舞鶴 海軍第三火薬廠 向砲熕谷の地下式火薬庫に入った
5月5日にこの遺構を見つけたのだけれど、水が深く溜まっており、長靴では無理で中に入るのは諦めたのだが、その後、べーさんのご教示などにより、ウェダー(胸までの長靴)を購入し、6月5日に中に入ってきた。
結論から言うと、この遺構はこんな感じだった。
手前のファザード部はW=5m L=十数m、奥の本体はW=8m L=25m(すべて目測)というところだった。
天井部。
この天井部の写真を見ると、鉄板あるいはブリキのようなものが貼りつけてある。しかも、全面を貼ろうというのではなく、ある形に貼ってあったような感じである。よくわからないが、すこし興味深いところである。
YouTubeにもアップしました。あわせてご覧下さい。
黄色が入った火薬庫
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「近代化遺産-第三火薬廠」カテゴリの記事
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探索お疲れさまでした。大きさはありますが、内部構造は結構単純なんですね。
動画でも指摘されてましたが、結露がひどかったんでしょうか。
薄い金属板で内側を覆っていたのは、結露に対する苦肉の対策だったんでしょうかね。
しかし、このたまった水、結露のせいなのか湧き水のせいかそれとも雨水のせいかわかりませんが、
ひどい状況ですね。現役当時から悩まされていたのなら、弾薬庫としては確かに使いものにならない。
もし、二重倉庫がその失敗を考慮して作られたのなら、今回の弾薬庫は二重倉庫より古いものになるはずですが、
第3火薬廠の作られたのが昭和17年だとしたら、建築年の差はほんの1年か2年しかないはずで、
その間に改良したんでしょうか。
投稿: べーさん | 2010/06/06 18:22
コメントありがとうございます。
ま、火薬庫か弾薬庫か資材置き場かよくわかりませんが、水が溜まっているのは湧き水のせいです。たいへん透き通ったきれいな水が溜まっています。トンネルの前の川が運んできた土砂が堆積して、トンネル入口に土手を作ってしまい、それで水がたまったということのようです。
地下式倉庫というのは、基本的に空襲対策なのだとしたら、少々、湿気っていても仕方がないという事だったのかも知れません。となると、高専の駐車場にあるトンネル式火薬庫にも入って結露状況など見てみたいところです。
建設にも時間がかかったはずですから、この火薬庫と二重倉庫は、ま、同時並行的に作られたのでしょうね。それなりの役割分担があったのかも知れません。空襲対策で、とにかく穴をほれということならば、こちらの火薬庫のほうが後という考え方もできますね。
投稿: nagai | 2010/06/06 21:17