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Yuumi先生、ブログ記事。「豚まんの食べおさめ♪」
豚まんは、pork bunってか。
実はそういうところではなく、今回のツッコミどころは、Yuumi先生、豚まんっていうのね。というか、中京地域は「豚まん」圏なのか。
最近、コンビニで「肉まん」っていうので、「豚まん」っていう言葉は若干絶滅危惧感があるのだけれど、Yuumi先生が「豚まん」って書いてるのを見て、若干安心いたしましたです。
2016年3月5日、葦谷砲台を訪れた。もう、度々来ており、そう新発見もなかろうと思っていたが、地籍調査が行われており草刈がおこなわれていることと、シカの食害による下層植生の衰退が激しく、いままで見たことのなかった標柱を見つけたり、瓶も19本見つけることができた。本項ではびんについて述べる。
アルファベットは混乱を避けるためにびんにふった固有記号である。また、びんに表示されている文字はアルファベット以外は例外なく右から左へ書かれているが、文中の表現は左から右へ書く。
びんBは、透明のびんでサイダーのびんと考えられる。側面下部に「大日本麦酒株式會社製造」、底面には星マークと星の下に「2」と記されている。
びんDとEもびんBとほぼ同様である。ただし、底面には星マークの他に、Dでは星マークの左に「9」、下に「A」、 右に「1」が記されている。Eでは星マークの左に「10」、右に「6」が記されていた。
びんLも、透明のびんでサイダーのびんと考えられる。上述のB, D, Eに比べてずんぐりむっくりな感じがする。
側面下部に「大日本麦酒株式會社製造」と記されているのはBDEと同じであるが、Lでは側面肩部に「登録(マーク)商標」と商標が記されている。
商標を拡大表示するとこんな感じである。大日本麦酒のイニシャルDBをデザイン化したものと思われるが初見。サイダー向けの商標なのかも知れない。
大日本麦酒は上記の4本を見つけたが、いずれも透明のサイダーびんであった。大日本麦酒の存在期間は1906-1949年。
透明のサイダーびん。側面下部「日本麦酒鉱泉株式會社 登録(三ツ矢マーク)商標」 底面は無銘
側面下部の三ツ矢マーク拡大。
びんD2もCと同様。ただし、底面に「1」とのみ記されている。
びんC、D2と比べてかなり緑色を帯びたサイダーびん。側面下部表記はびんCと同じ。底面に「5」と記されている。
びんH2もHより緑味が弱いもののだいたい同じ。底面の記号についてはメモ忘れ。
茶色のビールびん。側面下部「NIPPON BEER KOSEN CO. LTD. 」。底面には「4-2」と記されている。
左側がびんP。びんPも、Iと同様。底面記述についてはメモ忘れ。右側はびんO(後述)。
日本麦酒鉱泉の存在期間は1921-1933年。
びんFは王冠非対応である。側面表示はなし。底面には三ツ矢マークと「三ツ矢」の文字。
三ツ矢平野水〜三ツ矢サイダーの王冠導入は三ツ矢平野水時代の1901年であるから、このびんは、三ツ矢平野水のびんで、1901年以前のものと考えられる。
また、葦谷砲台の備砲完了は1900年3月なので、このびん(の内容物)は1900〜1901年に消費された可能性が高い。可能性としては、葦谷砲台調査開始まで遡れるが、着工は1897年。せいぜい1895年くらいまでか。
櫻麦酒は初見。
側面底部に「SAKURA BEER」。側面肩部には「登録(桜マーク)商標」。
サクラビールの存在期間は1912-1943年。
これは極めてふつうの麒麟麦酒。肩部に「キリン(商標)ビール」。
下部のかけらだが、側面下部に「(商標)商標」。たぶん、「登録(商標)商標」なのだろう。
下部にこの表示は初見。
側面下部に「金線飲料株式會社製造」。側面肩部に「KINSEN」。底部にマルBと「19」。
金線飲料株式會社の存在期間は1915-1925年。
「BNK」の銘入り。BNKではよくわからないが、Nが大きく書いているので、これを最初に読んで「NBK」なら、日本麦酒鉱泉の可能性あり。
いわゆるラムネびん。
直線的な形状が特徴的。無銘だが底面に「A-6」。
写真左側がびんO。緑色の一升瓶。
写真右側は日本麦酒鉱泉のびんP。
なにをいまさらな葦谷砲台。ちょっとコウモリチェックもと別件と合わせて立ち寄った。
正面の掩蔽部、目を凝らしてみていただくと、窓に格子が嵌っている。これは、例の映画のロケの時に取り付けられてそのまま放置されているのだろう。
コウモリは、キクガシラコウモリ6頭が越冬中。はい、おしまいでよかったのだけれど、来たからには少しうろつく。
このあたり、地籍調査が入ったようで、このあたりの標柱も測量されている。天面のスジに色が入れられているのはおそらくそのせい。このときに、刈り払いも行われたのかも。それでなくでもシカががんばってくれている。
「眞子午」は観測所の位置の正確な南北線を示すための標柱のようだ。写真は観測所北側のものだが、南側にも同じものがあった。
こちらは、高さの基準を示す標柱のようだ。「213m90」らしい。フォントがおしゃれだ。
地籍調査とシカががんばっていただいたおかげで、今回、たくさんの瓶を見つけることができたのだが、それは、項をかえて書く。
1947年撮影の舞鶴某所の空中写真。なにかとてつもなく大きな土工が行われているように見える。巨大な擁壁が作られているようにも見える。
同じ場所のグーグル写真。土工は完了していて、一番奥になにか建物が見える。おそらく戦争中に工事が始められて、戦後も工事が続けられたということのようだ。となると、海軍〜海自という流れなのか。あるいは、単に海軍の残土処理場で戦後民間が継続して使っていただけかも知れない。
というわけで、行ってみた。予想通り立入禁止の措置が。「舞鶴警備隊司令」とあるから、やはり海自関連施設だ。
立入禁止は予想できた。で、立入禁止の場合は南東側の山に上がって遠望してみようと。
遠望。コンクリートの大きな法面がみえる。手前あたりは、少し前まで病院があったようであるが、きれいに片付けられて痕跡は何もない。
ニホンヒキガエル(おそらくアズマヒキガエル)が。トノサマガエルはともかく、ヒキガエルはプールから出れるのか?
遠望できた「残土処理場」。グラウンドのように平らだ。演習場?
最奥分の建物遠望。新しいようなそうでもないような。ま、古いものではなさそう。
これは、もう病院敷地近くのプール。病院関連施設かも。ただ、こういう縁に傾斜が付いているプールも第三火薬廠にあったような気も。
というわけで、とりあえず見てきた。
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