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2013年4月

2013/04/27

福知山市樽水 農業用水暗渠

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福知山市樽水の農業用水暗渠にコウモリがいるという情報を福知山市教育委員会からいただいたので、本日(2013.4.27)踏査してきた。

現地は、福知山市樽水の溜池の近く。この溜池は当初大正9年に竣工したが、最近改修されたようだ。

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件の暗渠は、この溜池の築堤の下部にあり、尾根越しで農業用水を配水するため、同じく大正9年に竣工したようである。溜池側の入り口は竣工当初のもので石積みである。

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内部は素掘りで少し崩落もしているが、使おうと思えば使える状態。前後の水路の手入れの状態から、現用していると思われる。

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下流側の入り口はコンクリート製である。上部に崩落の跡が見受けらることから、崩落して埋まったのを改修したのだろう。暗渠は全長100mくらいである。

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お目当てはコウモリ。キクガシラコウモリ17頭を確認。微妙な数ではあるが、また他の時期にも来てみることにする。


2013/04/21

舞鶴砲台巡り 4月

2013.4.20の舞鶴砲台巡りは6名で実施。第三火薬廠、葦谷砲台、浦入砲台を回った。今回新たに得た知見をメモしておく。

覆土式火薬庫


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その暗さ故、いままであまり覆土式火薬庫(いわゆる二重倉庫)の内部の写真はきちんと撮っていなかった。今回、デジタル一眼レフを用いて三脚を使用して撮影したところ難なく写真を撮ることができた。上の写真は、ややアートよりの写真。

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こちらは、適正露出の写真。照明器具が千鳥に並んでいることがわかる。今まで、あまり覆土式火薬庫の照明について考えたこともなかったが、こうして見ると、なかなかおしゃれな照明である。

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(撮影:北垣和也)

このアングルの写真も撮っていない。二重倉庫たる所以のよく分かる写真である。ただ、ここで注目したいのは、上部の電線管。この2本の電線管が照明の電源であろう。

この写真を見た上で、一つ前の内部の写真を見てもらうと、照明器具の並びにそってコンクリートが線状に途切れ途切れに剥離しているのがわかる。照明の電源の電線管は、コンクリートの中を走っているようだ。これが良くなかったようで、コンクリートが剥離したと見られる。

隧道式火薬庫


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(撮影:北垣和也)

高専駐車場横の隧道式火薬庫の扉である。今回、錠前の蓋が開いているところを見ることができた。ダイヤル式錠である。鉄製とはいえ、そんなに頑丈な扉ではないが結構厳重な錠が付いていることがわかる。

砲熕谷22工場 砲炸薬整形工場


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いわゆるロシア病院の脇であたらに見つけた消火栓である。グリーンスポーツセンターにあるものより太いタイプである。以前にロシア病院の裏手でも1件見つかっていたがそちらはグリーンスポーツセンターのものと同タイプであった。

どうも、シカの食圧で植生が貧弱になってきたために見つかったようだ。っていうか、実にわかりやすいところにあったのに今まで見つかっていないのがウソのようでさえある。

浦入砲台 境界石


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浦入砲台ちかくでの陸軍・海軍の境界石が並んで立っているのは、今まで「防一三」と「海界37」が隣接しているのを見つけていたが、今回のは、「防一四」と「海界33」である。「防一三」と比べ「防一四」のほうが接近して立っている。

ここは、陸軍の砲台と海軍の水雷衛所が隣接している所で、ここならでは境界石である。



2013/04/20

きょうの窯業系

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本日(2013.4.20)、舞鶴砲台巡りと題して、第三火薬廠、葦谷砲台、浦入砲台を私も含め6名で回ってきた。このブログではいずれも紹介済みの箇所ばかりなので、今回、窯業系マニアの田邉貴教氏と回ったこともあり、とりあえず窯業系について紹介したい。

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まずは、碍子。上の写真は、第三火薬廠砲熕谷の392火薬庫近くで見つけた碍子。現場では「物」の字が入っているということになっていたが、これはやはり「惣」の字だろう。川惣製陶所(現:川惣電気工業株式会社)のマークと考えたがいかがだろうか。

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こちらは、「TG」のマーク入り(葦谷砲台)。碍子系(「外資系」じゃなく、ね)の会社としてTGケラーという会社が現存するのだが、これと関係ありと見た。ただし、TGケラー社はHPがなく詳細は不明。妄想としてはTGは「東海碍子」みたいな会社で、ドイツのケーラー社から外資(碍子ならぬw)が入ってTGケラーとなったとか(笑)。

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大日本麦酒の瓶(葦谷砲台にて)。大日本麦酒は大筋では1949年にアサヒビールとサッポロビールに分解。(日本におけるビール製造会社変遷早見表

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この瓶は、ブランドとしてはサッポロビール。

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で、上記『麦酒製造会社変遷早見表」を見ていだければと思うが、日本のビール史上鉄板のビール会社キリンビールの瓶。これも葦谷砲台。

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で、最後はこれ。第三火薬廠、乾燥谷にて。温度計という説もあったが、乾燥施設ということで、ボイラーの水位計または圧力計と見たがいかがだろうか。


2013/04/19

舞鶴砲台巡り アシウラ編-4(予告)

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最近完全に定例化している舞鶴砲台巡りですが、次回は2013年5月15日(水)平日開催です。舞鶴の西の守り、建部山堡塁と、第2次世界大戦時の防空砲台である倉梯山防空砲台を回ります。ちょっと行程的にハードかもですが、よろしく。

集合は、10時、ローソン舞鶴下福井店(とれとれセンター横)。

参加希望者はメールで参加表明願います。

2013/04/14

進藤林業 木材搬出軌道のトロッコ車輪

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兵庫県朝来市佐中の佐中千年家(進藤家住宅)の一般公開において、木材搬出軌道のトロッコのものと考えられる車輪を見たので記録しておく。で、もっとも関心があるのはその軌間である。

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車輪を実測したところ、車輪幅は約590mmであった。意外である。

明延鉱山のいわゆる一円電車(正式名称は明神電車上部軌道)の軌間は762mmで、古くは500mmであったといわれている。500mmの軌間の軌条は現在も明延において見ることができる。このことから、神子畑~新井を結んでいた明神電車下部軌道も500mmから762mmへ変遷したと考えられる。

参考 明延鉱山の軌間500mmの軌条(2006.9.16撮影) P9165170

新井駅付近で軌道を共用していたと考えられる進藤林業木材搬出軌道は車輪幅から考えると597、600、610mmあたりの軌間であったと考えられる。

明神電車、木材搬出軌道ともに明治40年代の開通で、そのころは500mmではじまり、その後の改軌において、明神電車が762mmに改軌したものの、木材搬出軌道は600mmにしか改軌しなかったと考えるのが無難な線。もしくは、木材搬出軌道は当初から600mmだったと考えてもよい。

いずれにせよ、明神電車下部軌道と木材搬出軌道は軌間が異なることは事実と見てよく、そうであれば、新井駅付近の共用線では三線軌であった可能性がある。

2013.4.16加筆 知人の枡岡さんから、残っているレールを実測したところ軌間は610mmだったと報告いただきました。ありがとうございます。また、桝岡さんからは、共用部分で三線軌条だったという伝聞情報も提供いただきました。重ねてありがとうございます。

 

2013.7.10加筆
本日、やっとN社敷地内に残る木材搬出軌道のレールを見せてもらってきた。

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写真に写っている線路が、木材搬出軌道の現存線路のすべて。大変細い線路である。構内線路の末端部であろう。それにしても線路が敷設状態で残っているのは貴重である。

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敷設状態で残っていることにより、なにより軌間を実測できる。

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写真のとおり、軌間の実測値は約602mm。規格としては600mmの規格のようである。

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佐中地図(鉄道入り)



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