但馬みえスタンプ解題
2月18日から但馬みえフィギュアとスタンプのセットが販売されるらしい。で、スタンプの印影の詳細が示されている。こういうのを見つけるとつい解題してみたくなる。
まず、散らばっているカードであるが、但馬みえが百人一首の名手であるという設定なので、これは百人一首なのだろう。
右側には風景が描かれているが、青空に雲、そして大江山であろう。なぜなら但馬みえのお気に入りの句は「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」であるからである。ならば、手前に描かれている道は当然「いく野の道」である。
そして鳥。これはちょっとビミョーなんだけれどコウノトリということにしとこう。
2012.2.13加筆
KTR「木津温泉駅」がある木津温泉(きつおんせんと読み、濁らない)は、行基が、しらさぎが傷を癒しているのを見て発見したという伝承も残っており、「しらさぎ温泉」と呼ばれることもある。KTR「木津温泉駅」の存在の意義は大きいので、この鳥はしらさぎと考えたほうがよさそうだ。
左にはなぜか丸太が3本。これは仕事柄どうしても丸太に見えてしまうのだが、当然そんなハズはない。長考の末、これは丹後ちりめんの反物と断定した。その目で見ると但馬みえの背中あたりで反物が1本ほどけているのがわかる。
というわけで実にご当地な図柄なのである。ところが「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」の「天の橋立」が欠けている。 画竜点睛を欠くである。ま、これは、このスタンプの本物は天橋立駅に置かれるということでクリアなのだろう。
さて、「いく野の道」の「いく野」たが、福知山市生野だという。京都から行くと三和町あたりの河岸段丘地形を抜けて平坦地に出たあたり、ようやく福知山に着いたという感じのところだ。これはこれで味わいがある。
しかし、802年に開坑の生野銀山もあるのに、この句の詠まれた11世紀に、福知山市生野がそんなに有名だったのか。実は「いく野」については亀岡に比定する考え方もあるようだ。この場合、大江山は老ノ坂峠の大枝山ということになる。こっちのほうが説得力があるが、但馬みえのキャラとは整合しない。
ところで、この句だが、作者の小式部内侍には、彼女の句は実は母の和泉式部の作ではないかとの疑惑があり、ちょうど和泉式部が丹後に行って留守中の句会で「お母さんから手紙はきましたか」と皮肉られた上での即興だという逸話がある。「まだふみもみず」には「手紙なんか来てないよーだ」というニュアンスがあるとしたら愉快だ。
2013.1.5付記
「天橋立百人一首」という書籍によると小式部内侍はこの歌を読んだのは20歳未満のときで、15歳説もあるということだ。才女だな。25~28才くらいで亡くなったようだ。4歳ころまでは兵庫県の相生に預けられていたという(神戸新聞2012.12.4 西播版)。
(以下、2012.2.13付記)
というわけで、これまでの検討を踏まえて、
超訳「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」
大江山、福知山の生野、いえいえ、京のはずれにある老の坂峠の大枝山や亀岡(生野)でさえじゅうぶん遠いのに、その先の丹後に行くの(いく野)には、遠路ワイルドな道(野の道)を通っていかなければなりません。大江山や福知山よりも(もちろん亀岡よりも)、さらに遠い天の橋立などまだ踏んだこともありません(「踏む」と「橋」は縁語、さらに「文」に掛けるウルトラCテク)。私の句を母が代筆していると疑われ、この度は母が丹後に旅行中のため、母からの手紙(句)が届かなければ今日の句会は困るだろうとご心配してくださる方もいらっしゃるようですが、前述のとおり天の橋立は遠く、まだ手紙は届いておりません(まだふみもみず)。母の手紙のことまで読み込んだこの句は、そちらの方の誹謗に対抗する私の即興の句で、即興であるから自作であることは自明です。しかも掛け言葉や縁語を駆使した高度にテクニカルな句としましたから、この句から私の才能を充分に評価していただきたいものです。ジロッ( 一一)
最近のコメント