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2011年10月

2011/10/18

JR山陰線 福知山市夜久野町末、日置の架道橋

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JR山陰線の京都府福知山市夜久野町末の府道526号をまたぐ架道橋(地図A)である。桁部はコンクリート製に置き換えられているが、橋台部は竣工当初のままである。

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れんがはイギリス積み、隅石は江戸切りとJR山陰線の架道橋としては標準的な仕様である。れんがの寸法は16測定の平均で219.7mm×105.2mm×54.2mmで、平均値だけ見れば厚めの山陽新型といったところだが、長さにおいて222mm前後もかなり認められたことと、近くの架道橋が並型であったことから並型としたい。

2013.1.20 付記 この隅石は江戸切りではない。このあたりの山陰線では、東河橋りょう、矢名瀬駅近くの架道橋がこれと同じタイプの仕上げ。 また、煉瓦の寸法についても、このあたりの山陰線の規格は山陽新型と並型の境界上あたりにあり、並型と山陽新型という規格で区分するべきでないと考え始めているところ。=>「JR山陰線の煉瓦寸法取りまとめ(中間考察)」参照

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この橋は別件。さきほどの府道526号の架道橋の少し京都側の京都府福知山市夜久野町日置にあるおそらく架道橋(地図B)。こちらも桁はコンクリート製に置き換えられている。

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橋台はれんがイギリス積み。隅石はない簡素なものである。れんがの寸法は10測定平均で223.3mm×107.2mm× 55.3mmで、こちらは並型。ここが並型で、豊岡市日高町のJR山陰線架道橋も並型であったことから、先ほどの府道526号の架道橋も並型であろうと推測した。これで、JR山陰線は福知山から豊岡にかけて広く並型であることが予測される。JR山陰線余部付近の構造物では厚めの山陽新型ないし山陽新型という測定値があるが、いずれも測定数が少ないので最調査したい。


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2011/10/16

KTR 田鶴野橋

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KTR宮津線の豊岡~但馬三江間にある小さな架道橋。KTRは架道橋とか橋梁とか避溢橋などなどJRのような橋の呼び分けをしていないのか。簡単に「田鶴野橋」とのみ書かれている。

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銘板はこれでも比較的読みやすいほう。

昭和四年 辰契橋(1151)
川崎車輛株式会社製作
活荷重 E33
鐡道省
-----------
材料 L入■製■所
日本鋼管會社
■■■■會社
山崎■■製鋼所

これもE33規格。「辰契橋」というのは辰年に契約した橋という意味で、昭和3年契約ということになる。

2011/10/10

KTR宮津線 東畑橋梁

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KTR宮津線の豊岡~但馬三江間にある小さな橋梁である(地図A)。「橋梁」としたが、これは塗装の記録表示に「橋りょう名」とあるのでこれを採ったのだが、実際にこの構造物下に水路はなく、そういう意味で橋梁ではない。架道橋か避溢橋だろうが、避溢橋という線が正解だろう。

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小さいが、実に異様な構造物だ。桁橋なのに、下にコンクリート構造物があり、しかも下の構造物は桁と接していない。このコンクリートはおそらく橋台部にかかる土圧の対策のために付けられたもので、後付けの可能性もある。というわけで、パッと見、実に威圧感のある橋である。

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このコンクリート構造物は3重にもなっている。

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桁にある銘板。例によって読みづらいが、

昭和四年(■■■ 1256)
・・・・工場製作
活荷重 E-33
鐵道省
--------------
材料
I:八幡製鐵所
C:仝上
L:日本■■■■■■
鈑:■■■■■■■■
鋲:■■■■■■所

といったところが読める。E-33といえば、余部鉄橋と同等の設計基準であるから幹線規格だ。

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線路脇に上がる小道があり上がってみるとトンネルの坑口が見えた(地図B)。コンクリートの打ちっぱなしである。


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2011/10/04

神美鉱山跡 横坑

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2011年10月2日、神美鉱山跡を再訪し、立坑の一番奥まで行ってみた。概ねの構造は上図のとおりである。前回も最初の分岐までは到達したが、この分岐で少し崩落していたので引き返して来たのだが、今回は全部踏破した。

なお、上図は概念図で方位、距離は正確なものではない。方位については概ね上が南になる。入り口から分岐までは感触としては50メートルくらいである。

分岐点から、ほぼまっすぐに進むと立坑に達した。この立坑は上向き、下向きともに掘削されており、上部は貫通はしていないようで真っ暗である。写真は立坑の上を見上げた写真。

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私は、なんとなくこの横坑は長谷側の立坑とつながっているのではないかと思っていたが終点が立坑となっていたので、おっとこれは立坑とつながっていると思ったが、前述のとおり貫通はしていないようである。ただ、写真を見ると、木組みに崩落した石が溜まっているようにも見える。もう少し強力なライトで照らしてみたいところだ。

ということで、この立坑は長谷立坑とつながっていて崩落で詰まっているとも思えるし、つなごうと思って途中でやめたとも考えられる。簡単な測量をしてこの位置を特定するのもいいかもしれない。

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葦浦史穂の本


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