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建築

2010/04/03

陸軍福知山衛戍病院の基礎のれんが

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去年の8月の台風で福知山の伯耆丸公園の北東斜面が崩壊し、現在復旧工事が行われているが、工事の都合で一部に切通が設けられている(下の地図A)。きょう、マンドリンクラブ練習で伯耆丸にある勤労青少年ホームに行ったついでに切通を見てきたところ、陸軍福知山衛戍病院の基礎と思われるれんがが見られた。

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衛戍病院の建物はべーさんのサイトから不許可転載するとこんな感じで木造である。

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伯耆丸の麓にある医師会館の一部が衛戍病院の一部と見られているが(こちら)、その基礎はれんがである。

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というわけで、切通に見られるれんがは、衛戍病院の建物の基礎と見て間違いなさそうである。近代の建築とはいえ、それほどデータの蓄積もあるとはいえないのであるから、今回の工事に合わせて発掘調査が行われてもよかったのではないかと思う。


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2010.4.11 付記

2010.4.10、レンガの寸法を測定してみた。サンプル数が確保できないうえに、欠けているものが多く、また、手が届かないなど十分な測定はできなかった。とくに、長さはひとつも測定できなかった。

結果は、L:? W:104.5mm H:53.4mm。医師会館はL:222.6mm W:107.3mm H:55.0mmだった。なんとも言い難いが、まったく異なるというわけでもない。もう少し、寸法にあたれれるチャンスを狙ってみる。

2010/03/19

大屋町和田の体育館

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大屋町和田の体育館。工場として使われていたが、現在取り壊し中。壁部分はRCで屋根組は木造のようだ。

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よくあるパターンの体育館である。いつ頃建てられたのかは難しいところ。案外新しいのかも知れない。


2010/03/14

山南町の建物

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森林インストラクターの研修会で山南町を訪れる機会があり、いくつか興味深い建物も見つけた。

まずは、JR谷川駅(地図A)。基本的には昭和13年の竣工であるが、かなり増改築されている。昭和ヒトケタのころの駅舎(たとえば但馬三江駅)に比べるとかなりすっきりした洋風に見える。

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特に木材に施されたこのチョウナ跡のような杉綾の意匠は、チューダー風というか山小屋風を感じさせ、洋風感を際立たせるように感じる。

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壁面も一部はこんな感じ。

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駅前旅館の萬年楼(地図B)。駅と同じころの建物だろうか。

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この萬年楼、瓦が実にユニーク。菱形である。素材はモルタルか?こんな瓦を見るのは始めてである。スレートなどの石瓦では鱗形の派生として菱形に葺くこともあるが、そういう吹き方とは全く次元のことなる菱形瓦である。新築時にはかなりおしゃれに見えたのではないか。

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駅前のタクシー会社の建物(地図C)。駅前の交通系建築の様式のようなものを感じる。

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午後は一転して丹波竜発見地。ここには旧上久下村営発電所(1922年)がある(地図D)。オランダ積みのれんが建築。れんがの寸法は223.5mm×106.0mm×58.3mm。いちおう「厚めの並型」に区分出来そうだが、「厚めの並型」としては現時点で最大の寸法となる。長さにバラツキが大きかったので再測定したい。

このれんがは輸入品という話を研修会に参加された方からお聞きした。となると、「厚めの並型」は輸入品からの規格とも考えられなくもない。ただ、れんがが終焉を迎えようかという1922年にいまさら輸入れんがを使うだろうかという疑問もある。とくに、日本標準規格(1925年)制定直前でれんがの寸法も、「厚めの山陽新型」やこの「厚めの並型」に収束しようとしている時期なので、寸法的にも輸入れんがである根拠は薄い。ま、指定寸法通りに納品したということなら寸法と輸入品かどうかは関係ないのだが。(れんがの寸法表)

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屋根組は木造。近年、新しい材料で復原されたようだが、おそらく当初からこういうトラスだったのだろう。煉瓦造としては標準的。

1922年に発電所を作って電気を引いたというのは、かなり進歩的であったのではないだろうか。ただ、1922年にれんがというのは当時としては決して進歩的ではない。保守的というよりは、れんがが発電所のステロタイプだったのかもしれない。


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2010/03/12

多田スミス(旧竹田中学校)

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twitterで和田山の多田スミスに中学校の建物が残っているという情報を聞き、本日(2010.3.12)現地を覗いてきた。

あったあった。最初の写真は、事務所棟と思われる建物。渋いファザード、古い感じの野郎軒瓦(継ぎ目を隠す○(巴)がないタイプ)から、戦前の建物の匂いがするが決め手はない。

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そして、体育館。当初は瓦葺きだったのだろう。妻面の通気口の意匠が事務所棟と同じである。壁面は窓まわりの重厚な感じと、それ以外の軽い感じがおかしなテイストである。ひょっとするとRCと木造モルタルの混構造だったりして。いや、RCと鉄骨の混構造というところか。昭和10年代っぽい印象を受けるがこれも決め手がない。

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そして最後は木造校舎。これも、もとは瓦葺きだったのだろう。戦前かな。ただ、他の2棟と建物の思想が異なるようにみえる。あまりにも質素だ。資材の統制令が出た昭和12年より後と前という推理も可能だが、決め手となる資料が何もない。

この物件の近所の加都在住のK君に竹田中学校跡だと電話で教えてもらった。現在54歳位の人が最後の生徒とのことなので、昭和40年代前半頃に廃校となったと思われる。

===2010.3.15 付記===
和田山中学校 沿革によると竹田中学校廃止の経緯は下記のとおり。


昭和42年4月1日糸井、大蔵、竹田、和田山の4中学校が統合し、各校名を廃止し、それぞれ和田山中学校糸井、大蔵、竹田、和田山校舎と称す
昭和44年3月16日竹田校舎、閉校式を挙行、元校舎跡に記念碑建立。

2010/02/06

但馬三江駅リニューアルオープン

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KTR但馬三江駅の改修工事が終わり、本日「オープニングセレモニー」が開催された。市長あいさつをはじめ来賓の挨拶も聞いたが、単に駅舎がきれいになってよかったねという趣旨で、駅舎の今後の活用についての提言がなかったのは残念であった。

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そんな中、珍客発見。舞鶴高専の前学生会副会長の上坂(こうさか)君だ(写真左。写真右は某T氏)。彼は、舞鶴高専の最寄り駅であるJR小浜線松尾寺駅や、KTR丹後由良駅で駅舎がらみのイベントを打ってきた立役者である。舞鶴高専と駅舎イベントの妙な関係をたどりながら、但馬三江駅の今後の活用方策について考えてみたい。

JR小浜線松尾寺駅の事例

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写真のいかにも駅舎に見える建物は駅舎ではない。舞鶴市松尾寺駅前観光交流施設という。この建物は、もと松尾寺駅(無人駅)の駅舎であったが、2008年、JRが駅舎を舞鶴市に無償譲渡。舞鶴市は2008年度に1400万円かけて改修工事を行い、2009年4月にオープンさせた。建物は1センチも動いていないが、この建物は駅前の市の施設ということになる。

で、この施設は指定管理者制度を採用しており、指定管理者にNPO法人「駅舎とともにいつまでも」が収まった。「駅舎とともにいつまでも」は、地元住民と舞鶴高専で組織した団体。この地域には、志楽ダイヤモンド協議会という地域団体があり、舞鶴高専は、この団体と松尾寺駅舎の清掃など、ゆるーくつながりを維持してきた。NPO法人に地元だけでなく舞鶴高専を入れ込んだのは慧眼であろう。

このNPO法人は、いままでに、昨年4月の「オープニングイベントと、同7月の夕涼みコンサートと少なくとも2つのイベントをこなしている。

オープニングイベントの様子(舞鶴高専のサイト)
夕涼みコンサートの様子(志楽ダイヤモンド協議会のサイト)

よーするに、舞鶴高専の学生を呼んできてなんかやらせるという安直なイベントといってしまえばそれまでだが、地元からのなにかお祭り騒ぎをしたいという要求が舞鶴高専に届き学生がそれに応えるということができる枠組みがあったということが重要であろう。そして、高専内のとりまとめを行ったのが上坂副会長なのである。

KTR丹後由良駅の事例

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丹後由良駅は、松尾寺駅とは異なり、駅舎はKTR所有で普通の駅舎である。簡易委託駅という位置付けで駅業務を由良舎楽という団体に委託している。舎楽は、駅舎内で売店や喫茶もやっており、比較的にぎやかな感じの駅である。由良舎楽の詳細はよく知らないが、コミュニティービジネスという路線なのかも。

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由良舎楽は、いままでにもいろんなイベントを行ってきたが、昨年夏には、舞鶴高専をフィーチャーした「7/20海の日!由良舎楽&舞鶴高専イベント!KTR丹後由良駅フェスタ2009!!」を行った(当ブログで既報)。

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写真はイベントでMCする高専生。一番左が上坂君。

で、但馬三江駅は

で、但馬三江駅について考えると、この駅舎は、松尾寺駅のように(豊岡市は補修費は捻出したが)駅舎は市の所有ではないし、もともと無人駅であるため、丹後由良駅のように委託する業務もない。

しかし、7日付神戸新聞によると「コウノトリの郷駅応援団」というものが結成され、今後の駅活用の母体となるようだ。近隣の三江小学校やコウノトリの郷公園を巻き込んでいろいろなイベントが打てると楽しい。「郷」のパーツの一つとして駅も組み込んで欲しい。

応援団と駅のつながりが、上述2駅とくらべて緩やかなつながりなのが若干気がかりではあるが、駅の自由な利用が保証されていれば、かえって自由度の高い活動ができるのかもしれない。このような仕組みは前例があまりないのかもしれないけれど、駅の活性化についての新しい形として成功して欲しい。

豊岡市が600万円も出して松尾寺駅のように市有化しなかったのは、今後の駅舎の管理はKTRということになるのか。駅舎の物理的な持続可能性を考えるとこの点が若干気がかりではある。

それにしても、但馬三江駅はさびれすぎた駅だ。駅周辺も駅前の匂いがない。駅前の集落は駅を忘れてしまったような風情である。駅が綺麗になっても、ここのところはかなり苦しい点である。

そこで、但馬みえちゃんだ!

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すでに当ブログでも紹介したトミーテック鉄道むすめの新キャラ但馬みえちゃんのサンプルが但馬三江駅の片隅に展示されていた。権利関係がむずかしく、鉄道むすめを地域おこしに活用するのは難しそうだが、その難関を乗り越えてキャラクターを活用している事例はかなりある。

昨年秋には「全国鉄道むすめサミット」が岩手県で開催された。テーマは「カワイイが地方を救う~カワイイもの・ことを地方から発信しよう」。サミットには岩手県知事も出席。ポスト「ゆるキャラ」は「萌えキャラ」か。

サミットが岩手県で開催されたのは岩手県の三陸鉄道が鉄道むすめ活用の先進地だからのようだ。三陸鉄道ではでは、久慈ありすのショコラ2010クリアファイル久慈ありす&釜石まなてぬぐいなどの三陸鉄道オリジナルグッズのほか「三鉄の掘り出し物&鉄道むすめ&久慈の旨い物 トリプル嬉しい“さんてつ祭り”」(サミット前夜祭を兼ねたようだ)を開催している。

東武鉄道沿線の栗橋町では栗橋みなみをあしらった純米酒「みなみ」とミネラルウォーター

函館市交通局は2009函館開港150周年記念乗車券に柏木ゆのをプリントしたオリジナルのキーホルダーを添付。

グッズ系であれば、かなりの事例を拾う事ができそうだ。

「カワイイが地方を救う~カワイイもの・ことを地方から発信しよう」

さて、但馬みえちゃんを最初に活用するのは誰だ!

2010/01/30

懸魚のある牛舎-旧相田小学校校舎

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兵庫県豊岡市但東町小谷と相田の境あたりにある牛舎。懸魚がある。なんらかのいわくつきの建物には違いない。全体的な雰囲気は校舎なので相田小学校の移築だろうかと踏んでいたが、きょう、所有者に聞いてみるとやはり相田小学校の校舎を移築したものらしい。

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立派な懸魚だ。鬼瓦には「學」の字が。

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現在は牛舎。

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ここは、猫も多いところ。

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反対側の妻面には懸魚はない。移築時に省略された可能性もあるが、こちらがわは破風板の意匠も省略されているので、もともと懸魚はなかったものと考えられる。

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昭和15年頃の相田小学校。この写真は、「但東・相田から元気発信」のページから無断拝借(せきやんさんお許しを)。一番右側の建物か、旗竿の奥の建物かと思われるが、いろんな部分の寄せ集めで移築した可能性もある。この写真からも懸魚は確認できる。

地元の人はみんな知っていることなんだろうけれど、Iターンで相田に住み着いたものとしては、新しい発見であった。

モルタル瓦の街

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山陰道を福知山からはずれて出石・豊岡を目指す街道沿いのおそらくは宿場町の兵庫県但東町久畑。古くは関所もあったという。

街を歩くとモルタル瓦に目が行く。といってもいかにも安っぽいモルタル瓦ではなく形は普通の瓦だ。冒頭の写真はモルタル瓦で一文字。シュール。

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こちらは、普通の瓦の形状のモルタル瓦。

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これは、石州瓦風の小口に模様の入っているような感じのモルタル瓦。

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モルタル瓦の建物の全景。手前の2軒がモルタル瓦。いい味だ。

瓦はなぜか興味があってとりわけ興味深く眺めているが、こんなにいろんなバリエーションのモルタル瓦が集まって存在するのは珍しい。どういう経緯で、モルタル瓦を使っているのか興味がわく。

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かと思うと、こちらはうだつのある美しい建物。

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同じ物件の格子。

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圓覚山光蓮寺という浄土真宗のお寺。お寺というにはあまりにも地味な建物。

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光蓮寺の遠景。こういうお寺もありなんだなぁという地味さ。懸魚がなければお寺と気付かなかっただろう。

意外とミラクルワールドな但東町久畑である。



2009/12/17

同志社女子大学 京田辺キャンパス 新島記念講堂

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きのう(2009.12.16)は、娘のバレエの発表会を見に、京田辺の同女 新島記念講堂に出かけた。同女京田辺キャンパスは新しい。現代建築である。そのなかで、このしっとりとした新島記念講堂は立派。ファザードは煉瓦ないしは煉瓦タイルであろうか。

で、これってゴシック、バロック??なんなんでしょうね。よーわからん。

2009/11/08

京都市内近代化遺産サイクリング

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娘の冬用品を運搬する目的で京都市内へ出かけた。早めの昼食後、母娘水いらすの会話への妨害を避けるためお父さんは、娘の自転車で、市内サイクリングに出かけた。なぜか、自転車とリュックがカラーコーディネイトされているのであった。

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とりあえず、本日の目標は堀川第一橋。娘の下宿からそちらへ向かうため鞍馬口通りを西進すると。おっと、スクラッチタイル張りまくりの建物(地図A)。こういうものに遭遇して簡単に写真を撮れるのも自転車ならでは。

なんか、やたら薄っぺらい建物。もう少し厚みのある建物だったのが「ファザード保存」されたのかも知れない。

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鞍馬口通りから堀川通に出て、少し南下すると、堀川の流れにであう。堀川は今年(2009年)3月に親水公園的に改修されたばかり。で、この流れって既視感がある。なんだったけなぁと考えると、そうそう、舞鶴第3火薬廠の三面貼り水路だ。あれって、実に親水公園的だよなぁ。

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で、無事、堀川第一橋(地図B)に到着。中立売橋、鶴嘴[3]とも呼ばれるこの橋は、明治6年[1](大正2年拡幅[5])の石造アーチ橋。二条城から御所への公儀橋[3]であった。おっと、これも、舞鶴の旧岡田橋に瓜二つ。

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堀川第一橋のすぐ南側にあるコンクリートアーチ橋。現在は歩道橋として使われている。橋台はれんが積み。この橋台は市電の単線時代橋台らしい。この上を走っていたのは、北野線。1895年9月24日に中立売線の終着駅堀川下立売からこの橋台のある堀川中立売までが開通している。しかし、この橋のかかる向きは東西なので、北野線はこの橋までは堀川東岸を走りこの橋の手前で西に向きを変え北野を目指すことになる。堀川中立売の停留所は橋の東側にあったのか西側にあったのか知らないが、もし橋の東側にあったのであれば、この橋は1900年5月7日の大宮(中立売大宮)までの開通時から供用ということになる。

ところで、中立売線だけれど、中立売通りにかすりもしていないのに何故「中立売線」というのだろうか。「下立売線」なら納得できるのだけれど。中立売線が中立売通りを走っていたのなら線名も橋のかかる方向も大変に納得が行くのだけれど。

と思っていたら、こちらのサイト[4]で橋の方向については納得。そういうことなのね。

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で、それのさらにすぐ南側にまたもやれんが橋台。これは市電の複線時代の橋台とのこと。これについてはれんがを実測。平均寸法は222.1mm×103.3mm×57.0mm。なかなか微妙なサイズ。「厚めの山陽新型」サイズに近いが少し長い。これに近いサイズは今のところ見当たらない。また、複線化がいつ行われたのかはよくわからない。

目地は平米地。隅石は江戸切りで豪華な橋台。れんがはイギリス積みかオランダ積みか判然としないが、とりあえず広義のイギリス積みとしておく。

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ところで、この橋台につかわれているれんがであるが、よく見ると写真ではわかりにくいが釉薬が施されているようだ。釉薬つきのれんがは始めて見た。

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堀川第一橋から少し下ると、こういういわくありげな建物(地図C)。梅香荘というアパートだが、もともとは 京都電気鉄道堀川変電所らしい。っていうことはようするに「市電」の変電所。ということは明治(1895年ごろ?)の建物か。れんがもちらっと見える。おそらくモルタルの部分もれんが造にモルタル塗りかな。元は全面れんがが露出していた可能性もある。自転車ならではの拾い物。

ヨーロッパとかでは築100年のアパートとかよくあるが、日本にも築100年以上のアパートがあるのである。しかもれんが造。

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堀川下立売の交差点にあるこれも古そうな建物(地図D)。となりが下立売堀川郵便局なので、旧局舎かなと思われる。

ところで、この「下立売堀川」という郵便局の名称はかなり変である。一般にこの交差点は「堀川下立売」と呼ばれているはずだ。これのヒントは、先ほどの堀川第一橋のあたりにあった市電の堀川中立売駅にある。実は、堀川中立売駅は、1913年ごろから1918年ごろまで「中立売堀川駅」という駅名であった。したがって、おそらくこのころは「中立売堀川」という呼び方が一般的であったのかもしれない。ならば、下立売堀川郵便局ができたのは、ひょっとするとこのころで、旧局舎もこのころの建物ということになるのかもしれない。ただ、建物から受ける第一印象としては、1920年代後半、昭和初年ごろではある。

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下立売通りを進むと、おっと、府庁だ(地図E)。写真を撮っていると、門衛さんが、きょうは中も見れますよと話しかけてくれた。ラッキー!

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ということで、中も見せてもらった。旧知事室の中まで見せてもらえると思えば、国民文化祭準備室なんかがあったりして現役の庁舎なのである。平成16年、重文指定。

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で、聖アグネス教会(地図F)。れんがも実測。寸法は215.5mm×103.0mm×52.7mm。これはギリ「山陽新型」かな。ここで、嫁はんとの約束の時間がせまり時間切れ。自転車の機動力は実に心地よかった。


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れんがの寸法のとりまとめはこちら

参考文献

  1. 回遊日記, 2006. 中立売橋. WEB.
  2. 平尾慶介(監修), 2009. 日本鉄道旅行地図帳(9), 関西2. 新潮社.
  3. カンナ, 2009. よみがえった堀川. WEB.
  4. 中村浩史, 2000-2005. 京電・中立売線の廃線跡探訪, 堀川中立売付近. WEB.
  5. 高橋伸一, 旧京都電気鉄道 旧中立売橋梁. WEB.

2009/11/02

海軍第三火薬廠

11月1日、舞鶴のIさんと、『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』の著者である関本長三郎さんと3人で舞鶴市朝来の第三火薬廠跡に行った。ほんとは、この日舞鶴市主催の火薬廠をめぐるハイキング会が予定されていたのだが、午後に雨が降るという予報があったため中止となった。しかし、Iさんからせっかくだから火薬廠に行こう、関本さんも誘ったと電話があり、10時に舞鶴へ。関本さんの案内で2時間程度火薬廠を回った。

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まずは、通称「ロシア病院」の砲熕谷の建物(地図A)。これについては、既述

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通称「二重倉庫」の乾燥谷にある覆土式火薬庫(地図B)。体育館のような蒲鉾型の構造物で、奥行きが69mもある。ここの最大の特徴は、2重構造になっていることである。これは地下式の火薬庫なので結露を避けるためと考えられる。なんせ、乾燥谷にあるんだし。

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覆土式火薬庫の外殻と内殻の間の隙間にある通路で見つけたおそらくキクガシラコウモリ。確認したのはこの1頭のみであるが、おそらくもっと暗い構造物の最上部の隙間にはけっこういるのかもしれない。

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乾燥谷の火薬乾燥場の建物(地図C) 。これと同じものが他に2棟ある。コンクリート造で、煉瓦の壁(ま、カーテンウォールということになる)という構造。赤れんが博物館は鉄骨造で煉瓦の壁だが、おなじような考え方。

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煉瓦はイギリス積みだが、最上部のみ煉瓦がタテに積まれている。意匠上こうしたのか、あるいは、寸法あわせのためこう積まざるを得なかったのか。後者の可能性が高いのでは。

れんがの寸法は実測平均で、211.7mm×101.0mm×57.4mm。現在のJISである。同じく1940年代の建物である峰山飛行場の構造物もJISであった。この時期の海軍の建物はJISと見てよさそうだ。

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徘徊中の同行者たち。3人写っている。ハイキング会は中止になったが天気がよくてじっとしていられず1人で回っているという方と出会い4人でうろついているところ。

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乾燥谷から流れ出てくる水路(地図D)。石張りによる見事な3面張りである。老朽化で水が下に抜けていて水路としては機能していないが、この美しさは水路というものを超越している。

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門ではなかったかとされる「トンネル」(地図E)。防爆壁として築かれた築堤を穿つかたちで造られている。「トンネル」といっても、築堤の切通に構造物を作り覆土したものなので、造り方としては「橋」の造り方である。このような場合は、起拱点(ききょうてん、スプリンギング)以下は「橋台」なので、通常は直の立ち上がりとなるが、この物件では、スプリンギング以下も丸みを帯びた「トンネル」型の断面形状である。使用形態から見れば、この構造物は「橋」ではなく「トンネル」なので、トンネルの記号としてこの断面を用いたのではとしか考えられない。

防爆壁を穿っていることから、防爆壁に囲まれたエリアに侵入するための通路として設けられ、頑丈な門扉で閉ざすことによって連続した防爆壁を形成することを目的としたトンネルなのであろう。とするとこの防爆壁の中は火薬の実験場のようなものであったのかもしれない。

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最後にグリーンスポーツセンターで見かけた橋(地図F)。幅員がかなり広いので疑問もあるが、古いものなので火薬廠関連の橋の可能性が高い。

というわけで、かなり多彩な構造物を見て回ることができた。そしてなにより関本さんと知り合えたのが最大の成果。ありがとうございました。


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葦浦史穂の本


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