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近代化遺産-第三火薬廠

2013/10/20

舞鶴戦争遺跡探訪会(2013.10.19)

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天気が心配されたものの、結局、割りといい天気。当初予定されていた美山町の建築士さんが欠席となったものの、上田さんがお子様連れで参加され、参加者はこんな感じ。

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外国人の方が2名参加され、いつもとえらく雰囲気と違う探訪会となった。

ただし、コースはことし4月とほぼ同じ。第三火薬廠と葦谷砲台。

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今回、あらたに気づいたのは(既に気がついていたと思うがブログに書くのは初めて)、葦谷砲台の貯水槽。これは、テーパーのかかり具合とか、吉坂本堡塁とほぼ同じ仕様。

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これが、吉坂の貯水槽。2011年5月22日撮影。

私としては何回も行っているところなので、新知見はこんなところ。

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上田カメラマン、2人の子どもを外国人に任せて、撮影に没頭するの図(笑)。

あとは、いきもの編。

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(北垣和也撮影)

ニホンザル

ニホンザルは、2011年11月12日の観光協会の探訪会(この時に葦浦史穂と知り合う)のときにも松尾寺駅裏で見られた。今回は、吉野トンネル南口付近(舞鶴市安岡)にて。なかなか逃げない人馴れしているサル群である。

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(北垣和也撮影)

ツキノワグマ

ことし9月の台風18号時の大雨で、第三火薬廠内の遺構も場所によっては新たに泥が堆積している。これは乾燥場内部の新しい泥についた足跡。大きな足跡はツキノワグマであろうか。イタチ類かアライグマと思われる足跡。ノネズミの足跡も見られる。

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モモジロコウモリ? ユビナガコウモリ(2013.12.22 浦野信孝氏の指摘により訂正させていただきます。)

第三火薬廠の二重倉庫にて。ここでは1度モモジロコウモリを見ている。今回で2回目かもとなる。

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コキクガシラコウモリ

ピントがあっていないが、前腕長が一見して60mmよりはるかに短くコキクガシラコウモリと考えられる。舞鶴市で初見。私としても初コキクガシラコウモリ。

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キクガシラコウモリ

葦谷砲台にて。この日、北垣和也は47頭を数えた。越冬場所と考えられる。

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(Photo: Orrin Heath)

この日、上田さんちのお子様2名は、コウモリ大好きになったみたい。なかなか身近でコウモリを見る機会はないので、こういうコウモリの観察会は重要なのかもしれない。特に、写真のモモジロとコキクガシラは10cmくらいの至近で観察できたのもよかったのかも。二重倉庫の真っ暗な回廊は、子どもたちにとって楽しい場所だったに違いない。

Orrinのアルバム


A: ミニストップ東舞鶴鹿原店
B: 舞鶴高専駐車場
C: 第三火薬廠
D: 火力発電所駐車スペース
E: 葦谷砲台



2013/10/02

葦浦史穂さんの舞鶴戦争遺跡写真集がアマゾンで買えます

僕も全面協力した写真家の葦浦史穂さんの舞鶴戦争遺跡写真集がアマゾンで買えるようになりました。ただし、マーケットプレイス扱いなので送料250円かかります。

第三火薬廠写真集

昨年の夏のコミケで発売した第三火薬廠写真集です。第三火薬廠の遺構に焦点を当てた書籍としては唯一無二。地図も入ってガイドブックとしても使えます。詳細はアマゾンのレビューに書いときました。

舞鶴砲台写真集

舞鶴の砲台を写真で紹介したものは「舞鶴の近代化遺産」(舞鶴市教育委員会)などありましたが、舞鶴の砲台だけを取り上げた書籍としては初めてのものです。

また、陸軍の明治期の砲台に合わせて、太平洋戦争期の海軍倉梯山防空砲台も取り上げています。倉梯山防空砲台の写真が印刷物となったのはこれが最初でしょう。

こちらもレビューを書いときました。

いずれも私の知見を総動員したもので、この2冊でしか得られない情報が満載です。このブログの総括でもあるのですが、このブログに書かなかったことも書かれています。お持ちでない方はぜひお求めください。


2013/08/25

2013年10月19日(土)、舞鶴戦争遺跡探訪会を開催します。

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開催日2013年10月19日(土)に決定です。雨天決行。
10時、ミニストップ舞鶴市鹿原店集合です。JR利用の方もご連絡いただければ対応します。

行き先は第三火薬廠と葦谷砲台。歩行距離も短くお手軽です。

集合時間場所等変更の可能性もありますので、参加希望の方は、メール等で参加申し込み願います。->メール

現在、私含め7名参加予定(うち女子1名)。

Facebook イベントページ



2013/05/18

舞鶴砲台巡り アシウラ編-4(最終回) 2013.5.15

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アシウラさんの舞鶴砲台コンプを目指して敢行された舞鶴砲台巡りは、4回目を迎え、陸軍の砲台としては残り一つとなった建部山堡塁に加え、海軍の倉梯山防空砲台を巡る予定であったが、私の体力的な問題もあって、結局、倉梯山はパスして、初参加の方もあったので、午後は第三火薬廠でお茶を濁すということになった。

建部山は舞鶴軍港の西の守りとしての堡塁で、砲台の要素に加えて西から攻め入る敵を防御する山城の役割も担っていた。上の写真は掩蔽部。5連ある。

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内部は通路でつながっている。一番右側のみ寸足らずなのは吉坂堡塁の掩蔽部と同じ。この寸法には何か意味があるのだろう。

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掩蔽部の奥に、砲側庫が3つありその間に2箇所の砲座がある。砲側庫のディテールは吉坂と同じ。

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中央の砲側庫にキクガシラコウモリが1頭いた。

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砲座はコンクリート製である。

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軍道には、槇山砲台の軍道に見られるものと同じディテールのアーチ橋が一つある。軍道はハイキングコースとなっていて歩きやすいものの、下から堡塁まではかなりの距離だ。舞鶴市喜多に登り口がある。

ということで、この時点で、アシウラさん、舞鶴陸軍砲台のコンプ達成。ま、厳密に言うと、吉坂の副堡塁は行っていないのだけれど。

で、午後は第三火薬廠に向かった。

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まずは、乾燥谷へ。ここの乾燥施設の裏側にはあまり立ち入っていないので裏側の写真を上げておく。

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この日は、私を含めて5名参加で、うち女子2名。踊っている人がアシウラさん(笑)。砲熕谷にて。

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砲熕谷最奥の392火薬庫の内部。内部の写真は1度上げたがあまり鮮明なものではなかったので上げておく。照明があるのがわかる。第三火薬廠で照明が現存するのは、ここと411火薬庫と覆土式火薬庫(二重倉庫)だけであろう。内装は木質というのも共通点。

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解散後にアシウラさんの案内で、東舞鶴のボーリング場の裏のれんが構造物を見た。えらく立派な構造物だ。

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この外部の立派さに比べて、内部の奥行きはあまりにも浅い。物置のような施設なのだろうが、なにか機械を置いていたのかもしれない。

これで、とりあえず、アシウラ編も終了。次回は、いままで行きたがっていたのに参加できなかった人のための見学会をしてみたい。6月かな?


2013/04/21

舞鶴砲台巡り 4月

2013.4.20の舞鶴砲台巡りは6名で実施。第三火薬廠、葦谷砲台、浦入砲台を回った。今回新たに得た知見をメモしておく。

覆土式火薬庫


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その暗さ故、いままであまり覆土式火薬庫(いわゆる二重倉庫)の内部の写真はきちんと撮っていなかった。今回、デジタル一眼レフを用いて三脚を使用して撮影したところ難なく写真を撮ることができた。上の写真は、ややアートよりの写真。

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こちらは、適正露出の写真。照明器具が千鳥に並んでいることがわかる。今まで、あまり覆土式火薬庫の照明について考えたこともなかったが、こうして見ると、なかなかおしゃれな照明である。

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(撮影:北垣和也)

このアングルの写真も撮っていない。二重倉庫たる所以のよく分かる写真である。ただ、ここで注目したいのは、上部の電線管。この2本の電線管が照明の電源であろう。

この写真を見た上で、一つ前の内部の写真を見てもらうと、照明器具の並びにそってコンクリートが線状に途切れ途切れに剥離しているのがわかる。照明の電源の電線管は、コンクリートの中を走っているようだ。これが良くなかったようで、コンクリートが剥離したと見られる。

隧道式火薬庫


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(撮影:北垣和也)

高専駐車場横の隧道式火薬庫の扉である。今回、錠前の蓋が開いているところを見ることができた。ダイヤル式錠である。鉄製とはいえ、そんなに頑丈な扉ではないが結構厳重な錠が付いていることがわかる。

砲熕谷22工場 砲炸薬整形工場


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いわゆるロシア病院の脇であたらに見つけた消火栓である。グリーンスポーツセンターにあるものより太いタイプである。以前にロシア病院の裏手でも1件見つかっていたがそちらはグリーンスポーツセンターのものと同タイプであった。

どうも、シカの食圧で植生が貧弱になってきたために見つかったようだ。っていうか、実にわかりやすいところにあったのに今まで見つかっていないのがウソのようでさえある。

浦入砲台 境界石


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浦入砲台ちかくでの陸軍・海軍の境界石が並んで立っているのは、今まで「防一三」と「海界37」が隣接しているのを見つけていたが、今回のは、「防一四」と「海界33」である。「防一三」と比べ「防一四」のほうが接近して立っている。

ここは、陸軍の砲台と海軍の水雷衛所が隣接している所で、ここならでは境界石である。



2013/04/20

きょうの窯業系

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本日(2013.4.20)、舞鶴砲台巡りと題して、第三火薬廠、葦谷砲台、浦入砲台を私も含め6名で回ってきた。このブログではいずれも紹介済みの箇所ばかりなので、今回、窯業系マニアの田邉貴教氏と回ったこともあり、とりあえず窯業系について紹介したい。

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まずは、碍子。上の写真は、第三火薬廠砲熕谷の392火薬庫近くで見つけた碍子。現場では「物」の字が入っているということになっていたが、これはやはり「惣」の字だろう。川惣製陶所(現:川惣電気工業株式会社)のマークと考えたがいかがだろうか。

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こちらは、「TG」のマーク入り(葦谷砲台)。碍子系(「外資系」じゃなく、ね)の会社としてTGケラーという会社が現存するのだが、これと関係ありと見た。ただし、TGケラー社はHPがなく詳細は不明。妄想としてはTGは「東海碍子」みたいな会社で、ドイツのケーラー社から外資(碍子ならぬw)が入ってTGケラーとなったとか(笑)。

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大日本麦酒の瓶(葦谷砲台にて)。大日本麦酒は大筋では1949年にアサヒビールとサッポロビールに分解。(日本におけるビール製造会社変遷早見表

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この瓶は、ブランドとしてはサッポロビール。

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で、上記『麦酒製造会社変遷早見表」を見ていだければと思うが、日本のビール史上鉄板のビール会社キリンビールの瓶。これも葦谷砲台。

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で、最後はこれ。第三火薬廠、乾燥谷にて。温度計という説もあったが、乾燥施設ということで、ボイラーの水位計または圧力計と見たがいかがだろうか。


2013/03/15

舞鶴砲台巡り 4月(予告)

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舞鶴砲台巡りは、これまで平日に集まれる人のコアなイベントでしたが、今回土曜日開催としてみます。案外人が集まらないのではという不安もありますが、いちおう、4月20日というセッティングにしてみました。

行き先は初心者向けに、第三火薬廠と葦谷砲台とします。クルマ横付けです。

集合はミニストップ東舞鶴鹿原店に2013年4月20日(土) 10時

参加ご希望の方は、私までメールで連絡いただくか、下記Facebookイベントページで参加表明願います。

Facebookイベントページ


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A: 葦谷砲台
B: 第三火薬廠
C: ミニストップ東舞鶴鹿原店

2013/02/28

第三火薬廠卒業(?)

息子が3月、高専卒業である。息子が高専を卒業すると、用事があって舞鶴に行くことはなくなる。用事がなくても舞鶴に行くだろうと思われるかもしれないが、用事がなくて、なおかつ、人を案内することもなく、自分一人で自分のためだけに舞鶴に行くことなど、実はほとんどない。2010年5月5日、同年6月6日の2回だけである。

従って、息子が高専を卒業してしまうと、舞鶴に行く機会はちょっとだけ減るかもしれない。というわけで、わたしも、用事があって舞鶴に行くついでに第三火薬廠を見るのもこれで終わりということで、息子退寮(撤収)のきょう、最後に気になっているところを見てきた。

気になっているところとは、この空中写真中央の建物。

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GoogleMapにこんなにはっきり写っているのだから何かはあるはず。何があるのか。

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これがあった。(地図A)

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回りこむと、こんな感じ。木造モルタルのそんなに古い建物ではない。昭和40年代か。

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内部はこんな感じ。アパートだ。

風呂、トイレは共同、つまり寮みたいな建物。昔の高専の寮か。ただ、高専の敷地外でもあるし、寮として使っていたことはないと初期の高専卒業生の方から情報も頂いた。じゃ、アパートか。周辺の草刈りは定期的に行われているようだし、施錠も完全。誰かが管理している感じではある。

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気を取り直して、覆土式火薬庫へ(地図B)。ここは、年中安定してコウモリの見られるところ。本日は、上の写真のテングコウモリ モモジロコウモリ1とキクガシラコウモリ4を確認した。舞鶴でテングコウモリ モモジロコウモリは初記録かも。

本件、「舞鶴の守りたい自然プロジェクト」の「舞鶴の「地域の宝物」ギャラリー」動物編Vol.14に掲載していただいています。素早い対応ありがとうございます。

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覆土式火薬庫の換気口(外部)(地図C)。今回はじめて発見。

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そして、ポストモダン(笑)の秤量場(地図D)。ここは植物に覆われてなかなかいい写真が撮れていないのだけれど、さすがに2月。わりと形のよく分かる写真が撮れた。

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別アングル。この2枚の写真で、どういう形の建物なのかお分かりいただけるのではと思う。わからんか(笑)

というわけで、これで、第三火薬廠も思い残すことなし、かな。


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2011/03/06

舞鶴第三火薬廠新ネタ2題

第三火薬廠も煮詰まってきた感じで、物件としては、もう落ち穂拾い的なモノしか出てこない。今回は、高専後援会(PTAのようなもの)の役員会開始前の時間つぶしとして約1時間歩いた。

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まずは、こいつ(地図A)。基本的に木造建築物の基礎で、そういうものは結構(いちいち挙げていられないほど)たくさんあるのだけれど、こいつは水場系基礎ということで、かなり特徴的である。とりあえず「風呂場」と呼ぶが、当然、風呂場に特定できたものではない。以下、カギカッコ付きの「用語」は私の妄想である。

この「風呂場」は、手前から3つの部分からなる。一番手前はいわゆる通風口のある普通の基礎の部分で床がはってあったと考えられる。「脱衣場」である。次の空間は「洗い場」、そして一番奥に「浴槽」がある。

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順番に見ていくと、「脱衣場」については、いわゆる木造の基礎で見るべきものはないが、ただ、通風口金物が現存していたので掲げておく。第三火薬廠で通風口金物を見たのははじめてのような気もする。

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つぎに、「洗い場」であるが、こちらには、円筒を4つに切断したような形の特徴的な「上がり湯槽」がある。これは、右端と左端にシンメトリックに配置されている。

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そして「浴槽」。これは、左右に長細い「浴槽」の中央に仕切りがあり、左右2槽に分けられている。手前側にステップのようなものも見えないではない。崩壊しているものの、浴槽の向こう側には「よく富士山を描く壁」がある。

この「風呂場」は単独の建物ではなく、右側に木造基礎がいくらか見られるので、建物群の左端にあったと思われる。

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「風呂場」の右側外壁(他の建物に面する側)に、このような装飾があった。石板のようなモルタルのようなものであるが、これって意匠的には「ロシア病院」の内壁のプランと同じような感じがしないでもない。そうすると、この面は隣接建築物の内壁なのかもしれない。

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季節は春。そういえば啓蟄の頃でもある。カラ類の地鳴きがよく聞かれた。写真はシジュウカラ。

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そして、もうひとつの物件「水栓柱」である(地図B)。もちろんこれもホントに「水栓柱」だとは思ってはいないが。

これは、鉄パイプを巻く形で実に雑な感じで打たれたコンクリート柱で、しかも鉄パイプが上端部で90度曲がっていて、鉄パイプに水道栓をつければりっぱな水栓柱になりそうな物件である。ただ、実用的な水栓柱としてはすこし高すぎるし、なにか他の構造物なのだろう。歩哨小屋の少し手前の川岸にある。

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こちらでは、ウサギの足跡を見かけた。


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A:「風呂場」
B:「水栓柱」

2010/06/06

舞鶴 海軍第三火薬廠 向砲熕谷の地下式火薬庫に入った

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5月5日にこの遺構を見つけたのだけれど、水が深く溜まっており、長靴では無理で中に入るのは諦めたのだが、その後、べーさんのご教示などにより、ウェダー(胸までの長靴)を購入し、6月5日に中に入ってきた。

結論から言うと、この遺構はこんな感じだった。
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手前のファザード部はW=5m L=十数m、奥の本体はW=8m L=25m(すべて目測)というところだった。

奥の方から入り口を見た写真。
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奥側を見た写真。
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天井部。
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この天井部の写真を見ると、鉄板あるいはブリキのようなものが貼りつけてある。しかも、全面を貼ろうというのではなく、ある形に貼ってあったような感じである。よくわからないが、すこし興味深いところである。

YouTubeにもアップしました。あわせてご覧下さい。


黄色が入った火薬庫



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