海軍第三火薬廠
11月1日、舞鶴のIさんと、『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』の著者である関本長三郎さんと3人で舞鶴市朝来の第三火薬廠跡に行った。ほんとは、この日舞鶴市主催の火薬廠をめぐるハイキング会が予定されていたのだが、午後に雨が降るという予報があったため中止となった。しかし、Iさんからせっかくだから火薬廠に行こう、関本さんも誘ったと電話があり、10時に舞鶴へ。関本さんの案内で2時間程度火薬廠を回った。
まずは、通称「ロシア病院」の砲熕谷の建物(地図A)。これについては、既述。
通称「二重倉庫」の乾燥谷にある覆土式火薬庫(地図B)。体育館のような蒲鉾型の構造物で、奥行きが69mもある。ここの最大の特徴は、2重構造になっていることである。これは地下式の火薬庫なので結露を避けるためと考えられる。なんせ、乾燥谷にあるんだし。
覆土式火薬庫の外殻と内殻の間の隙間にある通路で見つけたおそらくキクガシラコウモリ。確認したのはこの1頭のみであるが、おそらくもっと暗い構造物の最上部の隙間にはけっこういるのかもしれない。
乾燥谷の火薬乾燥場の建物(地図C) 。これと同じものが他に2棟ある。コンクリート造で、煉瓦の壁(ま、カーテンウォールということになる)という構造。赤れんが博物館は鉄骨造で煉瓦の壁だが、おなじような考え方。
煉瓦はイギリス積みだが、最上部のみ煉瓦がタテに積まれている。意匠上こうしたのか、あるいは、寸法あわせのためこう積まざるを得なかったのか。後者の可能性が高いのでは。
れんがの寸法は実測平均で、211.7mm×101.0mm×57.4mm。現在のJISである。同じく1940年代の建物である峰山飛行場の構造物もJISであった。この時期の海軍の建物はJISと見てよさそうだ。
徘徊中の同行者たち。3人写っている。ハイキング会は中止になったが天気がよくてじっとしていられず1人で回っているという方と出会い4人でうろついているところ。
乾燥谷から流れ出てくる水路(地図D)。石張りによる見事な3面張りである。老朽化で水が下に抜けていて水路としては機能していないが、この美しさは水路というものを超越している。
門ではなかったかとされる「トンネル」(地図E)。防爆壁として築かれた築堤を穿つかたちで造られている。「トンネル」といっても、築堤の切通に構造物を作り覆土したものなので、造り方としては「橋」の造り方である。このような場合は、起拱点(ききょうてん、スプリンギング)以下は「橋台」なので、通常は直の立ち上がりとなるが、この物件では、スプリンギング以下も丸みを帯びた「トンネル」型の断面形状である。使用形態から見れば、この構造物は「橋」ではなく「トンネル」なので、トンネルの記号としてこの断面を用いたのではとしか考えられない。
防爆壁を穿っていることから、防爆壁に囲まれたエリアに侵入するための通路として設けられ、頑丈な門扉で閉ざすことによって連続した防爆壁を形成することを目的としたトンネルなのであろう。とするとこの防爆壁の中は火薬の実験場のようなものであったのかもしれない。
最後にグリーンスポーツセンターで見かけた橋(地図F)。幅員がかなり広いので疑問もあるが、古いものなので火薬廠関連の橋の可能性が高い。
というわけで、かなり多彩な構造物を見て回ることができた。そしてなにより関本さんと知り合えたのが最大の成果。ありがとうございました。
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まだ見たことがない遺構ばかりでうらやましいです。
いつかは見に行きたいですねぇ。
山中にはまだまだ遺構が残ってそうですね。
投稿: べーさん | 2009/11/03 09:49
次回はおそらく12月23日に行くとおもいますので、雪がなければご一緒にいかがですか。
投稿: nagai | 2009/11/03 16:40
ここに書きますけど、バクチ岬の灯台に行った人のブログありました。
もうご存知ですかね。
これを見た感じでは、旧海軍の遺構はなさそう?
でも、灯台は大正期のままでしょうか?
投稿: べーさん | 2009/11/13 16:03
http://egf.air-nifty.com/expedition/bakuchizaki_dento.html
コースの情報は入っています。上リンクの一番下の地図で到達できると思います。行きましょう。
投稿: | 2009/11/13 20:57
たびたびすいません。
リンク先の豊川海軍工廠跡地を見学された方のサイトを見ていたら、
舞鶴第三火薬廠と似通った施設がいくつかありますね。
土塁に空けられたトンネル状のコンクリートの入り口、
レンガ造の建物、二重波型と錨マークのある消火栓。
豊川海軍工廠は昭和15年頃の完成だそうですが、
昭和10年代後半ごろの軍需工場は規格化されていたんでしょうかね。
それにしても、この豊川海軍工廠跡地、興味深い・・・
空襲で多くの方が亡くなっているのでちょっと気が引けますが・・・
投稿: べーさん | 2009/11/17 16:27
豊川のトンネルは、立ち上がりが直のこのパターンとしては定石の設計ですが、舞鶴のトンネルは本当にトンネル断面なのがなぞです。レンガの建物も小口積みにも見えるし、逆に消火栓以外は統一感がないという印象を受けました。
投稿: | 2009/11/18 02:19