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2009/02/22

福知山グンゼ

Img_1994

福知山グンゼの倉庫は見といたほうがいいと、ネット上で勧められたけれど、見るべき倉庫ってこれかな。実に蔵な倉庫。波板トタンが張ってあるが、全体にれんが色に塗ってあるので、もともとはれんがかも。れんがだったらなかなかすごい建物だろう。

Img_1995

トタン倉庫のすぐ近くのコンクリートの建物。かなり古そうに見える。トイレかな。

Img_1996

これもグンゼの敷地内にある建物。寮か???実際のところ、この3物件の中では一番気になる建物。ちょっと学校風でもあるし。昭和10年ごろかな。


大きな地図で見る
A: 倉庫
B: トイレ?
C: 寮?

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コメント

初めまして★

ボトメを拾って頂き、ぁりがと-ござぃます♪

福知山グンゼって、結構有名なんですか??

どれも、古そ-な建物ばかりですねo

どうも、来ていただいてありがとうございます。書き込みもありがとう。

グンゼ福知山工場はそんなに有名ではありません。

グンゼはお隣の綾部が発祥の地なので、そちらが超有名です。たとえばこちらとかご覧ください(よそのページですが)

http://www.ayabun.net/minzoku/gunze/gunze.htm

ただ、近畿北部の主要な町にはたいていグンゼの工場があって、それぞれの工場にそれなりの建物が残っています。ま、このことって、結局のところ、絹がよかったころにばんばん工場作ったけれど、その後、絹が悪くなって設備更新もできずに古い建物が残ったという悲しい歴史でもあるのですけどね。

いつも古い資料感心しております。

今私は宮津のお殿さんが富士登山を富士宮口から登られたと言う資料を調べたいのですが。
方法を教えてくれませんか。

私が調べ方をお教えするという立場にはないような気もしますが、ちょっと調べてみました。とりあえずインターネットで調べるのが一番楽チンです。

この場合、「宮津 富士 登山」で検索するといろいろ出てきます。この件については、富士宮市にある資料に記述があるようですね。

しかし、これでわかったとはいかないところが、この件のおもしろいところ。富士宮の文書では大名を宮津藩主松平伯耆守としていますが、富士登山が1852年であったとすれば、このころの宮津藩主は本荘姓のようです。このことは、手元にあった宮城益雄著「宮津ええとこ」に記述があります。この本では近世の宮津藩主について4ページも割いているのに、登山の記述が一切ないことが大変気になります。こういうローカルな出版物は興味あるエリアであれば、手に入りそうなときに買っておくということも大事なことかもしれません。みやげ物屋ではこういう出版物がないかをチェックすべきでしょう。

宮津藩主が富士登山をしたという記述は宮津サイドでは見かけられなくて、富士宮サイドでのみ見かけられることから、宮津サイドでは松平伯耆守は宮津藩主ではないという判断をしているのかもしれません。

というわけで、宮津側には、宮津藩主が富士登山をしたということを否定する論文があるのかもです。「宮津市史」などをあたればこれに関する記述があるかもですね。

ということで、なかなか面白い事案ですね。いろいろと調べて楽しんでください。

早速に色々と教えて下さって有難う御座居ます。
調べてみます。

初めまして。
補足を少し・・・。
今でもこの福知山グンゼの敷地内に勤めています。
福知山グンゼは2010年3月に閉鎖され、現在工場は稼動していません。
一枚目の写真は旧繭倉庫。上のほうにグンゼの社章、鳩目マークがついています。おそらく、レンガではないと思います。コンクリートの土台で、壁は何だったか忘れましたが、木の床で、入口は鉄扉です。二棟とも地下一階、地上三階のような作りになっています。
地下倉庫(私たちはそう呼ぶのですが)はいらなくなった机、椅子、裁断機などで一杯です。養蚕農家から買い取ってきた繭を保管していた地上の倉庫は、現在不流動在庫などの保管場所になっています。(一つの階に6~8畳ぐらいの小部屋が7部屋ぐらいあります)
二枚目の写真は油倉庫です。暖房時期になると灯油等使いますので、それらが保管してあります。
三枚目の写真は旧女子寮です。現在は単なる更衣室です。昼食もこの部屋で食べます。工場が閉鎖したので今は二部屋しか使われていませんが、畳八畳ほどの部屋です。
福知山グンゼ全盛期には800人ほどの女工さんがいらっしゃったようで、この女子寮も一棟だけでなく、もっとたくさんあったそうです。
フェンスが写っているので、外から撮影されたんですね。工場閉鎖の際、もしかしたら女子寮や工場も解体されるかもしれないと思われた方が写真撮影にいらっしゃっていたそうですよ。現在でも解体されず、すべての建物が残っていますが・・・。

コメントありがとうございます。関係者の方から直接情報がいただけて感激しております。

繭倉庫は地上1階、地下3階とのことですが、地上部だけでもかなりのスケールです。それに地下3階となるとけっこうとんでもない建築物ですね。

油倉庫もよくわかりました。いろいろな工場に油倉庫と称する建物があるのですが、もひとつ意味するところがわかりませんでした。暖房用灯油などもこういうところに保管するのですね。

女子寮はばっちり見立て通りでした。木造として1棟で床面積がかなりあるということでも貴重だと思います。いまでは防火上の理由でこういう建物を建てることはハードルが高いです。

ご教示いただいた内容で、本項加筆することにします。どうもありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。

2011/07/03 に投稿した者です。
写真の女子寮に加え、組合事務所、正門付近の社宅などが
解体されることになりました。
古い建物の維持はやはり大変なのでしょうね。
なじみのある建物が解体されるのは少し寂しいですね・・・。

情報ありがとうございます。女子寮は特に残念に思います。門衛所は残るのですか?

そうですね、正門脇の警備室は残ります。
女子寮は解体されますが、昭和4年建築の事務所などは残ります。
歩くとギシギシ音の鳴る板張りの廊下が個人的には大好きでだったんですが…

あ、なくなるのは組合事務所であって、事務所ではないんですね、やっぱり。それで一安心です。

女子寮の中を歩かれたことがあるんですね。いいですね。

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