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但馬

2013/08/17

コミケにおける「但馬みえ」コスプレの意義

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鉄道むすめ「但馬みえ」に関しては、こちらでも何回か書いた。

結局のところ、但馬みえがKTRを代表する鉄道むすめになったのだけれど、この但馬みえというネーミングは兵庫県豊岡市の駅名から採られたものであって、予想通り(京都府の鉄道である)KTRは基本的にシカトしているようにしか見えない。むしろ、KTRは但馬みえという鉄道むすめキャラがありながら、「けいおん!」や「宇宙戦艦ヤマト」のラッピングカーを走らせたりした。

鉄道むすめ群のなかにあっても但馬みえは、なんとなく年齢もイッテそうだし、どことなく憂いを秘めた表情のようにみえなくもない。なにが言いたいかというと、全て合わせて、いまいちパッとしないキャラクターなのかもということ。

そんな中、コミックマーケット84において、写真家の葦浦史穂が自らの舞鶴砲台本販売にからめて、但馬みえのコスプレをした。リアル但馬みえ(決して「現物の但馬みえ」ではないんだけどね)を見ると、まず目に入ってくるのが「但馬」というネームプレートなんだけど、総合的に兵庫県キャラ、もっと言えば、但馬キャラとしかいいようがない。

葦浦さんが但馬みえのコスプレをしたのは、自身の舞鶴本にからめて舞鶴も走っているKTRの鉄道むすめということなんだろう。舞鶴はKTRエリアの最東であり、但馬三江駅はKTRエリアのほぼ最西である。直線距離で50kmほども離れている。文化的にもかなり隔たっている。

葦浦さんが、舞鶴本の協力者である僕(豊岡市在住)を立てて但馬みえに扮したのかも知れないが、豊岡、舞鶴ともに古くは豊岡県という同じ県に所属していた時期もあり、それが、いまKTRによって繋がっているんだと再認識した次第である。

蛇足だが、葦浦「但馬みえ」はどことなく「田島令子」に似ている(笑)

というわけで、舞鶴砲台写真集は無事8月11日(僕の誕生日)に発売されたのでした。私の手元にも幾つかありますので、ご入用のかたはメールなどでご連絡いただければお送りします。



2012/01/25

但馬みえスタンプ解題

2月18日から但馬みえフィギュアとスタンプのセットが販売されるらしい。で、スタンプの印影の詳細が示されている。こういうのを見つけるとつい解題してみたくなる。

まず、散らばっているカードであるが、但馬みえが百人一首の名手であるという設定なので、これは百人一首なのだろう。

右側には風景が描かれているが、青空に雲、そして大江山であろう。なぜなら但馬みえのお気に入りの句は「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」であるからである。ならば、手前に描かれている道は当然「いく野の道」である。

そして鳥。これはちょっとビミョーなんだけれどコウノトリということにしとこう。

2012.2.13加筆
KTR「木津温泉駅」がある木津温泉(きつおんせんと読み、濁らない)は、行基が、しらさぎが傷を癒しているのを見て発見したという伝承も残っており、「しらさぎ温泉」と呼ばれることもある。KTR「木津温泉駅」の存在の意義は大きいので、この鳥はしらさぎと考えたほうがよさそうだ。

左にはなぜか丸太が3本。これは仕事柄どうしても丸太に見えてしまうのだが、当然そんなハズはない。長考の末、これは丹後ちりめんの反物と断定した。その目で見ると但馬みえの背中あたりで反物が1本ほどけているのがわかる。

というわけで実にご当地な図柄なのである。ところが「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」の「天の橋立」が欠けている。 画竜点睛を欠くである。ま、これは、このスタンプの本物は天橋立駅に置かれるということでクリアなのだろう。

さて、「いく野の道」の「いく野」たが、福知山市生野だという。京都から行くと三和町あたりの河岸段丘地形を抜けて平坦地に出たあたり、ようやく福知山に着いたという感じのところだ。これはこれで味わいがある。

しかし、802年に開坑の生野銀山もあるのに、この句の詠まれた11世紀に、福知山市生野がそんなに有名だったのか。実は「いく野」については亀岡に比定する考え方もあるようだ。この場合、大江山は老ノ坂峠の大枝山ということになる。こっちのほうが説得力があるが、但馬みえのキャラとは整合しない。

ところで、この句だが、作者の小式部内侍には、彼女の句は実は母の和泉式部の作ではないかとの疑惑があり、ちょうど和泉式部が丹後に行って留守中の句会で「お母さんから手紙はきましたか」と皮肉られた上での即興だという逸話がある。「まだふみもみず」には「手紙なんか来てないよーだ」というニュアンスがあるとしたら愉快だ。

2013.1.5付記

「天橋立百人一首」という書籍によると小式部内侍はこの歌を読んだのは20歳未満のときで、15歳説もあるということだ。才女だな。25~28才くらいで亡くなったようだ。4歳ころまでは兵庫県の相生に預けられていたという(神戸新聞2012.12.4 西播版)。

(以下、2012.2.13付記)
というわけで、これまでの検討を踏まえて、

超訳「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」
大江山、福知山の生野、いえいえ、京のはずれにある老の坂峠の大枝山や亀岡(生野)でさえじゅうぶん遠いのに、その先の丹後に行くの(いく野)には、遠路ワイルドな道(野の道)を通っていかなければなりません。大江山や福知山よりも(もちろん亀岡よりも)、さらに遠い天の橋立などまだ踏んだこともありません(「踏む」と「橋」は縁語、さらに「文」に掛けるウルトラCテク)。私の句を母が代筆していると疑われ、この度は母が丹後に旅行中のため、母からの手紙(句)が届かなければ今日の句会は困るだろうとご心配してくださる方もいらっしゃるようですが、前述のとおり天の橋立は遠く、まだ手紙は届いておりません(まだふみもみず)。母の手紙のことまで読み込んだこの句は、そちらの方の誹謗に対抗する私の即興の句で、即興であるから自作であることは自明です。しかも掛け言葉や縁語を駆使した高度にテクニカルな句としましたから、この句から私の才能を充分に評価していただきたいものです。ジロッ( 一一)

2011/09/10

神美鉱山(工業団地側)

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神美鉱山の長谷側についてはこちらに書いた。神美鉱山といえば長谷側よりも工業団地側つまり立石側のほうがよく知られている。よく知られているがJAプロパンの工場の裏にあってアプローチが悪いということになっているが、浄水場の横の道をクルマで入っていくとプロパン工場の裏側に回り込めアプローチは決して悪くない。

車道の終点右方に冒頭の写真のホッパーがある(地図A) 。かなりのコンクリート構造物。昭和10年ごろのものである。ホッパーとは、鉱石を上から投入して下の穴から必要に応じて取り出す装置である。

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ホッパー近くの横坑入口(地図B)。長谷側の立坑入り口のほうが立派に見える。

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立坑入り口の内部。途中で天井が低くなっているがこれに合わせて床面も低くなっているようだ。それに気づかず入ったところ長靴上部まで水に浸かり、長靴の中に水を入れてしまった。

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少し奥にあるプール(地図C)。同様のものは長谷側にもあった。

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立石側の最奥部の遺構とおもわれる素掘りの横坑(地図D)。

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横坑の内部。かなり長そうだ。実にコウモリがいそうだが、内部探検はウェダー持参で次回ということで、濡れたというより水の溜まった長靴で帰途についた。


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KTR宮津線豊岡~馬路トンネルの鉄道近代化遺産

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久美浜街道架道橋(地図A)

但馬三江駅の少し豊岡寄りにある架道橋。昭和4年開通当時のものだと考えられる。プレートガーター橋だが、橋台は石積み。よく通るが思い立ったが吉日でついに写真に。

鎌田橋梁(地図B)

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で、ついでに鎌田橋梁も。こちらは、ずいぶんと高い橋梁であるが、橋脚は石積み。コンクリート石張りというところか。

祥雲寺の踏切(地図C)

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祥雲寺に踏切があるのかと疑問に思われる向きもあろうが、馬路トンネルに近い山の中にこんな踏切がある。

馬路トンネル豊岡側坑口(地図D)

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京都府・兵庫県間の県境のトンネルである馬路トンネルの豊岡側坑口。コンクリート製のスノーセットである。昭和4年にこの構造物があったのならかなり斬新なものだったのだろうが後付けされたものなのかどうかわからない。

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こちらが、トンネル本体の始まり部分。石積みである。

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スノーセット上から豊岡方を見る。
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2010/03/12

多田スミス(旧竹田中学校)

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twitterで和田山の多田スミスに中学校の建物が残っているという情報を聞き、本日(2010.3.12)現地を覗いてきた。

あったあった。最初の写真は、事務所棟と思われる建物。渋いファザード、古い感じの野郎軒瓦(継ぎ目を隠す○(巴)がないタイプ)から、戦前の建物の匂いがするが決め手はない。

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そして、体育館。当初は瓦葺きだったのだろう。妻面の通気口の意匠が事務所棟と同じである。壁面は窓まわりの重厚な感じと、それ以外の軽い感じがおかしなテイストである。ひょっとするとRCと木造モルタルの混構造だったりして。いや、RCと鉄骨の混構造というところか。昭和10年代っぽい印象を受けるがこれも決め手がない。

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そして最後は木造校舎。これも、もとは瓦葺きだったのだろう。戦前かな。ただ、他の2棟と建物の思想が異なるようにみえる。あまりにも質素だ。資材の統制令が出た昭和12年より後と前という推理も可能だが、決め手となる資料が何もない。

この物件の近所の加都在住のK君に竹田中学校跡だと電話で教えてもらった。現在54歳位の人が最後の生徒とのことなので、昭和40年代前半頃に廃校となったと思われる。

===2010.3.15 付記===
和田山中学校 沿革によると竹田中学校廃止の経緯は下記のとおり。


昭和42年4月1日糸井、大蔵、竹田、和田山の4中学校が統合し、各校名を廃止し、それぞれ和田山中学校糸井、大蔵、竹田、和田山校舎と称す
昭和44年3月16日竹田校舎、閉校式を挙行、元校舎跡に記念碑建立。

2010/02/13

玄さんの隠された過去

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山陰海岸ジオパークのゆるキャラとして人気上昇中の玄さん。Wikipediaによると玄さんのデビューは2009年11月5日ということになっているが、これは違う。玄さんにはこの「再デビュー」前の下積みがあるのである。

冒頭の写真は、豊岡市営バス「イナカー」に描かれているゆるキャラトリオ。一番右側はハッピこそ着ていないものの玄さんに間違いない。ということは、玄さんは2008年10月1日に「イナカー」のキャラクターとして一度デビューしているのだ。のこる2つのキャラクターは名前すら不明のキャラ。コーちゃん、オーちゃんがデビューして数カ月後に実に二番煎じな感じで出てきたキャラクターである。

玄さんは、この二番煎じキャラとトリオを組んでいたが、鳴かず飛ばずな感じで、いまいち知名度も上がらなかった。っていうか、当時は名前すらなかったと思う。で、去年、山陰海岸ジオパークの世界ジオパーク認定申請(10月28日)直後にジオパークキャラとして引き抜かれ、ジオパークのハッピを着込んで再デビューを果たした。現在は、コーちゃん、オーちゃんらと新ユニットを組んでいる。

問題は、玄さんがコーちゃんらと組むことによって、「イナカー」の残りの2キャラの位置付けが相対的に暴落したような印象を受けてしまうことである。私としては、のこる2キャラはきっちりと抹殺してあげるのが彼らのためのように思えてならない。

現在も「イナカー」には、写真の3キャラが描かれて運行中だ。玄さんの暗い過去は消されていない。あたかも、「イナカー」に貧乏神が描かれているようでならない。

2010/02/07

但馬三江駅について言い残していること

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但馬三江駅の改修等について書いていないことを書いておく。

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後ろ姿の女性ではなく建具の話。建具はメンテのこととかもあろうが、木製建具に取り替えて欲しかった。電灯などかなりこだわった器具を入れているが、このアルミサッシで大正ロマンは台無しである。昨年竣工のJR小浜線松尾寺駅では、木製建具を入れていい味を出している。ここは肝だったろう。

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塗装はこのいわゆる「ペンキ」という感じのべっとりした塗装。いちいち比べてしまうが、松尾寺駅は今風の塗装である。これについては、舞鶴高専建築システム工学科の上坂君とも「こっちのほうが建築当時に近いのかもしれない」と意見が一致。

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こちらは別棟のトイレ。母屋とかなりテイストが違うが、とくに合わせることもなかっただろう。横架材の使い方がユニーク。こういう手法ってあるのかな。

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そして、これが、駅舎の竣工が開業時の昭和4年12月ではなく、昭和5年だとする根拠の建物財産標。いつも思うのだが、建物財産標に記載されている年月とは竣工時の年月なのだろうか。「昭和5年3月竣工」と書かれているわけではない。単に「昭和5年3月」と書かれているのみである。つまり、「昭和5年3月」に何が起こったのかは書かれていない。建物財産の帳簿搭載年月かもしれない。このあたり、ご存じの方があればご教示願いたい。

というわけで、三江駅雑感であった。アルミサッシ以外は大変に気の利いた改修だと感じた。関係者の皆様、ご苦労様でした。

2010/02/06

但馬三江駅リニューアルオープン

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KTR但馬三江駅の改修工事が終わり、本日「オープニングセレモニー」が開催された。市長あいさつをはじめ来賓の挨拶も聞いたが、単に駅舎がきれいになってよかったねという趣旨で、駅舎の今後の活用についての提言がなかったのは残念であった。

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そんな中、珍客発見。舞鶴高専の前学生会副会長の上坂(こうさか)君だ(写真左。写真右は某T氏)。彼は、舞鶴高専の最寄り駅であるJR小浜線松尾寺駅や、KTR丹後由良駅で駅舎がらみのイベントを打ってきた立役者である。舞鶴高専と駅舎イベントの妙な関係をたどりながら、但馬三江駅の今後の活用方策について考えてみたい。

JR小浜線松尾寺駅の事例


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写真のいかにも駅舎に見える建物は駅舎ではない。舞鶴市松尾寺駅前観光交流施設という。この建物は、もと松尾寺駅(無人駅)の駅舎であったが、2008年、JRが駅舎を舞鶴市に無償譲渡。舞鶴市は2008年度に1400万円かけて改修工事を行い、2009年4月にオープンさせた。建物は1センチも動いていないが、この建物は駅前の市の施設ということになる。

で、この施設は指定管理者制度を採用しており、指定管理者にNPO法人「駅舎とともにいつまでも」が収まった。「駅舎とともにいつまでも」は、地元住民と舞鶴高専で組織した団体。この地域には、志楽ダイヤモンド協議会という地域団体があり、舞鶴高専は、この団体と松尾寺駅舎の清掃など、ゆるーくつながりを維持してきた。NPO法人に地元だけでなく舞鶴高専を入れ込んだのは慧眼であろう。

このNPO法人は、いままでに、昨年4月の「オープニングイベントと、同7月の夕涼みコンサートと少なくとも2つのイベントをこなしている。

オープニングイベントの様子(舞鶴高専のサイト)
夕涼みコンサートの様子(志楽ダイヤモンド協議会のサイト)

よーするに、舞鶴高専の学生を呼んできてなんかやらせるという安直なイベントといってしまえばそれまでだが、地元からのなにかお祭り騒ぎをしたいという要求が舞鶴高専に届き学生がそれに応えるということができる枠組みがあったということが重要であろう。そして、高専内のとりまとめを行ったのが上坂副会長なのである。

KTR丹後由良駅の事例


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丹後由良駅は、松尾寺駅とは異なり、駅舎はKTR所有で普通の駅舎である。簡易委託駅という位置付けで駅業務を由良舎楽という団体に委託している。舎楽は、駅舎内で売店や喫茶もやっており、比較的にぎやかな感じの駅である。由良舎楽の詳細はよく知らないが、コミュニティービジネスという路線なのかも。

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由良舎楽は、いままでにもいろんなイベントを行ってきたが、昨年夏には、舞鶴高専をフィーチャーした「7/20海の日!由良舎楽&舞鶴高専イベント!KTR丹後由良駅フェスタ2009!!」を行った(当ブログで既報)。

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写真はイベントでMCする高専生。一番左が上坂君。

で、但馬三江駅は


で、但馬三江駅について考えると、この駅舎は、松尾寺駅のように(豊岡市は補修費は捻出したが)駅舎は市の所有ではないし、もともと無人駅であるため、丹後由良駅のように委託する業務もない。

しかし、7日付神戸新聞によると「コウノトリの郷駅応援団」というものが結成され、今後の駅活用の母体となるようだ。近隣の三江小学校やコウノトリの郷公園を巻き込んでいろいろなイベントが打てると楽しい。「郷」のパーツの一つとして駅も組み込んで欲しい。

応援団と駅のつながりが、上述2駅とくらべて緩やかなつながりなのが若干気がかりではあるが、駅の自由な利用が保証されていれば、かえって自由度の高い活動ができるのかもしれない。このような仕組みは前例があまりないのかもしれないけれど、駅の活性化についての新しい形として成功して欲しい。

豊岡市が600万円も出して松尾寺駅のように市有化しなかったのは、今後の駅舎の管理はKTRということになるのか。駅舎の物理的な持続可能性を考えるとこの点が若干気がかりではある。

それにしても、但馬三江駅はさびれすぎた駅だ。駅周辺も駅前の匂いがない。駅前の集落は駅を忘れてしまったような風情である。駅が綺麗になっても、ここのところはかなり苦しい点である。

そこで、但馬みえちゃんだ!


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すでに当ブログでも紹介したトミーテック鉄道むすめの新キャラ但馬みえちゃんのサンプルが但馬三江駅の片隅に展示されていた。権利関係がむずかしく、鉄道むすめを地域おこしに活用するのは難しそうだが、その難関を乗り越えてキャラクターを活用している事例はかなりある。

昨年秋には「全国鉄道むすめサミット」が岩手県で開催された。テーマは「カワイイが地方を救う~カワイイもの・ことを地方から発信しよう」。サミットには岩手県知事も出席。ポスト「ゆるキャラ」は「萌えキャラ」か。

サミットが岩手県で開催されたのは岩手県の三陸鉄道が鉄道むすめ活用の先進地だからのようだ。三陸鉄道ではでは、久慈ありすのショコラ2010クリアファイル久慈ありす&釜石まなてぬぐいなどの三陸鉄道オリジナルグッズのほか「三鉄の掘り出し物&鉄道むすめ&久慈の旨い物 トリプル嬉しい“さんてつ祭り”」(サミット前夜祭を兼ねたようだ)を開催している。

東武鉄道沿線の栗橋町では栗橋みなみをあしらった純米酒「みなみ」とミネラルウォーター

函館市交通局は2009函館開港150周年記念乗車券に柏木ゆのをプリントしたオリジナルのキーホルダーを添付。

グッズ系であれば、かなりの事例を拾う事ができそうだ。

「カワイイが地方を救う~カワイイもの・ことを地方から発信しよう」

さて、但馬みえちゃんを最初に活用するのは誰だ!

2010/02/04

但馬みえちゃん登場

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トミーテックの鉄道むすめに新キャラ「但馬みえ」ちゃん登場! そう、「但馬みえ」という名前はそのものズバリ、KTR但馬三江駅から。おそらく日本で唯一、単独の駅名で人名となっているこの駅は、去年5月に「コウノトリの郷駅」という愛称を与えられたものの、駅名改称までには至らず、「但馬三江駅」という人名駅名は生き残った。

で、このたびの但馬みえちゃんの誕生である。すでに豊岡のキャラとしては(初代)こうちゃん、(2代目)コーちゃん、オーちゃん、玄さん、とそうそうたるゆるキャラが登場しているが、ついに今回、「萌えキャラ」の登場となった。おじさんはすなおにうれしい。

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但馬三江駅は6月に駅の改築経費600万円が予算化され、改築工事はすでに完了している。KTRの駅舎であるが、出資者としての豊岡市が経費を負担しての改築となった。大変に地味な駅であったが、そのため、建築当時の駅舎がほぼそのまま老朽化して残っており、これが補修された。昨年の愛称付与以降なんとなく注目を集め、そしてダメ押しの但馬みえちゃんの登場だ。

ところで、KTR 北近畿タンゴ鉄道であるが、京都府の鉄道というイメージが強い。宮津線と宮福線の2線からなる第3セクター鉄道は、わずかに豊岡駅とこの但馬三江駅の2駅のみが兵庫県にあり、他の駅はすべて京都府に存在する。しかも、相当な赤字路線で、京都府も京都府内関係市町もKTR維持にはかなりの予算をつぎ込んでいるはずだ。

そういう状況下で、KTRアテンダント姿のKTRを代表する鉄道むすめが兵庫県の駅名「但馬三江駅」を名乗ちゃったのは、若干の気まずさを禁じ得ない。大江山、天橋立、福知山、舞鶴などを押さえての抜擢である。コウノトリの郷豊岡市のなせる技だったのか、たまたまの人名駅が採用されたのか。しかし、転がり込んできた萌えキャラ、しっかりと活用して行きたい。

これで、日本中の鉄へ但馬三江駅はおもいっきりアピールできたはずだ。

ちなみに、但馬みえちゃんは3月20日発売予定。2月6日の但馬三江駅完成イベントでサンプルがお披露目されるらしい。見に行ってこようかなぁw。


2009/08/01

湯村温泉は円仁により発見されたということ

新温泉町のパンフレットで、湯村温泉が848年に円仁(慈覚大師)により発見されたということになっていることを知った。

円仁については、こちらに19次遣唐使とあわせて書きかけているが、唐から帰ってきたのが847年。微妙に矛盾はない。

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