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2010/05/01

舞鶴第三火薬廠 砲熕谷22工場の奥部の遺構

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俗に「ロシア病院」とよばれる砲炸薬成形工場(上の写真)は、けっこう知られているが、これの奥部の遺構についてはあまり語られることがない。きょう(2010.5.1)、息子を寮に送り込んだついでに、砲熕谷の奥部を探ってみた。

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奥側の「ロシア病院」のすぐ奥に、この「粉薬一時置場」がある(地図A)。進駐軍に接収されたときに振られた番号が394番である。これは、関本さんの本「住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠」の裏表紙にイラストで描かれている遺構である。

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内部は、こんな感じで、「ロシア病院」と同じ内装プランである。

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粉薬一時置場の北側には木造建築のコンクリート基礎があった(地図B)。で、さらに奥部を目指すと

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乾燥谷にあったのと同様のトンネル(地図C)。その奥には392棟が見える。

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そしてこれが392棟、爆薬庫である(地図D) 。こちらは、扉や内装など、鋳造成形工場の爆薬庫411棟と酷似している。

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これが392棟の内部。腰板や天井の造作が411棟と同一。内部は水がたまっている。

Img_0833
392棟の北面。どうやら迷彩が施されているようだ。いままで、気がつかなかったが、411棟の写真をよく見るとこれとは違うタイプ(作風(?))の迷彩が描かれている。

というわけで、砲熕谷の遺構を3つ追加することができた。


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近代化遺産-第三火薬廠」カテゴリの記事

コメント

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しかし、これらの遺跡は凄いですね。わがフィールド(枚方、八幡、交野近辺)にはこれほどのスケールのものはまったくありません。

壁に記されたナンバーがなぜか非日本的で、旧ソ連時代のウクライナあたりの化学兵器工場の跡地の如き相貌です。あるいは、タルコフスキーの映画に出てくる廃墟という感じですかね。

トンネルの気配もなんとも不気味で、わが悪夢に滲み出してきそうです。

コメントありがとうございます。

おっしゃるように、この数字のフォントの出すおかしな味が、この廃墟群を引き締めている感じがします。戦争に負けて、旧日本軍は各所で、接収される建物や装備のリストをペンキの1缶まで作成し、受けた進駐軍側は、自分らでリストを作り直して番号をふり、現物に番号を振っていった。

この数字が日本としては負けた象徴であり、進駐軍としては勝った象徴なんだけれど、この控えめさは何?っていう感じですね。最後にこのフォントでデザインをまとめてみました感がある。

まわりの雰囲気とともに、実に御手軽に別世界感、浮遊感が楽しめる場所です。

実は1日に東舞鶴へ行っておりましたw
護衛艦見学でしたが、第三火薬廠に行かれているのなら、
私も行けばよかった・・・

この394粉薬倉庫は「京都の戦争遺跡をめぐる」に載ってたヤツで、
見たかった建物です。

あと、392倉庫のある場所の防爆土塁とトンネル。これはまさに火薬廠らしい遺構ですね。
これもいずれ見てみたい・・・

現地はだいぶ藪でしょうか。

そんなに藪という感じでもなかったですよ。ロシア病院から下は刈払いが行われたようです。ロシア病院から奥はちょっと藪ですが、基本的に道路はコンクリート舗装なので、特に394棟から奥は快適です。つまり、ロシア病院と394棟(これはほんとに目と鼻の先です)の間がちょっと藪なだけなのでした。

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