綾部市菅の地下壕(石原飛行場関連施設)について
2009年7月29日の書き込み「石原飛行場 情報取りまとめ」にコメントをいただきました。
〔山から飛行機が出てきた〕以下は私が小学2年頃の話であるから記憶に少々誤りもあるかもしれないが、長年不思議に思っていたことが、今日発見した「福知山に飛行場があった」という報告書と、関連するインターネットの記事につながっているように思われるのでおしらせします。
終戦後まもなくのことであった。中筋村(現綾部市西部)の菅・安場から鳥が坪にぬける安場川沿いの道に、突如として見慣れない荷車の列が現れ、大きな荷を載せて福知山街道を曳かれていった。荷の一部は明らかに翼を外した小型飛行機の胴体と思われた。
私の生まれた中筋村は、山と川ばかりの農村で飛行機には無縁の土地と思っていた。山から飛行機が登場したことには驚き、その後も記憶に残り続けた。菅と安場の分岐点に、禿山・丸山などと呼ばれる高さ50メートルもない小山がある。麓に二つばかり洞窟が開いている。飛行機はそこに密かに隠されていたと推測する。しかし、それまでに出入りする物や人を見かけたことはなかった。私は後に、本土決戦に備えたものと解釈した。また石原に飛行場建設があり、実際にがらがらの石が田んぼを埋めていたことは覚えている。昨年来話題の石原飛行場である。その完成時に備えて、飛行機が夜陰に紛れて搬入されていたのであろうか。 1940年生
投稿: 北村 虻曳 (きたむら あぶのぶ)
大変貴重な報告、どうもありがとうございます。このあたりは、飛行場から離れていてあまり検討していませんでしたが、記録があります。第2復員局 引渡目録「福知山」というもので、アジア歴史資料センターで閲覧できます。こちらからリファレンスコードC08011215400で検索してください。
該当画像を掲載しておきます。クリックすると大きくなります。
ちょうど、北村さんのおっしゃる「禿山、丸山」あたりに地下壕らしきものが描かれています。説明もあるのですが字が潰れていて読めません。「完成」の文字は読めるので、昭和20年8月20日現在で完成していたものと思われます。
また、福知山航空基地引渡目録(昭和20年9月)(リファレンスコード C08011074200)によれば、「綾部市野田山中」に99式25番通常爆弾(250kg爆弾)190発(!)が保管されていたことになっていますので、ひょっとすると爆弾と航空機の胴体を誤認されたことも可能性としては考えられます。
石原駅のすぐ東側、山陰線と府道8号の間に石原飛行場の第2滑走路がありました。この地下壕は第2滑走路関連の施設と考えられます。
石原飛行場は海軍の施設で、どちらかと言えば舞鶴の防空を担っていたと考えられ紫電(紫電改ではなく)が配備されていました。
この地下壕は現存するのでしょうか。現存するのなら一度探索したいと思います。
ところで、北村さんの記述の中に、「突如として見慣れない荷車の列が現れ」というのがありますが、吉村昭の「零式戦闘機」にも牛車で零戦の試作機を工場から飛行場まで運んだという記述があるのを思い出しました。当時の最高ハイテクの戦闘機を荷車や牛車で運んだというのは興味深く感じます。
【訂正】
「紫電(紫電改ではなく)」と書きましたが、紫電改も2機配備されていました。上述の福知山航空基地引渡目録(昭和20年9月)によれば、昭和20年9月現在で、紫電11型4機と紫電21型2機が福知山航空基地にあったことがわかりますが、このうち紫電21型というのは紫電改のことでした。Wikipediaに記述があります。
紫電改というのは正式名称ではなく、紫電21型というのが紫電改の正式名称なのですね。というわけで、訂正します。
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