旧京都市立成徳中学校
torosakaさんが、7月1日の書き込みにコメントしてくださいました。ありがとうございます。そして、娘さんが通っていた成徳中学校の存亡を危惧されていますが、これは残るようです。
成徳中学校は1931年竣工。1階部分の開口部がすべてアーチになっている美しい建物である。とくに、上の写真の一番右側の大きな開口部は、外部とグランドをつなぐ通路になっていたようで、この建物のアクセントになっている。
成徳中学校は現在改築中で「元京都市立成徳中学校 グラウンド付属施設」という実に味気ない名称の施設になるようである。完成予想図はこんな感じ。
この完成予想図をみると、アーチ通路ははめ殺しになるようである。この手のアーチ通路は、通路の手前側から見ると、手前側のアーチと向こう側のアーチが重なって見えるのが美しいのである。はめ殺しにするとその美しさがなくなってしまう。他にもいいたいことはいろいろあるが、とりあえずこのアーチ通路のミイラ化はいただけない。
こういう近代化遺産は保存すればよいというものではない。もちろん、いいものはいい状態で残すのが一番なのであるが、悪い状態でも残さないといけないとは私は思わない。
われわれは、過去の建築物を見て、これはああだとか、こうだとかいいながら評価なり感想なりを述べたりするが、では、未来の人が、平成のわれわれの建物とは何だと問うたとき、これが平成の建物だと言える建物を残すこともいわゆる近代化遺産を残すことと同様に重要なことなのである。
近代化遺産の保存は、そういう意味で、現在のトレンドを将来に残すという作業からの逃げであるといわれても仕方のない側面は必ず持っている。そういう意味で、この成徳中学校をながめてみると、一番大事なアーチ通路を台無しにしてしまうなら、現在のトレンド、いってしまえばライブな建物を創るほうがよかったのではないかと考えてしまう。でも、なぜこの部分水色なのだろう。
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