旧神美鉱山 西横坑
地図Aの地点に昨年(2013年)11月4日に横坑入り口を発見していたが、入り口が狭いことと雨が降りだしたことから、探索を行っていなかったが、2014年2月22日に内部に入ってみたので報告する。
入り口の状況は上の写真のとおり。崩土によってかなり埋まっており、わずかに隙間が見られるのみであるが、入ってみるとこれで私でも十分入れた。
内部の状況。東側の坑道に比べて断面が大きいことと断面形状が馬蹄形でなく長方形に近いことが特徴である。写真は100m程度の全延長の中程で、このあたりは水が少なく路盤も見えるが、路盤も大変きれいに整形されている。
ただし、入り口に近い部分と最奥は水がたまっており、特に奥の部分はウェダーが必要な深さである。
終点部の状況。入り口もこのようなコンクリート構造物があったので、ここは出口というかもうひとつの口であると考えられるが崩土で完全に埋まっている。貫通したトンネルであったと考えられる。
全体に作りが丁寧な感じがするし、また、ここから外に出れたとすると、南側の長谷集落方面に抜けられるものと思われる。長谷側には竪坑口やプールなどの構造物が見られることから、北部遺構群と南部遺構群を結ぶ、物流や移動のためのトンネルでもあったのではないかと思われる。
また、上述のとおり中央部が高くなっているが、これはトンネルでよく見られる排水のためのいわゆる拝み勾配が付けられいたのかも知れない。
今回は調べなかったが、このトンネルの南側口周辺も実踏したい。
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