陸軍福知山衛戍病院の基礎のれんが
去年の8月の台風で福知山の伯耆丸公園の北東斜面が崩壊し、現在復旧工事が行われているが、工事の都合で一部に切通が設けられている(下の地図A)。きょう、マンドリンクラブ練習で伯耆丸にある勤労青少年ホームに行ったついでに切通を見てきたところ、陸軍福知山衛戍病院の基礎と思われるれんがが見られた。
衛戍病院の建物はべーさんのサイトから不許可転載するとこんな感じで木造である。
伯耆丸の麓にある医師会館の一部が衛戍病院の一部と見られているが(こちら)、その基礎はれんがである。
というわけで、切通に見られるれんがは、衛戍病院の建物の基礎と見て間違いなさそうである。近代の建築とはいえ、それほどデータの蓄積もあるとはいえないのであるから、今回の工事に合わせて発掘調査が行われてもよかったのではないかと思う。
2010.4.11 付記
2010.4.10、レンガの寸法を測定してみた。サンプル数が確保できないうえに、欠けているものが多く、また、手が届かないなど十分な測定はできなかった。とくに、長さはひとつも測定できなかった。
結果は、L:? W:104.5mm H:53.4mm。医師会館はL:222.6mm W:107.3mm H:55.0mmだった。なんとも言い難いが、まったく異なるというわけでもない。もう少し、寸法にあたれれるチャンスを狙ってみる。
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コメント
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これは知りませんでした。福知山に帰ったときに見に行ってみよう。
近代の遺構は考古学的にまだまだ調査対象とならない場合がありますからね。
以前、旧福知山女学校のあった場所の発掘調査に行ったとき、
福知山女学校時代の校章入りの瓦を見つけたのですが、
持って帰っていいと言われて持ち帰ったことあります。
地元の近代史の資料としてはそれなりのものと思うんですけど。
しかし、伯耆丸自体は福知山城の曲輪の一部なので、十分調査対象になるはずですけどねぇ。
投稿: べーさん | 2010/04/04 12:22
あ、コメントありがとうございます。
そうか、福知山城の一部でしたね。こんな掘削が許されるのかっていう感じですね。
で、但馬みえ、ゲットできましたか。私は、とりあえず買うつもりはありませんがw
投稿: ageee | 2010/04/04 13:00
補足ですが、近代の遺構の発掘としては、旧新橋駅が有名ですが、兵庫県でも姫路駅構内で発掘調査が行われ、転車台などを検出しています。
投稿: ageee | 2010/04/04 13:02
舞鶴ロシア病院の詳しい場所を知っていたらお知えて下さい
投稿: パーロン | 2010/04/09 15:21
ロシア病院については、こちらで地図入りで紹介しています。ご覧下さい。
投稿: ageee | 2010/04/09 18:58