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2013年7月16日、アシウラ編延長戦ということで、倉梯山と吉坂を回ったが結局、7月2日に回ったところの再訪なので、ますます書くことがない(笑)。新知見のみ。
冒頭の写真は、三角点マークのある一升瓶。どこかの商標なのだろうけれど、あまりに正確に「三角点マーク」。少し調べたがよくわからない。
こちらは、吉坂副堡塁の射垜(あづち)の擁壁。単なるコンクリートではなく、コンクリートの上にモルタル塗りのようだ。面取りというか角にRがつけてある。この凝りよう素晴らしい。
さて、福井県側の堡塁への上り口である杉森神社の鳥居脇に要塞地帯を示す石柱があることは関西電力の吉坂堡塁の案内ページにも書かれているが、今回初めて写真を撮った。
「陸軍省」
ここで、「第一地帯」という用語が出てくるが、これは要塞地帯法(明治32年法律第105号)第3条に「要塞地帯ハ陸地ト海面トヲ問ハス之ヲ三区ニ分カチ」とある3区分のうちの「第一区」を指すのであろう。ちなみに3区分は次のように定義されている。
2250間というのがいかにも半端だが、これは250+2000、または750+1500ということなのだろう。
とにかく、今回で、アシウラさんの舞鶴要塞の撮影は終了。
京都府舞鶴市堂奥において、2013年7月16日、アカイカタケを発見した。
京都府レッドデータブックによると、京都府下におけるアカイカタケの発見例は、1935年に京都市左京区鞍馬山中で初めて発見されたあと(この発見は本種の日本での初めての発見とされる)、1999年鞍馬山中、2003年7月26日京都府長老ヶ岳周辺(和知町)、2007年7月19日京都市左京区静市市原町で発見されている。
となると、舞鶴市での発見は京都府下での4例目の産地の発見ということになりそうだ。私は、このキノコの名前すら知らなかったが、なんとなくレアっぽい雰囲気を感じて写真を撮った。Facebookでこの写真を掲載したところ、維田浩之氏からアカイカタケであることをご教示いただいた。
ま、いずれにせよ、かなりレア物であることは間違いなさそうだ。とりあえず、まいづる環境市民会議生物多様性プロジェクトチームには報告済み。
兵庫県豊岡市立石にある神美鉱山横坑ではすでにユビナガコウモリとキクガシラコウモリの生息は確認している(こちら)。昨年も出産時期に調査を行ったが、出産は見られなかった。ことしも、一応覗いておこうと思って、本日2013年7月15日20時、横坑に入ってみた。
20時に調査を行うのは、この頃、親が食事にでかけるので、出産が行われていればコドモだけが残されていて、調査のインパクトを最小限にできるからだ。
コウモリのグアノは各所に見られる。コウモリはかなりの数生息はしている。ただし、コドモは見られなかった。出産は別の所で行われていると見られる。
約100mの再奥部。坑木が見られ鉱山らしい雰囲気である。この奥には、立坑があり、この横坑から上下に立坑が伸びる。立坑部で出産が行われている可能性もあるが、私の能力では立坑の調査は無理(笑)
再奥部では、碍子がかなりの数見られてた。写真の物には「K」のマークが。現TGケラー社の合併前のケラー社の碍子か? よくわからんが、そんな気もする。碍子に関しては、各社HPも熱心でなく、詳細はよくわからない。(そうそう、まえにTGは東海碍子とかそんな社名だったのだろうと書いたが、どうもこれはあたっているみたい)
というわけで、ことしも、神美鉱山は出産確認できず。ただ、横坑入り口付近で、ことしもヒメボタルを見かけた。とりあえず、こちらは生存確認。
2013年7月11日早朝6時頃に自宅(兵庫県豊岡市但東町相田)付近の路上でコテングコウモリを確認したので記録しておく。アスファルトの路上にコウモリが「落ちていた」ので、死骸と思い拾ってみたところ生きていたので、付近のヤブの中へ返したのだが、その時に写真を撮ったものである。
兵庫県のコテングコウモリの記録としては以下のものがある。
2013年7月2日に実施した本件については、すでに、「瓶編」と「いきもの編」を書いた。で、本編となるのだが、倉梯山防空砲台は、2009年11月22日以来2回め。2009年時の報告は、
べーさん版
EverGreenForest(以下EGFと略す)版
で読める。
また、吉坂堡塁は、2009年9月21日、2011年5月21日、2013年2月19日に続き、今回が4回目。
2009年べーさん
2009年EGF版
2011年EGF版 これが一番纏まっていると思う。
2013年EGF版
吉坂副堡塁は、2009年以来2回目であったが、本堡塁は、上記の2011年EGF版を見てもらえればと思う。
副堡塁のいわゆる掩蔽部は舞鶴でも他に例のないレイアウトである。狭義の掩蔽部は一つしかなく、その脇に水源関連施設と思われる施設が2棟ある。この構造物、写真の奥からA、B、Cと呼ぶことにする。
構造物Aは、沈砂池のような感じである。この手の設備は他の砲台でも見かけることがあるが、ここのようにかまぼこ型の構造物の中に入っているのはここのみで見られる。
構造物Bは、貯水槽から水を汲み上げる井戸のような施設。このタイプのものもここでしか見られない。吉坂は本堡塁、副堡塁ともに水源施設が舞鶴要塞中独特のものである。
砲座脇にある、文字通りの砲側庫。副堡塁では、砲座のあたりに砲側庫が3つ見られる。舞鶴要塞中、このようなコンクリートの砲側庫は建部山と吉坂でのみ見られるが、副方類の中央の砲側庫のみが中が広い。
2013.7.7 北吸浄水場の第一、第二配水池の内部の一般公開があったので行ってきた。浄水場の概要、配水池の外観については、3月のこちらの記事を参照してほしい。
浄水場としての使用を取りやめをやめてから、昨秋初めての一般公開があり、今回は2回目の一般公開である。上屋は大正の建築であることを初めて知った。
配水池は石積みでできた、27.2m×20.25m×深さ5.6mのプールに水が淀むのを防ぐための5枚の煉瓦造の導水壁が設けられ、水が蛇行して流れるようになっている。
冒頭の写真は、導水壁の基部であるが、アーチ状構造が見られる。ここは後で埋められたものという見方もあるが、本日の「係の人」の話では同時施工ということであった。後述するように、アーチの内部も特徴的な「薄い煉瓦」が使われており納得できなくはない。しかし、アーチ状構造についての明確な答えはもらえなかった。
本体の石張りコンクリートと導水壁の煉瓦の接合部。
煉瓦は、イギリス積み。基本的な壁面の煉瓦の寸法は、222.3×106.2×49.7mm。長さと幅は並型規格と想われるが、厚さが突拍子もなく薄い(並型規格の厚さは53.0mm)。
これに匹敵する薄さの煉瓦は、遠く函館の旧金森洋物店(現:函館博物館郷土資料館)(216.3×104.0×49.7mm=文献1)しかない。この次に薄い煉瓦は、関西鉄道桜ノ宮線大川橋梁西側橋台の51.1mm(山西 昌子私信) であるから、飛び抜けて薄い煉瓦であることがわかる。
この施設では、タッパを稼がねばならないのになぜあえて薄い煉瓦を使ったのか謎だ。
文献1 :駒木定正, 2001. 煉瓦造の遺構および煉瓦の実測と成分分析による生産地推定に関する基礎的研究. 日本建築学会北海道支部研究報告集(74):345-352.
導水壁の端部は端正な石積み。
お次は、いきもの編。まずは、ニホンカモシカである。京都府舞鶴市堂奥、倉梯山防空砲台軍道にて。僕にとっては人生初カモシカ。いるとは聞いていたからいつかは会えると思っていた日が来たが。ここでかあ(笑)
カモシカがいたのは地図に黄色でマークした位置。東側は舞鶴自動車道、北と南と西は市街地で囲まれており、いわば、ほぼ孤立山塊である。こんなところにいるのなら、もっと奥山にはかなりいそうなのかも。ただ、何回も舞鶴で山に入っていて今回初めてあったということから、こういうニッチな立地がいいのかもしれない。
同行の北垣くんによると、2頭見えたとのこと。
キクガシラコウモリ。
10:48 京都府舞鶴市堂奥、倉梯山防空砲台軍道沿いの掩蔽部。1頭。
3枚目のは、福井県大飯郡高浜町蒜畠になるが吉坂本堡塁の火薬支庫。2頭。
これら3箇所でのキクガシラコウモリの確認は新知見。
吉坂堡塁の砲側庫にやたらいたシュレーゲルアオガエル。吉坂の砲側庫は、結露が激しかった。
兵庫県での自然系研究者に言わせると、但馬地域のカンアオイはランヨウカンアオイなのだそうだが、ランヨウカンアオイがカンアオイと亜種を異にする状況ではそういう解釈もありあったのだろうが、最近はランヨウカンアオイとカンアオイは種を異にするという考え方が広まってきており、いいのかそれで状態のように感じる。
それは、さておき在野の研究者によると、但馬から京都の由良川以西にはサンインカンアオイ、由良川以東はエチゼンカンアオイということのようで、そういう解釈でいくと、これはエチゼンカンアオイなのだろう。エチゼンカンアオイには春に花が咲くハルザキエチゼンカンアオイというのもあるという。
ま、そういうことはさておき、この株の葉はやたら大きい。但馬のカンアオイと全く雰囲気が違うということは強く感じた。
以上、今回のいきもの編、おわり。
アシウラさんのコミケ写真集も追い込みに入って、7月2日は不足写真を取りに行く予定だったのだが、まさかのアシウラさんドタキャン。延期となったが、私とK君はともに代休をこの日に当てていたので、2人で下見を兼ねて舞鶴に出かけた。
まずは、瓶。
この日は、倉梯山防空砲台と吉坂堡塁を回ったが、まずは、倉梯山。この防空砲台は第二次世界大戦時の砲台である。
これは、初見である。寿屋(現サントリー)のビール瓶。サントリーってホンマにこのころからビール作ってたんだ。
倉梯山では破片ばかりで、これ以外にはたいした収穫なし。
そして、吉坂堡塁。本堡塁の食堂跡付近でのK君コレクション(笑)。釜のようなものも見つかった。摺鉢もある。
中央の4本は、キリンビール。基本的にあまりにも現在のビール瓶と変わるところはないのだが、唯一の違いは「キリンビール」の銘が右から左へ書かれていること。
左の緑色の瓶は「A」という表示。これは、カゴメの前身「愛知トマトソース」の「A」の可能性が高い。カゴメの瓶は舞鶴の明治期の砲台で時折見かけるが、「A」表記の瓶は初めて。あまりに簡単なマークなので「愛知トマトソース」と断言はできない。
右のビール瓶のマークは「三ツ矢」に見える。三ツ矢サイダー(三ツ矢平野水)は帝国鉱泉を経て日本麦酒鉱泉となったので、これがビール瓶であるなら、日本麦酒鉱泉の瓶以外考えにくい。日本麦酒鉱泉の瓶は浦入砲台でみかけたが、それには「NIPPON BEER KOSEN」の銘が入っていた。
というわけで、瓶編は以上。
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