2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月

2009/11/29

misiXTeXにおける ブレイクスルー

Sumire1st

じゃーん。やっと、「すみれの花咲く頃」のファーストのパート譜が完成!ちゃんとタイも使ってるし、最後のところはタイとスラーを交互に使うという裏技で切り抜けた。タイって音程変わっても大丈夫なのね。っていうことは、別に使い分けることもないっていうか、最後のところみたいにスラーを表示したいときに使うべきって言うことなのかもしれない。

で、タイが使えるようになったのはくうくさんのご教示によります。どうもありがとうございました。M-txとpmx
をバージョンアップしたら何事もなかったかのようにタイができるようになりました。

ちなみにソース。

Meter: C Title: すみれの花咲く頃 (1st) Composer:作曲 Franz Doelle\\ 編曲 山本 雄三 Bars/Line: 5 Style: SOLO

U: @+4 \smallnotesize\metron{\qu}{76}
e+8 g4d b8 a4d | c8 a4d r8 f e f | e2 ds | e0 |

e8 g4d d+8 c4d | b8 d4d r8 d c b | a2 b | g2d g4 | a4 b8 c d4 c8 b |

c4d a8 g4d e8 | f a4 f8 e g4 d8s | e2d g4 | a4 b8 c d4 c8 b |

c4 b8 c a4 c | b8 c4 b8 a b4 d-8 | g2 of e-8 d c e |

U: \smallnotesize\metron{\qu}{112}
g2 { a | a } b4d g8 |

{ e0 | e4 } r e8 d c e | g2 { a2 | a } b4d g8 |

{ f0 | f4 } r a8 f e f | e2 { d2 | d } b+8 a g b |

a2 { g2 | g4 } r d+8 c b c | b2 a | d b |

a g | g8 o. g o. g o. r e+ d c e | g2 { a | a } b4d g8 |

{ e0 | e4 } r e8 d c e | g2 { c2 | c2 } d4d b8f |

{ a0 | a4 } r d8 c b c | d2 { c2 | c } a8f g f a |

b2 a | a8 o. a o. a o. r e d c e | g2 a | g a | { c0 |

( c } | { ef ) | { en } | e8 } r r4 r2 |]

2009/11/28

四手井綱英氏ご逝去

四手井綱英氏が亡くなった。97歳かぁ。

私が大学の4回生のときの学長で、卒業証書には学長として四手井氏の名前が入っている。ま、そういうことより、高校のときに林学というものを志すきっかけとなったのも、林学の中で森林生態を専攻するに至ったのも、四手井氏の影響である。学長として大学には来られたものの、作業服姿でうろうろされているのは良く見かけたが、結局、まとまった話をしたこともなく、これといった接点もなく卒業してしまった。

大学は、当時としては比較的活発だった学生会と、大学とのいざこざ収拾のため、そういうことが得意といわれる四手井氏を学長に抜擢したところもあったようだが、林学の牽引者としての四手井氏も活用して欲しかった。

著書はたくさん読んだが、講演も含め話は結局聴かずじまいだった。いまさらながら、残念なことではある。

合掌。

2009/11/27

サンインカンアオイの花期は?

11270001

結局、今週は、インフルエンザで全休。家で怠惰に暮らしているのであるが、夕べの体重は今年最低タイを記録した。さすがに病気だからか、じっとしていて筋肉が落ちてきたのか・・・ということで、ちょっと散歩に。

サンインカンアオイは春咲くのかという問題が提議されていて、秋に花が咲いていないことを確認できれば、秋咲きとなるが、秋に花が咲いていないということが確認できなければ春咲きとはいえない。「○○ではない」ということを立証することは難しいが、とりあえず観察することはできる。

というわけで、カンアオイの咲き具合を見てきた。結果は、蕾が1個見つけられたのみ。あとの株には葉の新芽がみられた。平成16年の台風以降、株数が激減しており、なかなか見つけられないということもあって、数をこなせないところがくるしいところ。反面、新たな産地もできていて消長そのものも面白いものがある。消長については林床の明るさとの兼ね合いもあるようだ。

というわけで、今回は花は確認できず。

2009/11/26

インフルエンザ

11260003

ま、そういうことです。熱は下ったが、下って2日は休むよう言われているので、今週は出勤せず。

2009/11/23

舞鶴戦争遺跡探訪会(2009.11.22)

11220028

とりあえずぎりぎり雨は降ってませんという天気ではあったが、倉梯山登山も敢行、午後は雨の中、第3火薬廠を回った。参加者は、午前、べーさん、横川さん、hiroさん、Iさん、私の5人、午後はIさんが抜けて、関本長三郎さんとFBWさんが加わり6名で回った。

倉梯山はとりあえず冒頭の建物が圧巻。なんとれんがサイズのコンクリートブロック造なのである。ブロックのサイズは219.3mm×105.8mm×55.6mmで厚めの山陽新型に相当する。浦入砲台のれんがの寸法219.6×105.0×58.4に大変近いことも気になる。LとWの寸法精度は高いが、Hにおいてはばらつきが見られた(54~58mm)。おそらくL×Wの枠にコンクリートを流し込んで作ったのであろう。→れんがの寸法表

屋根は失われているが、屋根組みは木造であったと思われる。

11220035

れんがの構造物もあった。これは地下あるいは半地下の構造物。指揮所のようなものか。れんがのサイズは210.3×99.7×60.0でJIS。かなり大きさのそろった寸法精度の高いれんがである。寸法そのものもJISからのずれが大変小さい。これで、第2次世界大戦中の海軍れんが構造物のれんがの寸法はJISであるということに確信を持てた。ただ、上記のコンクリートブロックの寸法との違いが気になるところ。コンクリートブロックとれんがの寸法は統一されていなかったのだろう。コンクリートブロックというかコンクリートれんがのJISってあるのかな。→れんがの寸法表

11220004

軍道は起点付近では幅員は優に5mはあり、舞鶴要塞砲台(陸軍)より広い。ただし、登るにつれて幅員は減少するような印象を得たが法面が崩壊してそういう印象になるのかも。

11220012

発電所と思われる構造物。

11220019

こういう掩蔽部や

11220022

こういうプールがたくさん見られた。

倉梯山防空砲台は、一番下部にある発電所から最奥のれんが構造物まで500m以上あり、かなり広範囲に遺構が分布している。まだまだ、見つかっていない遺構もありそうだ。

午後の第3火薬廠は、Iさんが呼び出してくれた関本さんの解説で回った。私としては特に目新しいものもなく遺構についての記述は省略。過去のこのブログにおける第三火薬廠に関する記述はこちら。ただ、覆土式火薬庫で冬眠しているコウモリをキクガシラコウモリと同定できたことが収穫か(別項で記述)。

引っ張り出して、説明いただいた関本さんありがとうございました。



キクガシラコウモリ

11220038

2009.11.22.舞鶴市白屋第三火薬廠跡の覆土式火薬庫にて。目の高さくらいで1頭冬眠中。前腕長60mmでキクガシラコウモリ。

11220041

ほかにもいたが、全部で8頭くらい。


2009/11/21

脱衣所の腰板貼り

11210001

イベントの木工教室用に製材所からもらってきた端材が余って、薪用に持って帰ってきたが、結構きれいな板で、嫁はんから脱衣所に貼ってほしいとリクエストされた。で、いざ仕分けしてみるとさすがに端材だけあって傷物が多く、選別品でもこの程度。

脱衣所の壁は猫の爪とぎで悲惨な状態になっていたが、無事リカバー。残っていた塗料とか使ったので、費用は0円。幅木が寸足らずなのは、それだけの長さの材がなかったから。ま、こんなもんか。ちょっと失敗したところもあって65点くらいかな。

2009/11/19

切手と辰野金吾とゴスロリと

1

三題噺ではない(と思う)。「メルク修道院と辰野金吾とゴシック建築」と書けばあまりに普通なのでちょっと三題噺風のタイトルにしてみた。

切手である。ちょっと前に職場に届いた封筒に貼ってあったもの。この封筒の中身については、本日、処理完了。じゃ、この封筒は処分してやれと思ってよく見ると辰野金吾風の建物が印刷してあることにはじめて気づいた。よく見ると「オーストリア」の文字も。で、調べてみるとメルク修道院らしい。っていうことは、これが辰野金吾の作風であるヴィクトリアン・ゴシック様式の元祖かと思ったけれど、メルク修道院はバロック様式らしい。この辺のところは、まったく理解できていません。

ヴィクトリアン・ゴシックっていうのはゴシックの一派ではないのかとかいろいろと調べているうちにゴスロリにぶち当たった。ゴスロリといえばコミック「もやしもん」の中で蛍が女装するときに着る洋服の様式である。こんなことも「もやしもん」を読んでいなければ知りえなかった分野。ゴスロリはゴシックロリータの省略形らしい。ロリータにもゴシックとかバロックとかあるらしい。もっとも、バロックロリータってあるのかと思ったら「ハローキティ ゴシックロリータバロックピアス」というのはある。もう、わけがわかりません。

こちら向きがゴスロリ姿の蛍

15274849ハローキティ ゴシックロリータバロックピアス

エマヴィクトリアンガイド

で、ゴスロリにはなんと「ヴィクトリアン」というジャンルがあって、「もやしもん」のゴスロリはどうも「ヴィクトリアン」に当たるような感じである。ということは、ヴィクトリアン・ゴシック??

とういうことは、東京駅も蛍もヴィクトリアンゴシックなわけかぁ。

ちなみにこちらはヴィクトリアンバロックらしい。ディスクオルゴール、472万5千円。もうわけがわからん。
Photo


舞鶴戦争遺跡を見て回ります(予告)

11010030

舞鶴市の海軍系遺跡の倉梯山防空砲台と第三火薬廠を回ります。

日時:11月22日(日) 10:00~16:00ごろ
集合:舞鶴高専前駐車場
行程:午前=倉梯山防空砲台、午後=火薬廠

いまんとこ私を含めて3~4人で回る予定ですが、興味のある方、一緒に回りましょう。希望者はメールください。

2009/11/16

KeyHoleTVを試してみた

Keyholetv

KeyHoleTV

我が家で地上波テレビが見られないということは、すでに何度も書いたことがあるが、くりらじの「週刊ネットリポート」という番組で、KeyHoleTVが紹介されており、気軽に地上波が見られるのならと試してみた。

視聴には専用ソフトをインストールし、このソフトに対してはファイアーウォールを開けてやり、しかもP2Pなソフトということで、ちょっといやな感じもしないでもないが、まあまあ見ることはできる。

とりあえず、NHKやテレビ東京を含むフツーのテレビ局は見れるが、ローカルなサンテレビなどは見られない。それと、たとえばNHKは仙台支局の放送で、天気予報とかは東北向けのものが見られる。

昨日は、高専ロボコンの地方大会のテレビ放送があったが、それぞれの地域でそれぞれの地方大会を放送するため、仙台支局の放送では近畿大会は見られない。結局、地上波ってローカルな放送がミソなのであるが、そこに対応できないのはつらい。結局、近畿大会の放送は公民館のテレビで嫁はんと見た(笑)。

しかし、まあ、地上波が見られるというのは見れないというよりは良い。昨日は夕方WTCCの岡山であったやつを見た。夜中にはスーパーGTのおそらく最終戦をしていたみたいだけれど、B4はリタイヤしたということを聞いていたし、見ずに早く(というかいつもどおり)寝た。

久々に、新聞のテレビ欄を物色するようになった。

2009/11/15

au Music Portの結末

au Music Port(aMP)はWindows7非対応で、対応の予定もないとのことで、Windows7RCをインストールして以来、W52SでPodcastを聞くのをあきらめて、グリーンハウスのKana-CLというシリコンオーディオを使っていた。軽トラはオーディオ入力端子があるので困らないが、インプレッサにはオーディオ入力がないので、Podcastは軽トラで聞くということになっていて、これがかなり不便ではあった。W52SはFMトランスミッター内臓なのである。

で、ふとaMPがWindows7に対応したかなとauのサイトをみるとなんとaMPが見当たらない。LISMO Port(LP)しかない。auでは今までaMPとLPを機種ごとに使い分けていたのである。で、LPのサイトを見ると、これから全機種LPでやるとのこと。Windows7は動作保証なし。ということはWindows7でも動くということか。

で、さっそくLPをインストール。操作感がaMPとだいぶちがうけれど、Windows7RC上でちゃんと動いた。PodcastもW52Sに転送成功。っていうか、mp3も問題なく送れる。aMPではmp3に対応していなかった(裏パッチで対応)のに比べるとかなりましなソフトである。

ということで、いままでなんとなくいびつな感じだったauの音声データソフトが統一され、すっきりしたのはいいことである。

2009/11/09

PEPSI Azuki

Sn3a0152_2

きのう(2009.11.8)、京都からの帰り、うわさのPEPSI Azukiを購入。

期待したより小豆味は薄味で、あとに尾を引かないさっぱりした味。もうちょっとねっとりかなと思ったが。

まあ、うまい。

2009/11/08

京都市内近代化遺産サイクリング

11080006

娘の冬用品を運搬する目的で京都市内へ出かけた。早めの昼食後、母娘水いらすの会話への妨害を避けるためお父さんは、娘の自転車で、市内サイクリングに出かけた。なぜか、自転車とリュックがカラーコーディネイトされているのであった。

11080005

とりあえず、本日の目標は堀川第一橋。娘の下宿からそちらへ向かうため鞍馬口通りを西進すると。おっと、スクラッチタイル張りまくりの建物(地図A)。こういうものに遭遇して簡単に写真を撮れるのも自転車ならでは。

なんか、やたら薄っぺらい建物。もう少し厚みのある建物だったのが「ファザード保存」されたのかも知れない。

11080009

鞍馬口通りから堀川通に出て、少し南下すると、堀川の流れにであう。堀川は今年(2009年)3月に親水公園的に改修されたばかり。で、この流れって既視感がある。なんだったけなぁと考えると、そうそう、舞鶴第3火薬廠の三面貼り水路だ。あれって、実に親水公園的だよなぁ。

11080018

で、無事、堀川第一橋(地図B)に到着。中立売橋、鶴嘴[3]とも呼ばれるこの橋は、明治6年[1](大正2年拡幅[5])の石造アーチ橋。二条城から御所への公儀橋[3]であった。おっと、これも、舞鶴の旧岡田橋に瓜二つ。

11080017

堀川第一橋のすぐ南側にあるコンクリートアーチ橋。現在は歩道橋として使われている。橋台はれんが積み。この橋台は市電の単線時代橋台らしい。この上を走っていたのは、北野線。1895年9月24日に中立売線の終着駅堀川下立売からこの橋台のある堀川中立売までが開通している。しかし、この橋のかかる向きは東西なので、北野線はこの橋までは堀川東岸を走りこの橋の手前で西に向きを変え北野を目指すことになる。堀川中立売の停留所は橋の東側にあったのか西側にあったのか知らないが、もし橋の東側にあったのであれば、この橋は1900年5月7日の大宮(中立売大宮)までの開通時から供用ということになる。

ところで、中立売線だけれど、中立売通りにかすりもしていないのに何故「中立売線」というのだろうか。「下立売線」なら納得できるのだけれど。中立売線が中立売通りを走っていたのなら線名も橋のかかる方向も大変に納得が行くのだけれど。

と思っていたら、こちらのサイト[4]で橋の方向については納得。そういうことなのね。

11080016

で、それのさらにすぐ南側にまたもやれんが橋台。これは市電の複線時代の橋台とのこと。これについてはれんがを実測。平均寸法は222.1mm×103.3mm×57.0mm。なかなか微妙なサイズ。「厚めの山陽新型」サイズに近いが少し長い。これに近いサイズは今のところ見当たらない。また、複線化がいつ行われたのかはよくわからない。

目地は平米地。隅石は江戸切りで豪華な橋台。れんがはイギリス積みかオランダ積みか判然としないが、とりあえず広義のイギリス積みとしておく。

11080021

ところで、この橋台につかわれているれんがであるが、よく見ると写真ではわかりにくいが釉薬が施されているようだ。釉薬つきのれんがは始めて見た。

11080023

堀川第一橋から少し下ると、こういういわくありげな建物(地図C)。梅香荘というアパートだが、もともとは 京都電気鉄道堀川変電所らしい。っていうことはようするに「市電」の変電所。ということは明治(1895年ごろ?)の建物か。れんがもちらっと見える。おそらくモルタルの部分もれんが造にモルタル塗りかな。元は全面れんがが露出していた可能性もある。自転車ならではの拾い物。

ヨーロッパとかでは築100年のアパートとかよくあるが、日本にも築100年以上のアパートがあるのである。しかもれんが造。

11080029

堀川下立売の交差点にあるこれも古そうな建物(地図D)。となりが下立売堀川郵便局なので、旧局舎かなと思われる。

ところで、この「下立売堀川」という郵便局の名称はかなり変である。一般にこの交差点は「堀川下立売」と呼ばれているはずだ。これのヒントは、先ほどの堀川第一橋のあたりにあった市電の堀川中立売駅にある。実は、堀川中立売駅は、1913年ごろから1918年ごろまで「中立売堀川駅」という駅名であった。したがって、おそらくこのころは「中立売堀川」という呼び方が一般的であったのかもしれない。ならば、下立売堀川郵便局ができたのは、ひょっとするとこのころで、旧局舎もこのころの建物ということになるのかもしれない。ただ、建物から受ける第一印象としては、1920年代後半、昭和初年ごろではある。

11080033

下立売通りを進むと、おっと、府庁だ(地図E)。写真を撮っていると、門衛さんが、きょうは中も見れますよと話しかけてくれた。ラッキー!

11080043

ということで、中も見せてもらった。旧知事室の中まで見せてもらえると思えば、国民文化祭準備室なんかがあったりして現役の庁舎なのである。平成16年、重文指定。

Sn3a0149

で、聖アグネス教会(地図F)。れんがも実測。寸法は215.5mm×103.0mm×52.7mm。これはギリ「山陽新型」かな。ここで、嫁はんとの約束の時間がせまり時間切れ。自転車の機動力は実に心地よかった。


大きな地図で見る

れんがの寸法のとりまとめはこちら

参考文献

  1. 回遊日記, 2006. 中立売橋. WEB.
  2. 平尾慶介(監修), 2009. 日本鉄道旅行地図帳(9), 関西2. 新潮社.
  3. カンナ, 2009. よみがえった堀川. WEB.
  4. 中村浩史, 2000-2005. 京電・中立売線の廃線跡探訪, 堀川中立売付近. WEB.
  5. 高橋伸一, 旧京都電気鉄道 旧中立売橋梁. WEB.

2009/11/03

9条連やまぐち編 「舞鶴に学ぶ 平和額集会講演録」

1

11月1日に関本さんから購入した講演録。関本さんの火薬廠に関する講演をはじめ、浮島丸事件や引き揚げのことなどの講演録で、舞鶴における戦争の歴史が俯瞰できる。下関においてこのような冊子が発行されているというのが意外な感じではあるが、私としては下関のPodcast局「くりらじ」のリスナーでもあり下関と聞くと親近感がある。9条連というからにはやや左寄りか。

ところで、この冊子のこの写真。

20091103a

こちらの私の写真のパクリである。

20081214f

おお、私の写真もパクられるまでになったかとやや感動しながらも(笑)、プロフィールにメールアドレスを掲載しているのだから、メールのひとつでもいただけたらなぁと、残念。

2009/11/02

海軍第三火薬廠

11月1日、舞鶴のIさんと、『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』の著者である関本長三郎さんと3人で舞鶴市朝来の第三火薬廠跡に行った。ほんとは、この日舞鶴市主催の火薬廠をめぐるハイキング会が予定されていたのだが、午後に雨が降るという予報があったため中止となった。しかし、Iさんからせっかくだから火薬廠に行こう、関本さんも誘ったと電話があり、10時に舞鶴へ。関本さんの案内で2時間程度火薬廠を回った。

11010001

まずは、通称「ロシア病院」の砲熕谷の建物(地図A)。これについては、既述

11010003

通称「二重倉庫」の乾燥谷にある覆土式火薬庫(地図B)。体育館のような蒲鉾型の構造物で、奥行きが69mもある。ここの最大の特徴は、2重構造になっていることである。これは地下式の火薬庫なので結露を避けるためと考えられる。なんせ、乾燥谷にあるんだし。

11010011

覆土式火薬庫の外殻と内殻の間の隙間にある通路で見つけたおそらくキクガシラコウモリ。確認したのはこの1頭のみであるが、おそらくもっと暗い構造物の最上部の隙間にはけっこういるのかもしれない。

11010013

乾燥谷の火薬乾燥場の建物(地図C) 。これと同じものが他に2棟ある。コンクリート造で、煉瓦の壁(ま、カーテンウォールということになる)という構造。赤れんが博物館は鉄骨造で煉瓦の壁だが、おなじような考え方。

11010015

煉瓦はイギリス積みだが、最上部のみ煉瓦がタテに積まれている。意匠上こうしたのか、あるいは、寸法あわせのためこう積まざるを得なかったのか。後者の可能性が高いのでは。

れんがの寸法は実測平均で、211.7mm×101.0mm×57.4mm。現在のJISである。同じく1940年代の建物である峰山飛行場の構造物もJISであった。この時期の海軍の建物はJISと見てよさそうだ。

11010020

徘徊中の同行者たち。3人写っている。ハイキング会は中止になったが天気がよくてじっとしていられず1人で回っているという方と出会い4人でうろついているところ。

11010025

乾燥谷から流れ出てくる水路(地図D)。石張りによる見事な3面張りである。老朽化で水が下に抜けていて水路としては機能していないが、この美しさは水路というものを超越している。

11010030

門ではなかったかとされる「トンネル」(地図E)。防爆壁として築かれた築堤を穿つかたちで造られている。「トンネル」といっても、築堤の切通に構造物を作り覆土したものなので、造り方としては「橋」の造り方である。このような場合は、起拱点(ききょうてん、スプリンギング)以下は「橋台」なので、通常は直の立ち上がりとなるが、この物件では、スプリンギング以下も丸みを帯びた「トンネル」型の断面形状である。使用形態から見れば、この構造物は「橋」ではなく「トンネル」なので、トンネルの記号としてこの断面を用いたのではとしか考えられない。

防爆壁を穿っていることから、防爆壁に囲まれたエリアに侵入するための通路として設けられ、頑丈な門扉で閉ざすことによって連続した防爆壁を形成することを目的としたトンネルなのであろう。とするとこの防爆壁の中は火薬の実験場のようなものであったのかもしれない。

11010031

最後にグリーンスポーツセンターで見かけた橋(地図F)。幅員がかなり広いので疑問もあるが、古いものなので火薬廠関連の橋の可能性が高い。

というわけで、かなり多彩な構造物を見て回ることができた。そしてなにより関本さんと知り合えたのが最大の成果。ありがとうございました。


« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

他のアカウント

葦浦史穂の本


最近のトラックバック

adsense