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森林インストラクターの研修会で山南町を訪れる機会があり、いくつか興味深い建物も見つけた。
まずは、JR谷川駅(地図A)。基本的には昭和13年の竣工であるが、かなり増改築されている。昭和ヒトケタのころの駅舎(たとえば但馬三江駅)に比べるとかなりすっきりした洋風に見える。
特に木材に施されたこのチョウナ跡のような杉綾の意匠は、チューダー風というか山小屋風を感じさせ、洋風感を際立たせるように感じる。
壁面も一部はこんな感じ。
駅前旅館の萬年楼(地図B)。駅と同じころの建物だろうか。
この萬年楼、瓦が実にユニーク。菱形である。素材はモルタルか?こんな瓦を見るのは始めてである。スレートなどの石瓦では鱗形の派生として菱形に葺くこともあるが、そういう吹き方とは全く次元のことなる菱形瓦である。新築時にはかなりおしゃれに見えたのではないか。
駅前のタクシー会社の建物(地図C)。駅前の交通系建築の様式のようなものを感じる。
午後は一転して丹波竜発見地。ここには旧上久下村営発電所(1922年)がある(地図D)。オランダ積みのれんが建築。れんがの寸法は223.5mm×106.0mm×58.3mm。いちおう「厚めの並型」に区分出来そうだが、「厚めの並型」としては現時点で最大の寸法となる。長さにバラツキが大きかったので再測定したい。
このれんがは輸入品という話を研修会に参加された方からお聞きした。となると、「厚めの並型」は輸入品からの規格とも考えられなくもない。ただ、れんがが終焉を迎えようかという1922年にいまさら輸入れんがを使うだろうかという疑問もある。とくに、日本標準規格(1925年)制定直前でれんがの寸法も、「厚めの山陽新型」やこの「厚めの並型」に収束しようとしている時期なので、寸法的にも輸入れんがである根拠は薄い。ま、指定寸法通りに納品したということなら寸法と輸入品かどうかは関係ないのだが。(れんがの寸法表)
屋根組は木造。近年、新しい材料で復原されたようだが、おそらく当初からこういうトラスだったのだろう。煉瓦造としては標準的。
1922年に発電所を作って電気を引いたというのは、かなり進歩的であったのではないだろうか。ただ、1922年にれんがというのは当時としては決して進歩的ではない。保守的というよりは、れんがが発電所のステロタイプだったのかもしれない。
twitterで和田山の多田スミスに中学校の建物が残っているという情報を聞き、本日(2010.3.12)現地を覗いてきた。
あったあった。最初の写真は、事務所棟と思われる建物。渋いファザード、古い感じの野郎軒瓦(継ぎ目を隠す○(巴)がないタイプ)から、戦前の建物の匂いがするが決め手はない。
そして、体育館。当初は瓦葺きだったのだろう。妻面の通気口の意匠が事務所棟と同じである。壁面は窓まわりの重厚な感じと、それ以外の軽い感じがおかしなテイストである。ひょっとするとRCと木造モルタルの混構造だったりして。いや、RCと鉄骨の混構造というところか。昭和10年代っぽい印象を受けるがこれも決め手がない。
そして最後は木造校舎。これも、もとは瓦葺きだったのだろう。戦前かな。ただ、他の2棟と建物の思想が異なるようにみえる。あまりにも質素だ。資材の統制令が出た昭和12年より後と前という推理も可能だが、決め手となる資料が何もない。
この物件の近所の加都在住のK君に竹田中学校跡だと電話で教えてもらった。現在54歳位の人が最後の生徒とのことなので、昭和40年代前半頃に廃校となったと思われる。
===2010.3.15 付記===
和田山中学校 沿革によると竹田中学校廃止の経緯は下記のとおり。
昭和42年4月1日 | 糸井、大蔵、竹田、和田山の4中学校が統合し、各校名を廃止し、それぞれ和田山中学校糸井、大蔵、竹田、和田山校舎と称す |
昭和44年3月16日 | 竹田校舎、閉校式を挙行、元校舎跡に記念碑建立。 |
SS7: No tactics - Solberg keeps his lead
なんと久しぶりだろうか。ペター1位。いきなり1位になって、いつ落ちるのかとひやひやしながら順位表を眺めていたが(徹夜して眺めていたわけではないが)、なんとかDAY1は1位で終えそう。2位オジェ。3位ローブ。
ヒルボネンは路面掃除役だったらしく6位。ライコネンはまたコースアウトしたらしく、トップから30分以上遅れている。
オジェはスウェーデンでも速かったが、どうもホンマモンのようだ。
DAY2ではペターが掃除役になるのかな?ちょっと心配だが。
P-WRCは新井はまだDAY1を走り終えていないが、現在2位。
17年ぶりに「大津波警報」を発令した気象庁の関田康雄地震津波監視課長は1日の記者会見で、「結果として予測が少し過大だった。警報が非常に長く継続し、不便をおかけした」と謝罪した。
過大を詫びるべきだっただろうか。しかも、1.2mと3mはそんなに異なる数値なのか。今回、謝罪したために、気象庁にブレーキがかかる事になるとしたら、そちらの方が問題では。
こと津波に関しては、過大で十分。過小だと困るのだ。せっかく自由に過大な警報を出せる環境にあったのに自ら足かせをかけてしまうとは・・・。私としては、よくぞ過大な警報を出した、よくやったと思っていたのにである。
ちなみに、写真は5年前、地震情報企画官時代の関田氏。当時の山本地震津波監視課長の代役?で記者会見デビューごろの写真だ。やっぱ、記者会見は地震津波監視課長の役目なんだなぁ。
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