石原飛行場 情報取りまとめ
地図は「土掩体壕(旧海軍福知山飛行場)説明看板」[1]より引用。
福知山市にあった旧海軍福知山航空基地(石原飛行場)については2007年に搭乗員待避所の一部が切り取られて保存されて[1]以来、加速度的に調査等が進み、2009年6月には現地見学会も開催された[4][5]。また、2009年7月には地図や写真を冊子に取りまとめたものが発行された[6]。
現在までに明らかになっている遺構は以下のとおりである。
- 搭乗員待避所(一部)
搭乗員待避所は土地区に残されていたが、市の総合整備事業に伴って取り壊された。取り壊しに際し、地元が市に保存について働きかけ、一部が切り取られて日新地区公民館に保存されている。保存遺構のそばには石原飛行場に関する地図を含む説明版がある。[1][2] - 「紫電改」工場(基礎)
紫電改を作った言われる工場。成仁小学校の斜面下にある。このあたりから西の大池坂地区のあたりが工場であったという。[7] - 飛行隊指揮所
土地区の竹やぶの中にある。コンクリートの四角い建物。[1][5][7] - 誘導路、掩体壕
誘導路跡や掩体壕も確認できるという[8]が、詳細な位置は不明。ただし、飛行隊指揮所のすぐ北の道は誘導路跡と思われる。
飛行場で使われていた金網がイノシシの防護柵に使われている例もあるようだ[3]。
また、2009年7月には調査記録を取りまとめた小冊子が発行された。
旧海軍福知山航空基地(通称・石原飛行場)を中心に、現地見学や住民からの聞き取り調査などを続けている「中丹地域の歴史と文化を掘りおこす会」が、4年間の調査記録をとりまとめた小冊子「福知山に飛行場があった」を作った。滑走路や誘導路、高射砲陣地などを地図に示し、説明を加えている。
(両丹日日新聞, 2009.7.20[6]より引用)
この冊子、べねさんがたくさん注文されたようです。1冊400円らしい。たぶん、7月11日舞鶴ツアー参加者の方の分はあるでしょう。
- 福知山市教育委員会, 2008. 土掩体壕(旧海軍福知山飛行場)説明看板, WEB.
- 両丹日日新聞, 2007. 大戦中の石原飛行場跡 掩体壕の一部を保存, 両丹日日新聞, 2007.1.16.
- 両丹日日新聞, 2009, イノシシから農地守る旧海軍飛行場の金網, 両丹日日新聞, 2009.2.10.
- 両丹日日新聞, 2009. 旧海軍石原飛行場でフィールドワーク 指揮所など巡る, 両丹日日新聞, 2009.6.2.
- 両丹日日新聞, 2009. いまも威容、飛行隊指揮所 海軍福知山航空基地, 両丹日日新聞, 2009.6.8.
- 両丹日日新聞, 2009. 旧海軍石原飛行場の記録を冊子に 地図や写真も収録, 両丹日日新聞, 2009.7.20.
- 両丹日日新聞, 2009. ここで戦闘機を作った 旧海軍石原飛行場(上), 両丹日日新聞, 2009.7.21.
- 両丹日日新聞, 2009. ここは基地だった 旧海軍石原飛行場(下), 両丹日日新聞, 2009.7.21.
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こんばんは。福知山に出張中(といっても実家止まりですがw)
のべーさんです。
両丹に以前石原飛行場で使われていた金網が
今でも猪柵として使用されているという記事が載っていたのを思い出したので
一応貼っておきます。
http://www.ryoutan.co.jp/news/2009/02/10/000266.html
投稿: べーさん | 2009/07/30 18:45
あと、リンク先の一番下の記事を呼んでいて思い出しましたが、
わたしの祖母も石原飛行場へ機銃掃射をした艦載機を目撃しています。
畑仕事をしていたら、頭上を艦載機が飛んでいて、しばらく見ていたら、
急にUターンしたので、あわてて家に逃げ込んだとのこと。
後で聞いた話では、石原の飛行場にあった兵舎か何かの建物の屋根に
穴があけられたそうです。
投稿: べーさん | 2009/07/30 18:52
情報ありがとうございます。本文もアップデートしておきました。遺構も面白いですが、人の話も面白いですね。イノシシ柵のこととかべーさんのおばあさんのこととかは、人の話の世界ですね。このあたりのことも大事ですね。
投稿: nagai | 2009/07/30 19:12
〔山から飛行機が出てきた〕
以下は私が小学2年頃の話であるから記憶に少々誤りもあるかもしれないが、長年不思議に思っていたことが、今日発見した「福知山に飛行場があった」という報告書と、関連するインターネットの記事につながっているように思われるのでおしらせします。
終戦後まもなくのことであった。中筋村(現綾部市西部)の菅・安場から鳥が坪にぬける安場川沿いの道に、突如として見慣れない荷車の列が現れ、大きな荷を載せて福知山街道を曳かれていった。荷の一部は明らかに翼を外した小型飛行機の胴体と思われた。
私の生まれた中筋村は、山と川ばかりの農村で飛行機には無縁の土地と思っていた。山から飛行機が登場したことには驚き、その後も記憶に残り続けた。菅と安場の分岐点に、禿山・丸山などと呼ばれる高さ50メートルもない小山がある。麓に二つばかり洞窟が開いている。飛行機はそこに密かに隠されていたと推測する。しかし、それまでに出入りする物や人を見かけたことはなかった。私は後に、本土決戦に備えたものと解釈した。
また石原に飛行場建設があり、実際にがらがらの石が田んぼを埋めていたことは覚えている。昨年来話題の石原飛行場である。その完成時に備えて、飛行機が夜陰に紛れて搬入されていたのであろうか。
1940年生
投稿: 北村 虻曳 (きたむら あぶのぶ) | 2010/08/13 22:31
北村さん、はじめまして。よろしくお願いします。大変貴重なご報告ありがとうございます。あらたに項目を作ってお返事を書かせていただきました。
こちらを御覧ください。
綾部市菅の地下壕(石原飛行場関連施設)について
投稿: nagai | 2010/08/14 08:34
こんにちは
「敗戦三十三回忌―― 予科練の過去を歩く 宮田 昇 (著) 」
という本を読んで、ここにたどり着きました。
ちょっとした情報ということで、書き込ませて頂きます。
上の画像の赤で塗られている部分、実は高校時代、通学路として自転車で通っていた場所かもしれず、非常に感慨深いです。
本もいい本です。
ぜひ若い方にも読んでいただきたいです。
投稿: yoyuama | 2011/09/30 13:02