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2011年7月

2011/07/31

教育委員会所管の基準点

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きのうから琵琶湖湖畔にいる。もっと正確には瀬田川河口、街歩きが面白そうではなさそうなところだ。でも、時間があるのでうろついてみる。

瀬田川の河川距離標やら瀬田川と琵琶湖の管理境界標識やら、ま、そう珍しいものでもないなと思いながら歩いていて見つけたのが写真の基準点。

ただの3級基準点ではない。滋賀県教育委員会所管の基準点である。いったい、どんな理由で教育委員会が基準点を設置しなければならないのか。研究機関が研究目的で設置したのか。

と、思って改めてあたりを眺めるとボートだ。そう、ここは県立漕艇場なのであった。漕艇場といってもただの川だが。で、競技のための位置決めのため、基準点が必要だったのだろう。河川と言う開かれた場所でなおかつそれなりの精密さが必要、という微妙な要求仕様の落としどころが基準点だったのだろう。

ということで、珍しくてなおかつ実に琵琶湖的な基準点だと言える。

2011/07/30

JR姫新線 高梁川橋梁

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まだまだ、新見の話。新見の街中にある姫新線の高梁川橋梁(地図A)である。1928年完成。

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かなりカーブしている橋である。プレートガーター橋である。橋脚はコンクリート。豊岡市のKTR旧円山川橋梁は1929年で石積であったことから見るとやや先進的とも見える。しかし、座屈防止補鋼材が[型をしているのでこの橋梁はポーナル型プレートガーター橋に分類できる。ポーナル型はイギリス人技師チャールス・ポーナルが設計した型式で、1889年ごろの作錬式と1897年の作30年式と呼ばれる型式の2種があるがいずれも明治の型式である。岡山県では津山線に多くみられるが、1928年の高梁川橋梁にこの明治の型式が使われていることは不思議でさえある。

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プレートは例によってペンキがコペコペに塗り込めれていてほとんど読めないが、「昭和三年 卯契橋807號 活荷重E30 鐵道省」と読めるらしい。このE30というのはクーパー荷重と呼ばれるもので、1909年に初めてクーパー荷重によるE33という基準が設定された。高梁川橋梁はE30という少し低荷重の基準を使っているものの、明治末期のアメリカ式の先進的な設計基準と明治中期のイギリス式の古臭いポーナル型という型式のおかしなハイブリッドがなされているのである。
(写真はいずれも2011.7.26撮影)

1912年竣工の旧余部鉄橋はクーパー荷重E33を用いて設計されている。E33制定は1909年6月17日、旧余部鉄橋着工は同年12月16日でこの点では整合性はあるが、三浦, 岡村(1912) にある構造図に"March 1909"の書き込みがあり、旧余部鉄橋はややフライング気味にE33を使って設計を始めていることがわかる。つまり旧余部鉄橋はクーバー荷重を用いた最初の鉄橋のひとつであると言えよう。

三浦次郎, 岡村信三郎, 1912. 山陰鉄道餘部高架橋工事概況. 工学会誌, 350: 167-176.


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2011/07/29

お食事処「里」

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岡山県新見市の高梁川の明らかに河川敷にあるお食事処「里」である。ま、実態はいわゆる一杯飲み屋。この建物の立地に関する法的検討については考えたくもないが、火曜日に敢行した聞き取り調査によれば、昔は他にもいくつかの建物が建っていたというから、いろんな意味で「流された」のであろう。

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写真は聞き取り調査中の調査団。見たことのある人が写っているように見えるがもちろん他人のそら似であることは言うまでもない。

さすがに、好立地なだけに気分は最高。いってしまえば鴨川の床と変わるところはない。

カッパという特殊な部位の千屋牛の塩焼きも美味だったし、自家製餃子もなかなか。最後はあっさりした塩ラーメンで締め。

写真上は2011.7.25、下は2011.7.26撮影

2011/07/26

新見市 佐々奈美精肉店

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新見の街も鉄道を嫌った街のようで、駅はもともとの街の中心部から離れたところにある。駅から見れば、東側の「川向こう」に古い町並みがある。

江道橋を渡ったところに木造モルタルの看板建築風の建物が3軒あるが、そのうちの1軒がこの佐々奈美精肉店(地図A)である。

看板建築の文法に忠実なこの建物であるが、つい顔がにやけてしまうのは、やはり「肉」のせいか。

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ここは地元ではコロッケで有名でスナックのネーちゃんもちゃんと知っている。女学生の友なのである。

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お品書きはこんな感じ。全般に良心価格であるがカツ系が安い感じがする。量がわからんけど。

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というわけで、肉コロッケ(写真)とカレーコロッケを購入。注文してから揚げるシステムなので少し待たないといけない。揚げたてはコロモがカリカリで極めて美味しかった。

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ちゃんと土産物屋ではこんな絵葉書を売っている。地元でもツボはわかっているのだ。


2011/07/25

新見市初日 中島ビル

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本日から金曜日まで研修で岡山県新見市にいる。初めて来た街の街歩きは実に刺激的。写真のとおりの中島ビル(地図A)である。

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スクラッチタイル貼り洋風建築である。どちらかと言えば見よう見まねで建てた「偽洋風」か。昭和初年ごろの建築と見た。

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陸屋根のように見えるが、実際はちゃんとした屋根が付いている。

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タイルは、模様というか柄が付いている。

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西面のこの窓はとんでもなく和風。このあたりが「擬洋風」の香りがする。

おそらく当初から中島ビルでいまも中島事務所というところが使っていて所有に変遷のない本当に長く使われている建物である。洋風建築として、さりげなく美しい建物である。

2011.8.16加筆。 いろいろと調べてみるとこの建物は旧上市郵便局の建物で、1928年着工、1931年竣工で、1958年まで郵便局として使わていたらしい。当時を物語るのはこの部分。 Img_2924

これが何なのかはよくわからんが、確かに郵便マークが入っている。

あの2階の「和風」窓だが、写真で見ただけだが、新見市哲西町の旧矢神郵便局舎の2階窓(正面)と全く同じ意匠である。これは、必ずしも和風ではないのか。

上市郵便局舎は1958年に移転、その後、扶桑相互銀行、高梁川総合開発事務所、荒谷建設コンサルタント新見事務所をへて、現在の中島事務所。



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神美鉱山(豊岡市長谷側)(2011.7.24)

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豊岡市の神美鉱山跡。昭和10年ごろ試掘、採掘の許可がなされたようだ(こちら)。立石側がよく知られる(といっても工場裏で立地が悪く私も未見)が、長谷側にも遺構がある。長谷側は、おそらくきっちりとした形で報告された例はないのではないか。しかも、こちら側は、県民緑税活用の里山防災林整備事業で公園整備されている。といっても整備から4年以上経過し、歩道もわかりにくくなっている所がある。

冒頭の写真は、立坑入り口の上屋。立派なコンクリート建築である。

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立坑上屋内部、手前に大きな立坑があるが、奥のアーチの向こうも立坑になっているように見える。なにせ、手前の穴はほぼ上屋と同じ幅があり、両脇に30センチくらいのステップがあるだけで(つかむところは何も無い)、落ちたら確実に死にそう(底は見えない)なので、奥のアーチ側には行っていない。

立坑から横穴があるのであれば、確実にコウモリが住んでいそうである。

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立坑上屋近くのプール。ヒノキ林の中に突然こういうものがあると、「2001年宇宙の旅」の「モノリス」を彷彿とさせる。

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もう一つのプール。ただ、こちらは、建築物の基礎のようにも見える。

さて、この遺構は里山防災林整備事業施工時に森林組合のO氏に教えてもらったものだが、当時は遺構名もよくわからず未掲載であった。ちょっと時間があったので再訪。いつか立石側も見てみたい。

2011/07/18

キクガシラコウモリの新生児確認(2011.7.16)

2009年8月8日に福知山市の旧海軍福知山航空基地関連施設においてキクガシラコウモリのコロニーを確認した件についてはこちらに書いた。そしてこの件については、舞鶴砲台や第三火薬廠で確認したキクガシラコウモリ生息地と併せて、2011年6月にNatureStudy誌上で共著で報告した(こちら)。この報文のなかで、福知山のコロニーについては繁殖哺育コロニーである可能性があるが再調査の必要があるとしたが、7月16日に再調査を行い新生児を確認してきた。

新生児の確認はコロニーへの影響を最小限にするため、20時頃、親が採餌に出掛け、コロニーに新生児だけが残されたタイミングを狙う。当日も20時ごろを狙って出かけたが、暗くて施設を見つけられず、結局20時15分ごろ施設に到着した。前回に比べて親コウモリが不在のためいやに静かである。おっと、ここのコロニーはいなくなってしまったのかとも思ったが懐中電灯で照らしてみると、いるいる。

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その数47である。光をあてるとチーチー鳴く。

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コウモリは普通1頭出産する。これだけ、うじゃうじゃ新生児がいて、自分のコドモが見分けられるのであろうか。ネコでは、出産が重なって他の新生児と自分の新生児が共存するときは、あえて自分のコドモを見分けようとしない節がある。他人のコドモだろうが自分のコドモだろうが関係なく哺育するばかりでなく、コドモのいないメスネコまで哺育に参加しようとする(たとえばこちら)。コウモリではこのあたりの事情はどうなのか大変に興味のあるところである。

というわけで、とりあえずこのコロニーが繁殖哺育コロニーであることがわかった。京都府下でキクガシラコウモリの繁殖哺育の確認は3例目である。

つまり、キクガシラコウモリの繁殖哺育の確認は過去に2例あるということなんだけれど、ひとつは前述の
  • 浦野信孝, 永井英司, 美濃部直久, 2011. 京都府の人工洞に生息するコウモリ. Nature Study, 57(6): 74-76.
にある京丹波町の例。で、もう一件なんだけれど、これは東洋蝙蝠研究所の「こうもりゼミ」というページの第45回に「京都府におけるキクガシラコウモリ出産コロニーの確認(橋本)」とあるのが根拠。これ以上の情報には辿り着けない。現時点ではどこかに報文が載ったのかどうかも定かではない。

ところで、施設からの帰り、山の斜面で滑ってメガネを落とした。暗くて見つからず。翌日探しに行ったが見つからなかった(T_T)。

さて、この施設は、2009年に中丹地域の歴史と文化を掘りおこす会(以下、掘りおこす会)主催で70人規模の見学会が実施された(両丹日日新聞の記事)。ここが、キクガシラコウモリの繁殖哺育地であることがわかってしまうと、コウモリ保護の立場から、ああいう見学会は考え直したほうがよい。掘りおこす会が2009年に作成したパンフレット「福知山に飛行場があった!」を見直していると、掘りおこす会の代表のOさんの電話番号が載っている。Oさんとは先日の川西航空機工場跡地見学会でタムシチンキの瓶を持って帰られた方である。このとき、ぎりぎり面識があったので電話してみた。Oさんとしても、飛行場関連施設については、もう、今後のイベントは考えていないとのことで、キクガシラコウモリの繁殖哺育地であるということの重要性にも理解を示していただき、私自身戦争遺跡そのものにも興味があることもこのブログを見て理解されているようで、今後とも連絡をとりあっていきましょうといい感じの話ができた。

さて、今度は、このことを単独で報告しよう。

2011/07/02

旧京都市立成徳中学校


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torosakaさんが、7月1日の書き込みにコメントしてくださいました。ありがとうございます。そして、娘さんが通っていた成徳中学校の存亡を危惧されていますが、これは残るようです。

成徳中学校は1931年竣工。1階部分の開口部がすべてアーチになっている美しい建物である。とくに、上の写真の一番右側の大きな開口部は、外部とグランドをつなぐ通路になっていたようで、この建物のアクセントになっている。

成徳中学校は現在改築中で「元京都市立成徳中学校 グラウンド付属施設」という実に味気ない名称の施設になるようである。完成予想図はこんな感じ。

この完成予想図をみると、アーチ通路ははめ殺しになるようである。この手のアーチ通路は、通路の手前側から見ると、手前側のアーチと向こう側のアーチが重なって見えるのが美しいのである。はめ殺しにするとその美しさがなくなってしまう。他にもいいたいことはいろいろあるが、とりあえずこのアーチ通路のミイラ化はいただけない。

こういう近代化遺産は保存すればよいというものではない。もちろん、いいものはいい状態で残すのが一番なのであるが、悪い状態でも残さないといけないとは私は思わない。

われわれは、過去の建築物を見て、これはああだとか、こうだとかいいながら評価なり感想なりを述べたりするが、では、未来の人が、平成のわれわれの建物とは何だと問うたとき、これが平成の建物だと言える建物を残すこともいわゆる近代化遺産を残すことと同様に重要なことなのである。

近代化遺産の保存は、そういう意味で、現在のトレンドを将来に残すという作業からの逃げであるといわれても仕方のない側面は必ず持っている。そういう意味で、この成徳中学校をながめてみると、一番大事なアーチ通路を台無しにしてしまうなら、現在のトレンド、いってしまえばライブな建物を創るほうがよかったのではないかと考えてしまう。でも、なぜこの部分水色なのだろう。

2011/07/01

平楽寺書店、京都芸術センター

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6月29日、娘のバレエの発表会を見に京都へ。時間つぶしに、すこし車で近代化遺産巡り。まずは、平楽寺書店(地図A)。三条通りの歴史建築のひとつ。1927年竣工。設計・施工はからきや工務店。ここは、本屋ではなく、仏教関係の学術書の出版社。

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写真は2階~3階。大きな2本の円柱が力強いが、3階バルコニーが実に可愛らしい感じでおしゃれな建物である。2階バルコニー部のみ引き戸になっている。いまとなってはこの引き戸がフツーで、それ以外の建具のほうがおしゃれな感じであるが、昭和初期は、引き戸のレールの大量生産がなされておらず、この引き戸は大変に先駆的な建具だったのではないだろうか。

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もう1件は、京都芸術センター(地図B)。旧明倫小学校である。1931年竣工の鉄筋コンクリート造。どこがどう小学校やねんという雰囲気。

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さすがに、玄関はどこか学校という雰囲気がある。玄関入ったところの床面には例の八芒星の意匠

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いやあ、美しい。どう見ても小学校じゃないなぁ。このアーチ周りの処理は、どこか武生の旧大井デパート高島屋大阪店東別館を思わせる。アーチの意匠のひとつの様式か。

ところで、京都芸術センターについていろいろと調べていると、マレビトの会が8月5日にライブをやるという。そして、「マレビト・ライブ」プロジェクト・メンバーには、森真理子さんの名前が。森真理子さんといえば舞鶴RBのアート・ディレクターで、2009年の舞鶴砲台探検ツアーの2日目に参加された「女子1名」とはこの人なのであった。こんなところで「お会い」するなんて、世間は狭い。


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