)年4月宮津線「丹後鉄道急設期成同盟会(宮津-城崎)」を組織。運動を進めたが実現せず(福知山市開発公社, 1988)
1908(明治41)年7月1日山陰東線和田山-八鹿開通
1909(明治42)年藤本俊郎、城崎郡会議員になる
1909(明治42)年1月山陰東線江原工区竣工
1909(明治42)年5月20日北丹鉄道中川雄斎、「宮津貿易港並ニ宮津福知山間鉄道速成之請願」を内閣・京都府知事・関係機関に提出(福知山市開発公社, 1988)
1909(明治42)年7月10日山陰東線八鹿-豊岡間開通(安保, 1984a)
1909(明治42)年9月5日山陰東線豊岡-城崎開通
1910(明治43)年藤本俊郎、県会議員に出馬し落選。この年、阿瀬川水力電気株式会社を創設させる。
1910(明治43)年4月軽便鉄道法公布
明治39年の鉄道国有化によって官鉄絶対有利の状況がもたらされたが、政府はあわせて私鉄への保護政策も推進する。本法と明治44年の軽便鉄道補助法により全国的な軽便鉄道建設ブームを引き起こす。
1910(明治43)年6月10日山陰西線鳥取-岩美間開通
1911(明治44)年宮津線丹後鉄道敷設にあたり、
  1. 舞鶴・久美浜・港・城崎経由
  2. 舞鶴・久美浜・豊岡経由
  3. 舞鶴・岩滝・出石・豊岡経由
の3案が再発し測量を行うが、結局2案が実現する。
1911(明治44)年4月12日津居山線山陰本線城崎駅から津居山港への支線敷設について鉄道院総裁へ意見書を提出して却下される。
1911(明治44)年10月25日山陰東線城崎-香住間、福知山-和田山間開通
1911(明治44)年11月10日山陰西線岩美-浜坂間開通
1912(明治45)年3月1日山陰本線京都-出雲今市間全通(浜坂-香住間開通)(安保, 1984a)
1912(明治45)年3月2日山陰本線玄武洞駅開設
1912(大正元)年11月藤本俊郎、第13代日高村長となる。1922(大正11)年1月まで在職。
1914(大正3)年7月28日第一次世界大戦が始まる。当時、戦争はすぐに終結し、戦争被害による影響で物価が下がるというのが大方の見方であった。鈴木商店は、海外電報を駆使して、戦況を集め、物価は高騰するとよみ、世界中で投機的な買い付けを行う。
1916(大正5)年9月10日但馬軽便鉄道鈴木商店が江原~三方村(日高町)庄境の鉄道敷設免許申請(安保, 1984a)
1916(大正5)年12月18日但馬軽便鉄道鈴木商店に鉄道敷設免許交付(安保, 1984a)
1917(大正6)年4月24日~7月下旬宮津線丹後鉄道測量調査(京都日出新聞, 1918)
1917(大正6)年11月28日但馬軽便鉄道工事施工認可申請期限延期が許可される(安保, 1984a)
1918(大正7)年3月宮津線舞鶴-峰山間の鉄道敷設予算が成立。峰山-豊岡間は海岸部を経由することが予定される。
1918(大正7)年7月20日出石鉄道軽便鉄道敷設免許申請。発起人は、日高村長藤本俊郎、出石桜井勉以下78名連名。
1918(大正7)年8月但馬軽便鉄道鈴木商店、米騒動で焼討ちに遭う
1918(大正7)年8月9日但馬軽便鉄道工事施工認可申請(安保, 1984a)
1918(大正7)年9月4日北丹鉄道北丹軽便鉄道(福知山-由良間32km)敷設認可申請。発起人は福知山・大江の有志で、山本辰六郎ほか19名(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1918(大正7)年11月1日宮津線豊岡町保天恵座で町民大会を開き丹但鉄道期成会が発足
1918(大正7)年11月11日第一次世界大戦終戦
大正中期出石鉄道出石町の有志により「鉄道建設期成同盟会」が組織され、資本金50万円、株式1万株で出石鉄道株式会社を創立する計画をたてる。
1919(大正8)年宮津線舞鶴から宮津、峰山を経て豊岡に至るルートが決まる(山本武男, 2000)
1919(大正8)年3月30日出石鉄道特設電話加入を申請する
1919(大正8)年4月10日地方鉄道法交付(大正10年8月15日施行)
1919(大正8)年5月19日但馬軽便鉄道工事施工認可されるが、鈴木商店は鉄道建設を断念(安保, 1984a)。鈴木商店の全盛期は1919~1920年ごろといわれる(Wikipedia)。
1919(大正8)年5月21日但馬軽便鉄道鈴木商店が鉄道建設権を日高町日置 藤本俊郎に譲渡(安保, 1984a)
1919(大正8)年5月24日北丹鉄道北丹軽便鉄道(旅客及貨物輸送営業)敷設免許を内閣総理大臣原敬より受ける(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1919(大正8)年6月27日出石鉄道敷設免許が下りる
1919(大正8)年7月24日出石鉄道兵庫県へ土地立入測量許可申請
1919(大正8)年8月1日出石鉄道兵庫県より土地立入測量許可される
1919(大正8)年8月9日但馬軽便鉄道但馬軽便鉄道株式会社設立登記
1919(大正8)年11月15日但馬軽便鉄道工事着手書提出(安保, 1984a)
1920(大正9)年2月宮津線港村は工事費の節約を理由に宮津線が久美浜・港を経由して城崎で山陰本線に接合するルートを請願
1920(大正9)年2月1日北丹鉄道大阪市北区堂島の大阪商業会議所において「北丹軽便鉄道株式会社」創立総会。
資本金150万円、株式数3万株、初代社長山本辰六郎。本社所在地は天田郡福知山町字内記47番地(内記2丁目)(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000; 福知山西駅跡石碑)
1920(大正9)年3月31日出石鉄道発起人伊地智三郎右衛門外24名脱退を申請
1920(大正9)年4月1日北丹鉄道測量開始(福知山市開発公社, 1988)
1920(大正9)年4月5日出石鉄道発起人脱退許可
1920(大正9)年6月10日出石鉄道工事施行認可申請期限延期申請
1920(大正9)年7月14日出石鉄道工事施行認可申請期限延期許可(大正10年6月26日まで延期)
1920(大正9)年9月8日北丹鉄道舞鶴要塞司令部へ河守-由良間測量立入許可申請。舞鶴要地許第249号で許可(福知山市開発公社, 1988)
1920(大正9)年9月17日出石鉄道土地立入許可申請
1920(大正9)年9月29日出石鉄道土地立入許可
1920(大正9)年11月但馬軽便鉄道工事竣工期限延期申請(安保, 1984a)
1920(大正9)年11月16日北丹鉄道国鉄線由良川架橋場所未定のため、河守-由良間(第II期線)の工事施行認可申請期限伸長の申請(北丹発第504号)
主任技術者に福留並喜を選任。神保旦太辞任。(福知山市開発公社, 1988)
1920(大正9)年11月19日北丹鉄道鉄道大臣へ福知山-河守間(第I期線12.4km)工事施行認可申請書提出(北丹発第506号)。(福知山市開発公社, 1988)
1920(大正9)年11月30日北丹鉄道舞鶴鎮守府へ河守-由良間測量立入許可申請。許可証第424号で許可。(福知山市開発公社, 1988)
1920(大正9)年12月20日出石鉄道出石鉄道株式会社設立(安保, 1984a)
1920(大正9)年12月29日出石鉄道出石鉄道株式会社設立登記。初代社長中山麟治
1921(大正10)年1月8日出石鉄道工事施行申請
1921(大正10)年2月但馬軽便鉄道工事竣工期限延期申請(2回目)(安保, 1984a)
1921(大正10)年2月22日山豊線鎌田三郎兵衛、松山常次郎、長田桃蔵連名で「山田、豊岡間鉄道速成ニ関スル建議案(山豊線)」を提出
1921(大正10)年3月23日山豊線「山田、豊岡間鉄道速成ニ関スル建議案(山豊線)」衆議院鉄道委員会に附議され、25日委員会可決、26日本会議で可決されるが貴族院で握りつぶされ不成立となる(藤本俊郎らの反対工作?)。
1921(大正10)年4月28日北丹鉄道福留並喜主任技術者辞任につき、近藤俊吉を任命。(福知山市開発公社, 1988)
1921(大正10)年5月19日北丹鉄道監第776号で第I期線工事施行認可(福知山市開発公社, 1988)
1921(大正10)年5月31日出石鉄道工事施行申請(中筋-出石)
1921(大正10)年6月1日出石鉄道工事施行申請期限延期申請(江原-中筋)
1921(大正10)年7月10日北丹鉄道工事着工(福知山市開発公社, 1988)
1921(大正10)年7月15日宮津線国鉄舞鶴峰山線由良川架橋地点、予定より下流の神崎-由良間に確定(福知山市開発公社, 1988)
1921(大正10)年7月21日出石鉄道工事施行認可(中筋-出石)
1921(大正10)年7月21日出石鉄道工事施行申請期限延期認可(江原-中筋)
1921(大正10)年10月23日宮津線舞鶴より着工
1921(大正10)年11月9日北丹鉄道国鉄福知山駅と北丹軽便鉄道との連絡に関し神戸鉄道局と契約(福知山市開発公社, 1988)
1921(大正10)年12月25日北丹鉄道呉服町明覚寺において臨時株主総会。「北丹鉄道株式会社」に社名変更。社長、吉田三右衛門。本社所在地は福知山市裏ノ72番地(福知山市開発公社, 1988; 福知山西駅跡石碑)
1922(大正11)年1月但馬軽便鉄道工事竣工期限延期申請(3回目)(安保, 1984a)
1922(大正11)年1月藤本俊郎、日高村長を辞す
1922(大正11)年2月3日出石鉄道停留場・道路設置並びに府県道占用許可申請(位置不明)
1922(大正11)年3月5日北丹鉄道国鉄福知山駅と北丹軽便鉄道の連絡工事施工(福知山市開発公社, 1988)
1922(大正11)年4月11日改正鉄道敷設法公布。別表に「京都府山田ヨリ兵庫県出石ヲ経テ豊岡ニ至ル鉄道」の項目がある。この項目は、1988年改正鉄道敷設法が廃止されるまで生き残った。
1922(大正11)年8月5日北丹鉄道宮津鉄道敷設計画のため、舞鶴要塞地帯内地図謄写を出願(北丹発559, 560号)(福知山市開発公社, 1988)
1922(大正11)年11月18日北丹鉄道第II期線工事施行認可申請期限伸長申請(北丹発第574号)(福知山市開発公社, 1988)
1923(大正12)年出石鉄道工事中断(資金不足)(安保, 1984a)
1923(大正12)年3月6日北丹鉄道宮津の有力者を中心とした発起人(大嶋実太郎ほか34名)が宮津鉄道(河守-宮津)敷設認可申請(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1923(大正12)年7月30日北丹鉄道宮津鉄道認可後は北丹鉄道が許可を受けた第II期線を廃止する旨、鉄道大臣に出願(北丹発第138号)(福知山市開発公社, 1988)
1923(大正12)年9月藤本俊郎、兵庫県会議員に当選。政友会に所属し活躍
1923(大正12)年9月1日関東大震災。死者・行方不明、14万2千余。
1923(大正12)年9月1日北丹鉄道関東大震災で汽車製造会社東京工場で製作中の客貨車が焼失(福知山市開発公社, 1988)
1923(大正12)年9月10日北丹鉄道第I期工事竣工
運輸開始認可申請(発題483号)
客貨車焼失にともない、神戸鉄道局からの借入車輌使用許可申請(北丹発第487号)(福知山市開発公社, 1988)
1923(大正12)年9月22日北丹鉄道福知山~河守間(12.4km)が運輸営業開始(監第3008号 鉄道大臣山之内一次許可)(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1923(大正12)年11月20日北丹鉄道地方鉄道補助金申請
1923(大正12)年12月26日北丹鉄道臨時株主総会。本社所在地は福知山町字天田51番地(福知山市開発公社, 1988)
1924(大正13)年1月22日北丹鉄道砂利採取販売兼業認可申請(北丹庶第525号)(福知山市開発公社, 1988)
1924(大正13)年1月24日北丹鉄道開業時に北丹鉄道との合併を条件に宮津鉄道に敷設免許(監第13号 鉄道大臣小松謙次郎)がおりる。会社の設立に至らず(福知山市開発公社 1988; 山本武男, 2000)
1924(大正13)年3月26日但馬軽便鉄道工事竣工期限延期申請不許可(安保, 1984a)
1924(大正13)年4月12日宮津線峰山線 舞鶴(現在の西舞鶴)~宮津間が開業。
1924(大正13)年6月5日北丹鉄道土地立入測量許可(京都府指令三土第4665号)(福知山市開発公社, 1988)
1924(大正13)年6月8日北丹鉄道測量開始(福知山市開発公社, 1988)
1924(大正13)年8月15日北丹鉄道宮津鉄道工事施行認可申請期限延期許可(大正14年7月23日まで)(監第1799号 鉄道大臣仙石貢)(福知山市開発公社, 1988)
1925(大正14)年5月23日但馬地震。城崎・豊岡を中心に死者428人。
1925(大正14)年6月北丹鉄道「宮津鉄道に就いて-福知山町民諸君に檄す-」(宮津鉄道株式会社発起人)文書配布(福知山市開発公社, 1988)
1925(大正14)年北丹鉄道宮津鉄道株式会社創立総会を断念
以後敷設工事施行認可申請期限の伸長申請を続ける(福知山市開発公社, 1988)
1925(大正14)年7月31日宮津線峰山線 宮津~丹後山田(現在の野田川)間が開業。
1925(大正14)年10月8日出石鉄道土地収用法による事業認定公告
1925(大正14)年11月3日宮津線峰山線 丹後山田~峰山間が開業。
1926(大正15)年1月21日但馬軽便鉄道鉄道敷設免許失効。免許状返納命令が出るが、免許状を紛失しており紛失届を提出。 (安保, 1984a)
1926(大正15)年7月10日但馬軽便鉄道藤本俊郎、県会議員辞職
1926(大正15)年9月11日藤本俊郎、東京において死去。享年70歳
1926(大正15)年12月5日加悦鉄道丹後山田(現在の野田川)~加悦間が開業。
1926(昭和元)年12月25日宮津線峰豊線 峰山~網野間が開業。
1926(昭和2)年3月7日宮津線北丹後地震。峰山・網野を中心に死者2925人。完成まもない峰豊線は、舞鶴(西舞鶴)-網野間が不通となったが、早期に復旧し、復旧復興の物資・人員輸送を担う。8日には天橋立まで、9日には山田(野田川)まで、14日には網野-口大野間が復旧。21日全面復旧。(蒲田, 2006)
1929(昭和4)年出石鉄道福富太郎左衛門の尽力で工事再開(安保, 1984a)
1929(昭和4)年7月20日出石鉄道工事竣工(安保, 1984a)
1929(昭和4)年7月21日出石鉄道全線開通。ガソリンカー2両、貨車6両。開通祝賀会は出石城跡稲荷台で3日間行われた。(安保, 1984a)
1929(昭和4)年7月22日出石鉄道祝賀会に参列する来賓を山陰線江原駅まで出迎えるため、出石駅を出発したガソリンカーが途中で故障。来賓はトラックで祝賀会場へ向かう。(安保, 1984a)
1929(昭和4)年8月北丹鉄道大阪宮津急行電気鉄道敷設許可の請願書配布
1929(昭和4)年12月15日宮津線峰豊線 豊岡~久美浜間が開業。
1930(昭和5)年北丹鉄道宮津鉄道株式会社発起人、権利を大阪宮津急行電気鉄道に譲渡する覚書をかわす(福知山市開発公社, 1988)
1930(昭和5)年2月1日出石鉄道鉄道省との貨物連帯運輸開始。蒸気動力併用実施届
1930(昭和5)年2月24日出石鉄道蒸気機関車2両増備。1両(21号)のみ入線
1930(昭和5)年7月13日出石鉄道蒸気機関車1両(22号)入線
1930(昭和5)年7月30日出石鉄道豪雨のため築堤決壊、運休。3日間運休後、8月1日運転再開。
1930(昭和5)年10月出石鉄道上ノ郷停留場設置
1930(昭和5)年12月5日加悦鉄道三河内口駅開業。
1931(昭和6)年5月25日宮津線峰豊線 網野~丹後木津(現在の木津温泉)間が開業。
1932(昭和7)年出石鉄道出石町内にあった出石鉄道本社を出石駅事務所横に併設。写真は新本社前にて
1932(昭和7)年8月10日宮津線全線開通
1933(昭和8)年10月出石鉄道連日の降雨により、中筋付近山崩れ線路埋没。1日運休
1933(昭和8)年11月河守鉱山(日本鉱業株式会社河守鉱業所)操業開始
1933(昭和8)年11月23日北丹鉄道福知山-河守間乗合自動車営業開始
1934(昭和9)年1月2日出石鉄道豪雪。全線にわたって積雪2m。
1934(昭和9)年9月21日出石鉄道室戸台風(死者全国で2,702人)のため鶴岡橋梁流失
1934(昭和9)年10月2日出石鉄道10日間運休の後、一部運転再開。鶴岡に折返し運転のための仮駅設置。
1934(昭和9)年11月12日出石鉄道鶴岡橋梁復旧工事を申請
1935(昭和10)年7月16日出石鉄道鶴岡橋梁復旧工事着工
1936(昭和11)年5月31日出石鉄道鶴岡橋梁復旧工事竣工
1936(昭和11)年6月25日出石鉄道全線復旧開通。鶴岡仮駅廃止。
1938(昭和13)年出石鉄道江原自動車を買収し、自動車運輸営業権を得る (安保, 1984a)
1941(昭和16)年12月8日太平洋戦争始まる
1942(昭和17)年7月北丹鉄道下天津付近にて砂利採取業務開始(福知山市開発公社, 1988)
1942(昭和17)年8月出石鉄道出石車庫火災。ガソリンカー1両焼失
1942(昭和17)年9月出石鉄道台風(島根を中心に全国で死者768人)のため再び鶴岡橋梁を流失。軍の援助で復旧工事に着工。
1942(昭和17)年11月出石鉄道鶴岡仮駅設置
1942(昭和17)年12月但馬軽便鉄道但馬軽便鉄道株式会社破産管財人と株主の示談解決
1943(昭和18)年出石鉄道出石駅に簡易転車台設置
1943(昭和18)年11月出石鉄道鶴岡橋梁復旧工事竣工。鶴岡仮駅廃止。
1943(昭和18)年12月4日出石鉄道国家総動員令に基づく戦時下の不要不急路線の整理統合方針による営業休止命令(安保, 1984a)
1944(昭和19)年1月出石鉄道営業休止(写真は休業式)
1944(昭和19)年3月出石鉄道撤去作業開始(安保, 1984a)
1944(昭和19)年5月出石鉄道砂利採取用徴用線を除き線路施設撤去。代償としてバス7台、トラック5台を受け取り、自動車運輸営業を行う。(安保, 1984a)
1945(昭和20)年8月出石鉄道終戦。徴用線廃止撤去開始。木材集積用円山川駅設置。
1948(昭和23)年2月20日北丹鉄道下川駅(漆端)設置(福知山市開発公社, 1988)
1948(昭和23)年5月4日北丹鉄道宮津市・福知山市と沿線町村、商工会議所・観光協会のほか、北丹鉄道・丹後海陸交通も参入して宮津鉄道建設促進規制同盟会を結成する(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1948(昭和23)年5月10日北丹鉄道河守-宮津間鉄道敷設請願書提出(福知山市開発公社, 1988)
1948(昭和23)年10月13日山陰本線国府駅新設
1949(昭和24)年出石鉄道出石鉄道復活促進同盟発足。鉄道復活運動を展開
1951(昭和26)年9月28日北丹鉄道河守-南有路間乗合自動車営業開始(福知山市開発公社, 1988)
1951(昭和26)年10月1日出石鉄道円山川-出石間運輸営業休止期限延期を申請
1951(昭和26)年10月13日北丹鉄道「福知山宮津間国有鉄道建設趣意書」作成(福知山市開発公社, 1988)
1952(昭和27)年3月10日出石鉄道自動車運輸営業権を全但交通株式会社に譲渡し、事業会社としての終止符を打つ。 (安保, 1984a)
1952(昭和27)年3月25日出石鉄道江原-円山川間運輸営業休止期限延期許可を申請
1952(昭和27)年5月30日北丹鉄道南有路-二箇間乗合自動車営業開始(福知山市開発公社, 1988)
1952(昭和27)年7月2日北丹鉄道宮津-河守間(宮津鉄道)建設予定線追加候補線に指定(第6回鉄道建審答申)(福知山市開発公社, 1988)
1952(昭和27)年7月27日北丹鉄道1号機関車廃止
1953(昭和28)年2月18日北丹鉄道宮守線が鉄道敷設法別表予定線に加えられる(福知山市開発公社 ,1988; 山本武男, 2000)
1953(昭和28)年9月25日北丹鉄道台風13号(全国で死者393名、不明85名)による水害のため、福知山-下天津間17日間運転休止。以後折返し運転。下天津-河守間は、昭和29年4月10日まで運輸営業休止許可が下りる(のち9月30日までに延期)(福知山市開発公社, 1988)
1953(昭和28)年11月28日北丹鉄道二箇下-宇谷間乗合自動車営業開始(福知山市開発公社, 1988)
1954(昭和29)年7月28日北丹鉄道台風13号被害復旧。全線開通。(福知山市開発公社, 1988)
1955(昭和30)年4月1日北丹鉄道下天津-大呂間乗合自動車営業開始(福知山市開発公社, 1988)
1956(昭和31)年6月5日北丹鉄道10トンディーゼル機関車使用開始(福知山市開発公社, 1988)
1957(昭和32)年4月宮福線調査線編入決定(第20回鉄道建審建議)(福知山市開発公社, 1988)
1959(昭和34)年宮福線宮津鉄道建設促進期成同盟会、宮守線建設促進期成同盟会と改称(福知山市開発公社, 1988)
1959(昭和34)年11月宮福線条件付建設線編入決定(第25回鉄道建審建議)(福知山市開発公社, 1988)
1960(昭和35)年2月10日出石鉄道江原駅構内鉄道用地使用承認申請
1960(昭和35)年5月23日出石鉄道江原駅構内鉄道用地使用承認
1961(昭和36)年6月10日出石鉄道地方鉄道運輸営業休止申請
1961(昭和36)年9月8日?北丹鉄道第二室戸台風(1961.9.15-17)(全国で死者194人、不明8人)により牧川橋梁第3橋脚傾斜。47日間運休(福知山市開発公社, 1988)
P30d
1961(昭和36)年9月19日出石鉄道地方鉄道運輸営業休止許可(1963.9.30まで)
1961(昭和36)年9月30日出石鉄道鉄道敷設権消滅
1962(昭和37)年3月宮福線宮守線鉄道として着工することに決定(第35回鉄道建審建議)(福知山市開発公社, 1988)
1964(昭和39)年4月宮福線宮守線基本計画(工事)指示(福知山市開発公社, 1988)
1965(昭和40)年8月北丹鉄道気動車キハ101(昭和8, 川崎車輌製)購入(福知山市開発公社, 1988)
1966(昭和41)年3月27日宮福線工事実施計画認可。国鉄新線宮守線起工式(福知山市開発公社, 1988)
1966(昭和41)年宮福線国鉄宮守線(宮津-河守間17.6km)工事着手(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1966(昭和41)年1月31日出石鉄道株主総会において、解散決議を可決。清算人を選任のうえ清算に入る (安保, 1984a)
1967(昭和42)年5月24日北丹鉄道気動車キハ102(昭和9, 新潟鐵工所製)購入(福知山市開発公社, 1988)
1969(昭和44)年3月北丹鉄道河守鉱山が閉山。貨物輸送が減少する。(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1969(昭和44)年9月10日出石鉄道株主総会において、清算完了の承認を得て廃業 (安保, 1984a)
1970(昭和45)年4月8日加悦鉄道加悦谷高校前駅開業。
1970(昭和45)年7月20日出石鉄道廃止認可。 地方鉄道運輸営業免許状返納。(安保, 1984a)
1970(昭和45)年9月28日北丹鉄道臨時株主総会において会社解散の決議がなされる(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1971(昭和46)年2月10日北丹鉄道地方鉄道事業運輸営業、一般乗合、貸切旅客自動車運送事業休止許可申請提出(北丹鉄発第40号, 北丹自発第11, 12号)(福知山市開発公社, 1988)
1971(昭和46)年2月20日北丹鉄道運輸営業休止申請許可(鉄監第104号 運輸大臣)(京都府指令6陸大94, 95号 京都府知事)(福知山市開発公社, 1988; (山本武男, 2000)
1971(昭和46)年3月1日北丹鉄道48年にわたる営業を休止。お別れ列車運転(福知山市開発公社, 1988; 福知山西駅跡石碑)
1971(昭和46)年9月28日宮福線宮守線大江山普甲トンネル(3215m)貫通(福知山市開発公社, 1988)
1971(昭和46)年12月18日北丹鉄道鉄道敷地を福知山市開発公社が買収。売買契約書調印(福知山市開発公社, 1988; 福知山西駅跡石碑)
1973(昭和48)年10月宮福線河守-福知山間基本計画組入れの鉄道建審建議(福知山市開発公社, 1988)
1974(昭和49)年2月14日北丹鉄道地方鉄道事業運輸営業廃止許可申請(北丹鉄発第14号)(福知山市開発公社, 1988)
1974(昭和49)年2月28日北丹鉄道運輸大臣より鉄監第84号をもって廃止許可(福知山市開発公社, 1988)
1974(昭和49)年4月5日北丹鉄道北丹鉄道株式会社解散(福知山市開発公社, 1988; 福知山西駅跡石碑)
1975(昭和50)年7月4日宮福線河守~福知山間が鉄道敷設法別表予定線に編入される(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)
1975(昭和50)年12月31日宮福線宮守線栃葉トンネル(2103m)竣工(福知山市開発公社, 1988)
1976(昭和51)年8月27日北丹鉄道精算完了(福知山市開発公社, 1988)
1976(昭和51)年9月1日北丹鉄道登記。同日閉鎖(福知山市開発公社, 1988)
1977(昭和52)年2月19日宮福線宮守線建設促進期成同盟会、宮福線建設促進期成同盟会と改称(福知山市開発公社, 1988)
1980(昭和55)年12月27日日本国有鉄道経営再建促進特別措置法公布施行
1982(昭和57)年4月17日宮福線京都府知事、京都府中心の第三セクターによる運営表明。大臣要請。(福知山市開発公社, 1988)
1982(昭和57)年9月20日宮福線宮福鉄道株式会社創立総会(22日設立登記完了)(福知山市開発公社, 1988)
1982(昭和57)年12月24日宮福線地方鉄道事業免許(福知山市開発公社, 1988)
1983(昭和58)年2月28日宮福線工事着手(福知山市開発公社, 1988)
1983(昭和58)年3月5日宮福線福知山市厚中問屋町の地蔵ヶ端公園において起工式(福知山市開発公社, 1988)
1988(昭和63)年1月27日宮福線レール締結式(河守駅)(福知山市開発公社, 1988)
1988(昭和63)年7月16日宮福線宮福鉄道開業(福知山市開発公社, 1988; 山本武男, 2000)

参考文献

  • Wikipedia. 鈴木商店. WEB.
  • 安保彰夫, 1984a. 鶴のくる里を走った出石鉄道, 鉄道ファン24(2):88-95. 交友社.
  • 蒲田文雄, 2006. 昭和2年北丹後地震-家屋の倒壊と火災の連鎖. 古今書院.
  • 京都日出新聞, 1918. 丹後鉄道報告-京都府の報告. 京都日出新聞
  • 福知山開発公社, 1988. 北丹鉄道の歴史. 福知山開発公社.
  • 山本武男, 2000. RM LIBRARY 14, 北丹鉄道-河川敷に消えた小鉄道-. ネコ・パブリッシング.

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コメント

ルパン三世のマモーの正体。それはプロテリアル安来工場で開発されたSLD-MAGICという高性能特殊鋼と関係している。ゴエモンが最近グリーン新斬鉄剣と称してハイテン製のボディーの自動車をフルスピードでバッサリ切り刻んで、またつまらぬものを斬ってしまったと定番のセリフ言いまくっているようだ。話をもとにもどそう、ものづくりの人工知能の解析などを通じて得た摩耗の正体は、リカバリー性も考慮された炭素結晶の競合モデル/CCSCモデルとして各学協会で講演されているようだ。

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