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旅行・地域

2011/09/30

新見市 城山公園

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岡山県新見市の城山公園は豊岡市でいえば神武山公園のようなところである。この城山公園について何より気になっていたのは田山花袋の「蒲団碑」なるものがあることである。このブログでおよそ文学作品に触れたことがあるといえば、この田山花袋の「蒲団」くらいのものであろうが(->こちら)、その「蒲団」の碑がなぜ新見市にあるのか。

それは、碑に引用された「蒲団」の本文を見ればわかる。主人公宅に下宿する女の子の出身地が新見という設定のようだ。そういえば、岡山県という記憶はあるが新見だったのか。なんというか、奇遇である。

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城山公園のモニュメントその2はこちら。これもまた、ずいぶんインパクトのある作品である。「鬼だらけの里新見」。新見には鬼絡みの伝説が多数あることから、一時、このキャッチフレーズで行こうしていた時期があったようだ。ネットを見ると、例の佐々奈美精肉店の向かいあたりに「鬼だらけの里新見」の文字が入った電話ボックスがあるようだ。きょう、また佐々奈美精肉店のコロッケを昼食に食べたのだが、そのときに、この電話ボックスは目に入っていたが近寄って眺めはしなかった。悔やんでも悔やみ切れないところだ。 境港の「水木しげるロード」の二番煎じの香りもしないでもない。

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お次は水道施設。水道施設があるのも、豊岡の神武山公園との共通点である。写真は、貯水槽の擁壁。ちなみに、神武山の貯水槽は現在は使用されておらず、撤去が検討されているらしい。

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そして、最後は、4等三角点。これは、事前調査済み。しかし、まさか4等三角点の分際で蓋付きとは。

ついでに基準点絡みを2点。

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これは、道路工事の工事銘板。たつの市で幾つかこのようなものを見たことがあるが、但馬では見たことがない。新見市で発見。

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ピントが甘くて申し訳ないが、新見市の高梁川の川岸で見つけた基準点。川岸なので河川距離標と思われるが、河川距離標お約束の乳首状ではなくプラスマークである。文字は全く読めない。

2011/08/07

新見 「御殿町」エリア

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さて、新見紀行もおそらくこれで今回は最終回。「今回」というのは「次回」もあるからで、次は9月下旬に行く予定である。最後に掲載する「御殿町」エリアは建物も多く、もひとつ消化しきれていないところもあるので、9月にもう一度訪れて、最終決着としたい。

「御殿町」エリアは新見市が今後の観光の切り札として整備中のエリアで、特に冒頭の写真である三味線横丁(地図の赤線)は、綺麗に復原工事がなされており、熱意が伝わってくる箇所である。ただ、現時点での三味線横丁は、建物だけつまりハードだけでソフトがない。よいソフトを持ってくれば十分ポテンシャルの高いハードであると考えられる。

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林邸(地図A)。元醤油屋とのことだが、なまこ壁である。銀座通りも含めてこのエリアはなまこ壁はかなりの出現率。新見市も、このエリア一つのテーマをなまこ壁と考えているようだ。その気持ちの表れは、良し悪しは別として江道橋の改修に現れている。

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旧横内病院。1899年ごろ。この建物は元医院でそのあと短大の寮を経て現在は廃墟である(地図B)。洋風の木造建築でなかなかいい感じの建物である。完全和風建築よりもこういう建物のほうがウケるはずである。

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絵葉書にもなっているから、この建物の値打ちは地元でもよくわかっているはずだ。おそらく、福知山の松村邸のように所有関係が複雑なのかもしれない。御殿町の今後はこの建物にかかっているといってもよい。いい方向に進んで欲しい。

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こんなんとか(地図C)、

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こんなんとか(地図D)、

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こんなんとか(これも地図D。同じ物件)も面白い。

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御殿町の裏側は高梁川である。写真は、高瀬舟発着場跡(地図E)。(上に写っているのがRC造の「新見御殿町センター」。ネーミングからして間違っている(笑)。この建物は失敗だなぁ)

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この高梁川からの景観も素晴らしい。素質は十分にあろう。絵葉書を買ったカツマルギャラリー界隈はすでに動き出している。だた、新見御殿町センターはどうしてもいただけないが。

御殿町まち歩きガイド


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2011/08/06

新見銀座

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新見の中心地は高梁川の東岸、駅と反対側に当たる。近年は御殿町として古い町並みを観光資源として活かそうという試みがあるが、その御殿町の中心地と佐々奈美精肉店の間に、新見銀座という商店街がある。

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写真は、銀座商店街の北側入り口。佐々奈美精肉店のすぐ近くだ。朝の7時半頃の撮影だが、中学生が自転車を点灯させて走っていたのが印象的。極めて薄暗い雰囲気の商店街である。なお、歩行者は殆どおらず、また、一方通行で自動車の通行が許されているため、歩行者・対向車がいないこと前提で車が通り過ぎるため、ツール・ド・コルスやモンテカルロ・ラリーの市街地走行SSのように車がかなりのスピードで通り抜けるのであった。

このアーケードは、1963年。

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西村益吉商店(地図A)のショーウィンドウ。"TOP MODE"の文字が眩しい。緻密なタイル貼り。

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黒瀬呉服店(地図B)。アーケードと全くミスマッチな建物である。大正末~昭和初期の建物と見た。なまこ壁。

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黒瀬呉服店の妻面。うだつの下部構造のようなものがある。屋根上にはうだつがあるのかもしれない。

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畳表の大西(地図C)。岡山県らしい業種である。2階窓がすべて観音開きであることから昭和初期かと見たが、この建物はパンフレット「御殿町まち歩き」に掲載されており、それによるとなんと明治の建物という。恐るべし銀座商店街。

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大西商店から南を見ると商店街はなにかいわく有りげな商店にぶつかる。

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田原屋(地図D)。これもパンフレットに載っている。それによると、これも明治の建物という。

田原屋は塩干物、酒や度量衡器販売、衡器修復等の商いをしてきたという。造り酒屋かとも思ったが、造り酒屋とはまた別の地域の仕切り役的な商家であったようだ。なまこ壁。

これよりは、いわゆる御殿町エリアとなり、新見市の観光開発の努力が感じられるエリアとなるのだが、取り残された感の強い銀座商店街は、少なくとも明治の建物を2つもかかえるという、凄いパワーを秘めているように感じた。特に畳表の大西は、明治の建築としては注目すべき擬洋風ともいえる建具が現存しており貴重だ。

写真はすべて7月26日撮影。


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ところで、この地図を見ると、古そうな建物は通りの南側ばかりにみられる。ひょっとすると、通りが北側へ拡幅された経緯があるのかもしれない。

2011/08/02

新見駅

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1928年竣工。伯備線は同年、姫新線(当時は作備西線)が29年部分開業、芸備線(当時は三神線)が30年部分開業と、このころ一挙に鉄道が新見に押し寄せてきた。新見駅は市の中心部から西に1kmほど離れている。途中に高梁川があり、気分的にはもっと離れているような印象だ。

この距離が中途半端であった。もちろん近ければ良かったのだが、もっと離れていれば姫新線の高梁川橋梁を渡ったあたりに駅を作ればよかった。倉吉市の打吹駅のような感じだ。

それがかなわなかったため、市の中心部と駅前が分離したイメージのまま現在に至っている。このため、地域のパワーが集約できず、とくに市中心部は若干寂れ気味。

豊岡市のように市の中心機構が駅方面に移動ということもなかった。もっとも豊岡市の場合、北但大震災で被災したため駅方面に中心機構が移動できたのではあるが。

ともかく、新見駅の駅舎は1928年竣工のものが、かなり手は入っていようが、現在も使われている。木造2階建て。施工は門司港駅と同じ菱川組。

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駅構内は広い。無駄に広い。鉄道の四つ辻となる新見駅は、往時は入れ替えなどが頻繁に行われ、転車台もあった。ただ、ホームは島型2面と、旅客対応設備は控えめである。

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駅舎からホームへは地下道である。この構造は、昔の関西本線木津駅を彷彿とさせるが、Wikipediaによると、木津駅は線路が築堤上にあり通路は地平レベルで「地下道」ではなかったようだ。新見駅と木津駅の共通点はおそらく旅客扱いより入れ替え重視の駅ということだろう。

それは、ともかく、新見駅は伯備線唯一の地下道を持つ駅ということらしい。

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ホームの上屋はレールで構成されている。1、2番ホームはすべてレール、3、4番ホームは一部レールで、レール部分は1928年にできたようだ。

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サンライズ出雲も停車。サンライズをこんなに近くで見るのは初めて。内装木質化車両の嚆矢で、内装はパナホームが担当したんだよな、確か、などと、つい林業なことも考えた。

駅舎の写真は2011.7.25撮影、それ以外の写真は2011.7.29撮影。


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2011/08/01

新見市 御茶屋橋

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地図A。1928年竣工。当時は国道180号線の橋梁として架けられた。鉄筋コンクリート桁橋。さりげなく美しい橋であるが、痛みが激しい。

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親柱は万成石(花崗岩)を使用しているという。これはまだましな方で、もっとボロボロになっている親柱もあり痛々しい。

ところで、新見市は新見駅も高梁川橋梁も御茶屋橋も1928年、昭和3年竣工である。昭和3年は新見市にとって変革の年だったのだろう。駅ができ、鉄道ができ、中心市街地から駅に向けての国道ができたのである。文字通りの新しいグランドデザインが着々と現実化していった年なのである。ただ、駅が旧中心市街地から中途半端に離れすぎていたというのが、小さな街としてはそのパワーを分散させてしまい、旧中心地と駅前の両立が難しかったのではと思う。

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御茶屋橋のすぐ南に、江道橋(地図B)という新しそうな橋がかかっている。デザインも御茶屋橋をパクったアーチであるが、このアーチはハリボテで、反対側はこのハリボテは省略されている。そして、旧中心市街地の御殿町を象徴するなまこ壁のデザインもあしらわれて、古い町並みの御殿町を中心とした観光による振興の決意表明のように感じる。御殿町についてはまた紹介したい。

この江道橋であるが、いろいろ調べてみると、昭和8年竣工の橋は架け替えられておらず、「修景」のためハリボテだけ付加されたということのようだ。このことにより、最高の橋から最低の橋になったと酷評されている。

御茶屋橋の写真は2011.7.26、江道橋の写真は2011.7.29撮影


2011/07/30

JR姫新線 高梁川橋梁

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まだまだ、新見の話。新見の街中にある姫新線の高梁川橋梁(地図A)である。1928年完成。

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かなりカーブしている橋である。プレートガーター橋である。橋脚はコンクリート。豊岡市のKTR旧円山川橋梁は1929年で石積であったことから見るとやや先進的とも見える。しかし、座屈防止補鋼材が[型をしているのでこの橋梁はポーナル型プレートガーター橋に分類できる。ポーナル型はイギリス人技師チャールス・ポーナルが設計した型式で、1889年ごろの作錬式と1897年の作30年式と呼ばれる型式の2種があるがいずれも明治の型式である。岡山県では津山線に多くみられるが、1928年の高梁川橋梁にこの明治の型式が使われていることは不思議でさえある。

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プレートは例によってペンキがコペコペに塗り込めれていてほとんど読めないが、「昭和三年 卯契橋807號 活荷重E30 鐵道省」と読めるらしい。このE30というのはクーパー荷重と呼ばれるもので、1909年に初めてクーパー荷重によるE33という基準が設定された。高梁川橋梁はE30という少し低荷重の基準を使っているものの、明治末期のアメリカ式の先進的な設計基準と明治中期のイギリス式の古臭いポーナル型という型式のおかしなハイブリッドがなされているのである。
(写真はいずれも2011.7.26撮影)

1912年竣工の旧余部鉄橋はクーパー荷重E33を用いて設計されている。E33制定は1909年6月17日、旧余部鉄橋着工は同年12月16日でこの点では整合性はあるが、三浦, 岡村(1912) にある構造図に"March 1909"の書き込みがあり、旧余部鉄橋はややフライング気味にE33を使って設計を始めていることがわかる。つまり旧余部鉄橋はクーバー荷重を用いた最初の鉄橋のひとつであると言えよう。

三浦次郎, 岡村信三郎, 1912. 山陰鉄道餘部高架橋工事概況. 工学会誌, 350: 167-176.


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2011/07/29

お食事処「里」

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岡山県新見市の高梁川の明らかに河川敷にあるお食事処「里」である。ま、実態はいわゆる一杯飲み屋。この建物の立地に関する法的検討については考えたくもないが、火曜日に敢行した聞き取り調査によれば、昔は他にもいくつかの建物が建っていたというから、いろんな意味で「流された」のであろう。

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写真は聞き取り調査中の調査団。見たことのある人が写っているように見えるがもちろん他人のそら似であることは言うまでもない。

さすがに、好立地なだけに気分は最高。いってしまえば鴨川の床と変わるところはない。

カッパという特殊な部位の千屋牛の塩焼きも美味だったし、自家製餃子もなかなか。最後はあっさりした塩ラーメンで締め。

写真上は2011.7.25、下は2011.7.26撮影

2011/07/26

新見市 佐々奈美精肉店

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新見の街も鉄道を嫌った街のようで、駅はもともとの街の中心部から離れたところにある。駅から見れば、東側の「川向こう」に古い町並みがある。

江道橋を渡ったところに木造モルタルの看板建築風の建物が3軒あるが、そのうちの1軒がこの佐々奈美精肉店(地図A)である。

看板建築の文法に忠実なこの建物であるが、つい顔がにやけてしまうのは、やはり「肉」のせいか。

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ここは地元ではコロッケで有名でスナックのネーちゃんもちゃんと知っている。女学生の友なのである。

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お品書きはこんな感じ。全般に良心価格であるがカツ系が安い感じがする。量がわからんけど。

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というわけで、肉コロッケ(写真)とカレーコロッケを購入。注文してから揚げるシステムなので少し待たないといけない。揚げたてはコロモがカリカリで極めて美味しかった。

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ちゃんと土産物屋ではこんな絵葉書を売っている。地元でもツボはわかっているのだ。


2011/07/25

新見市初日 中島ビル

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本日から金曜日まで研修で岡山県新見市にいる。初めて来た街の街歩きは実に刺激的。写真のとおりの中島ビル(地図A)である。

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スクラッチタイル貼り洋風建築である。どちらかと言えば見よう見まねで建てた「偽洋風」か。昭和初年ごろの建築と見た。

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陸屋根のように見えるが、実際はちゃんとした屋根が付いている。

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タイルは、模様というか柄が付いている。

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西面のこの窓はとんでもなく和風。このあたりが「擬洋風」の香りがする。

おそらく当初から中島ビルでいまも中島事務所というところが使っていて所有に変遷のない本当に長く使われている建物である。洋風建築として、さりげなく美しい建物である。

2011.8.16加筆。 いろいろと調べてみるとこの建物は旧上市郵便局の建物で、1928年着工、1931年竣工で、1958年まで郵便局として使わていたらしい。当時を物語るのはこの部分。 Img_2924

これが何なのかはよくわからんが、確かに郵便マークが入っている。

あの2階の「和風」窓だが、写真で見ただけだが、新見市哲西町の旧矢神郵便局舎の2階窓(正面)と全く同じ意匠である。これは、必ずしも和風ではないのか。

上市郵便局舎は1958年に移転、その後、扶桑相互銀行、高梁川総合開発事務所、荒谷建設コンサルタント新見事務所をへて、現在の中島事務所。



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2010/02/06

但馬三江駅リニューアルオープン

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KTR但馬三江駅の改修工事が終わり、本日「オープニングセレモニー」が開催された。市長あいさつをはじめ来賓の挨拶も聞いたが、単に駅舎がきれいになってよかったねという趣旨で、駅舎の今後の活用についての提言がなかったのは残念であった。

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そんな中、珍客発見。舞鶴高専の前学生会副会長の上坂(こうさか)君だ(写真左。写真右は某T氏)。彼は、舞鶴高専の最寄り駅であるJR小浜線松尾寺駅や、KTR丹後由良駅で駅舎がらみのイベントを打ってきた立役者である。舞鶴高専と駅舎イベントの妙な関係をたどりながら、但馬三江駅の今後の活用方策について考えてみたい。

JR小浜線松尾寺駅の事例


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写真のいかにも駅舎に見える建物は駅舎ではない。舞鶴市松尾寺駅前観光交流施設という。この建物は、もと松尾寺駅(無人駅)の駅舎であったが、2008年、JRが駅舎を舞鶴市に無償譲渡。舞鶴市は2008年度に1400万円かけて改修工事を行い、2009年4月にオープンさせた。建物は1センチも動いていないが、この建物は駅前の市の施設ということになる。

で、この施設は指定管理者制度を採用しており、指定管理者にNPO法人「駅舎とともにいつまでも」が収まった。「駅舎とともにいつまでも」は、地元住民と舞鶴高専で組織した団体。この地域には、志楽ダイヤモンド協議会という地域団体があり、舞鶴高専は、この団体と松尾寺駅舎の清掃など、ゆるーくつながりを維持してきた。NPO法人に地元だけでなく舞鶴高専を入れ込んだのは慧眼であろう。

このNPO法人は、いままでに、昨年4月の「オープニングイベントと、同7月の夕涼みコンサートと少なくとも2つのイベントをこなしている。

オープニングイベントの様子(舞鶴高専のサイト)
夕涼みコンサートの様子(志楽ダイヤモンド協議会のサイト)

よーするに、舞鶴高専の学生を呼んできてなんかやらせるという安直なイベントといってしまえばそれまでだが、地元からのなにかお祭り騒ぎをしたいという要求が舞鶴高専に届き学生がそれに応えるということができる枠組みがあったということが重要であろう。そして、高専内のとりまとめを行ったのが上坂副会長なのである。

KTR丹後由良駅の事例


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丹後由良駅は、松尾寺駅とは異なり、駅舎はKTR所有で普通の駅舎である。簡易委託駅という位置付けで駅業務を由良舎楽という団体に委託している。舎楽は、駅舎内で売店や喫茶もやっており、比較的にぎやかな感じの駅である。由良舎楽の詳細はよく知らないが、コミュニティービジネスという路線なのかも。

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由良舎楽は、いままでにもいろんなイベントを行ってきたが、昨年夏には、舞鶴高専をフィーチャーした「7/20海の日!由良舎楽&舞鶴高専イベント!KTR丹後由良駅フェスタ2009!!」を行った(当ブログで既報)。

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写真はイベントでMCする高専生。一番左が上坂君。

で、但馬三江駅は


で、但馬三江駅について考えると、この駅舎は、松尾寺駅のように(豊岡市は補修費は捻出したが)駅舎は市の所有ではないし、もともと無人駅であるため、丹後由良駅のように委託する業務もない。

しかし、7日付神戸新聞によると「コウノトリの郷駅応援団」というものが結成され、今後の駅活用の母体となるようだ。近隣の三江小学校やコウノトリの郷公園を巻き込んでいろいろなイベントが打てると楽しい。「郷」のパーツの一つとして駅も組み込んで欲しい。

応援団と駅のつながりが、上述2駅とくらべて緩やかなつながりなのが若干気がかりではあるが、駅の自由な利用が保証されていれば、かえって自由度の高い活動ができるのかもしれない。このような仕組みは前例があまりないのかもしれないけれど、駅の活性化についての新しい形として成功して欲しい。

豊岡市が600万円も出して松尾寺駅のように市有化しなかったのは、今後の駅舎の管理はKTRということになるのか。駅舎の物理的な持続可能性を考えるとこの点が若干気がかりではある。

それにしても、但馬三江駅はさびれすぎた駅だ。駅周辺も駅前の匂いがない。駅前の集落は駅を忘れてしまったような風情である。駅が綺麗になっても、ここのところはかなり苦しい点である。

そこで、但馬みえちゃんだ!


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すでに当ブログでも紹介したトミーテック鉄道むすめの新キャラ但馬みえちゃんのサンプルが但馬三江駅の片隅に展示されていた。権利関係がむずかしく、鉄道むすめを地域おこしに活用するのは難しそうだが、その難関を乗り越えてキャラクターを活用している事例はかなりある。

昨年秋には「全国鉄道むすめサミット」が岩手県で開催された。テーマは「カワイイが地方を救う~カワイイもの・ことを地方から発信しよう」。サミットには岩手県知事も出席。ポスト「ゆるキャラ」は「萌えキャラ」か。

サミットが岩手県で開催されたのは岩手県の三陸鉄道が鉄道むすめ活用の先進地だからのようだ。三陸鉄道ではでは、久慈ありすのショコラ2010クリアファイル久慈ありす&釜石まなてぬぐいなどの三陸鉄道オリジナルグッズのほか「三鉄の掘り出し物&鉄道むすめ&久慈の旨い物 トリプル嬉しい“さんてつ祭り”」(サミット前夜祭を兼ねたようだ)を開催している。

東武鉄道沿線の栗橋町では栗橋みなみをあしらった純米酒「みなみ」とミネラルウォーター

函館市交通局は2009函館開港150周年記念乗車券に柏木ゆのをプリントしたオリジナルのキーホルダーを添付。

グッズ系であれば、かなりの事例を拾う事ができそうだ。

「カワイイが地方を救う~カワイイもの・ことを地方から発信しよう」

さて、但馬みえちゃんを最初に活用するのは誰だ!

他のアカウント

葦浦史穂の本


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