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需要の高そうな福知山線 西宮名塩駅〜武田尾駅の旧線歩きをします。土日仕事の方からの希望で平日実施としました。西宮名塩駅10時出発で、6.42kmを歩きます。武田尾駅で解散としますが、但馬組は西宮名塩駅まで電車で帰ります。
但馬組は8時30分に道の駅但馬のまほろばに集合して車乗り合わせで西宮名塩駅に向かいます。
鉄道むすめ「但馬みえ」に関しては、こちらでも何回か書いた。
結局のところ、但馬みえがKTRを代表する鉄道むすめになったのだけれど、この但馬みえというネーミングは兵庫県豊岡市の駅名から採られたものであって、予想通り(京都府の鉄道である)KTRは基本的にシカトしているようにしか見えない。むしろ、KTRは但馬みえという鉄道むすめキャラがありながら、「けいおん!」や「宇宙戦艦ヤマト」のラッピングカーを走らせたりした。
鉄道むすめ群のなかにあっても但馬みえは、なんとなく年齢もイッテそうだし、どことなく憂いを秘めた表情のようにみえなくもない。なにが言いたいかというと、全て合わせて、いまいちパッとしないキャラクターなのかもということ。
そんな中、コミックマーケット84において、写真家の葦浦史穂が自らの舞鶴砲台本販売にからめて、但馬みえのコスプレをした。リアル但馬みえ(決して「現物の但馬みえ」ではないんだけどね)を見ると、まず目に入ってくるのが「但馬」というネームプレートなんだけど、総合的に兵庫県キャラ、もっと言えば、但馬キャラとしかいいようがない。
葦浦さんが但馬みえのコスプレをしたのは、自身の舞鶴本にからめて舞鶴も走っているKTRの鉄道むすめということなんだろう。舞鶴はKTRエリアの最東であり、但馬三江駅はKTRエリアのほぼ最西である。直線距離で50kmほども離れている。文化的にもかなり隔たっている。
葦浦さんが、舞鶴本の協力者である僕(豊岡市在住)を立てて但馬みえに扮したのかも知れないが、豊岡、舞鶴ともに古くは豊岡県という同じ県に所属していた時期もあり、それが、いまKTRによって繋がっているんだと再認識した次第である。
蛇足だが、葦浦「但馬みえ」はどことなく「田島令子」に似ている(笑)
というわけで、舞鶴砲台写真集は無事8月11日(僕の誕生日)に発売されたのでした。私の手元にも幾つかありますので、ご入用のかたはメールなどでご連絡いただければお送りします。
2月18日から但馬みえフィギュアとスタンプのセットが販売されるらしい。で、スタンプの印影の詳細が示されている。こういうのを見つけるとつい解題してみたくなる。
まず、散らばっているカードであるが、但馬みえが百人一首の名手であるという設定なので、これは百人一首なのだろう。
右側には風景が描かれているが、青空に雲、そして大江山であろう。なぜなら但馬みえのお気に入りの句は「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」であるからである。ならば、手前に描かれている道は当然「いく野の道」である。
そして鳥。これはちょっとビミョーなんだけれどコウノトリということにしとこう。
2012.2.13加筆
KTR「木津温泉駅」がある木津温泉(きつおんせんと読み、濁らない)は、行基が、しらさぎが傷を癒しているのを見て発見したという伝承も残っており、「しらさぎ温泉」と呼ばれることもある。KTR「木津温泉駅」の存在の意義は大きいので、この鳥はしらさぎと考えたほうがよさそうだ。
左にはなぜか丸太が3本。これは仕事柄どうしても丸太に見えてしまうのだが、当然そんなハズはない。長考の末、これは丹後ちりめんの反物と断定した。その目で見ると但馬みえの背中あたりで反物が1本ほどけているのがわかる。
というわけで実にご当地な図柄なのである。ところが「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」の「天の橋立」が欠けている。 画竜点睛を欠くである。ま、これは、このスタンプの本物は天橋立駅に置かれるということでクリアなのだろう。
さて、「いく野の道」の「いく野」たが、福知山市生野だという。京都から行くと三和町あたりの河岸段丘地形を抜けて平坦地に出たあたり、ようやく福知山に着いたという感じのところだ。これはこれで味わいがある。
しかし、802年に開坑の生野銀山もあるのに、この句の詠まれた11世紀に、福知山市生野がそんなに有名だったのか。実は「いく野」については亀岡に比定する考え方もあるようだ。この場合、大江山は老ノ坂峠の大枝山ということになる。こっちのほうが説得力があるが、但馬みえのキャラとは整合しない。
ところで、この句だが、作者の小式部内侍には、彼女の句は実は母の和泉式部の作ではないかとの疑惑があり、ちょうど和泉式部が丹後に行って留守中の句会で「お母さんから手紙はきましたか」と皮肉られた上での即興だという逸話がある。「まだふみもみず」には「手紙なんか来てないよーだ」というニュアンスがあるとしたら愉快だ。
2013.1.5付記
「天橋立百人一首」という書籍によると小式部内侍はこの歌を読んだのは20歳未満のときで、15歳説もあるということだ。才女だな。25~28才くらいで亡くなったようだ。4歳ころまでは兵庫県の相生に預けられていたという(神戸新聞2012.12.4 西播版)。
(以下、2012.2.13付記)
というわけで、これまでの検討を踏まえて、
超訳「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」
大江山、福知山の生野、いえいえ、京のはずれにある老の坂峠の大枝山や亀岡(生野)でさえじゅうぶん遠いのに、その先の丹後に行くの(いく野)には、遠路ワイルドな道(野の道)を通っていかなければなりません。大江山や福知山よりも(もちろん亀岡よりも)、さらに遠い天の橋立などまだ踏んだこともありません(「踏む」と「橋」は縁語、さらに「文」に掛けるウルトラCテク)。私の句を母が代筆していると疑われ、この度は母が丹後に旅行中のため、母からの手紙(句)が届かなければ今日の句会は困るだろうとご心配してくださる方もいらっしゃるようですが、前述のとおり天の橋立は遠く、まだ手紙は届いておりません(まだふみもみず)。母の手紙のことまで読み込んだこの句は、そちらの方の誹謗に対抗する私の即興の句で、即興であるから自作であることは自明です。しかも掛け言葉や縁語を駆使した高度にテクニカルな句としましたから、この句から私の才能を充分に評価していただきたいものです。ジロッ( 一一)
JR山陰線の京都府福知山市夜久野町末の府道526号をまたぐ架道橋(地図A)である。桁部はコンクリート製に置き換えられているが、橋台部は竣工当初のままである。
れんがはイギリス積み、隅石は江戸切りとJR山陰線の架道橋としては標準的な仕様である。れんがの寸法は16測定の平均で219.7mm×105.2mm×54.2mmで、平均値だけ見れば厚めの山陽新型といったところだが、長さにおいて222mm前後もかなり認められたことと、近くの架道橋が並型であったことから並型としたい。
2013.1.20 付記 この隅石は江戸切りではない。このあたりの山陰線では、東河橋りょう、矢名瀬駅近くの架道橋がこれと同じタイプの仕上げ。 また、煉瓦の寸法についても、このあたりの山陰線の規格は山陽新型と並型の境界上あたりにあり、並型と山陽新型という規格で区分するべきでないと考え始めているところ。=>「JR山陰線の煉瓦寸法取りまとめ(中間考察)」参照
この橋は別件。さきほどの府道526号の架道橋の少し京都側の京都府福知山市夜久野町日置にあるおそらく架道橋(地図B)。こちらも桁はコンクリート製に置き換えられている。
橋台はれんがイギリス積み。隅石はない簡素なものである。れんがの寸法は10測定平均で223.3mm×107.2mm× 55.3mmで、こちらは並型。ここが並型で、豊岡市日高町のJR山陰線架道橋も並型であったことから、先ほどの府道526号の架道橋も並型であろうと推測した。これで、JR山陰線は福知山から豊岡にかけて広く並型であることが予測される。JR山陰線余部付近の構造物では厚めの山陽新型ないし山陽新型という測定値があるが、いずれも測定数が少ないので最調査したい。
KTR宮津線の豊岡~但馬三江間にある小さな橋梁である(地図A)。「橋梁」としたが、これは塗装の記録表示に「橋りょう名」とあるのでこれを採ったのだが、実際にこの構造物下に水路はなく、そういう意味で橋梁ではない。架道橋か避溢橋だろうが、避溢橋という線が正解だろう。
小さいが、実に異様な構造物だ。桁橋なのに、下にコンクリート構造物があり、しかも下の構造物は桁と接していない。このコンクリートはおそらく橋台部にかかる土圧の対策のために付けられたもので、後付けの可能性もある。というわけで、パッと見、実に威圧感のある橋である。
このコンクリート構造物は3重にもなっている。
桁にある銘板。例によって読みづらいが、
昭和四年(■■■ 1256)
・・・・工場製作
活荷重 E-33
鐵道省
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材料
I:八幡製鐵所
C:仝上
L:日本■■■■■■
鈑:■■■■■■■■
鋲:■■■■■■所
といったところが読める。E-33といえば、余部鉄橋と同等の設計基準であるから幹線規格だ。
線路脇に上がる小道があり上がってみるとトンネルの坑口が見えた(地図B)。コンクリートの打ちっぱなしである。
但馬三江駅の少し豊岡寄りにある架道橋。昭和4年開通当時のものだと考えられる。プレートガーター橋だが、橋台は石積み。よく通るが思い立ったが吉日でついに写真に。
で、ついでに鎌田橋梁も。こちらは、ずいぶんと高い橋梁であるが、橋脚は石積み。コンクリート石張りというところか。
祥雲寺に踏切があるのかと疑問に思われる向きもあろうが、馬路トンネルに近い山の中にこんな踏切がある。
京都府・兵庫県間の県境のトンネルである馬路トンネルの豊岡側坑口。コンクリート製のスノーセットである。昭和4年にこの構造物があったのならかなり斬新なものだったのだろうが後付けされたものなのかどうかわからない。
こちらが、トンネル本体の始まり部分。石積みである。
スノーセット上から豊岡方を見る。
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