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2005/11/17

宝順丸の1/10レプリカを見た

20051117

先日、中日新聞のサイトで知った宝順丸のレプリカですが、きょう兵庫県庁に行く用事があって見てきました。2号館の2階ロビーに飾ってあります。しかし、愛知県の漂流民が助けられてアメリカのワシントン州に連れて行かれたという漂流ですが、兵庫県は直接的には余り関係ありません。ワシントン州と兵庫県が姉妹提携にあるということで、ボーイスカウトの兵庫連盟が作ったらしいのですが、もひとつ納得行かないところもあります。

個人的には、兵庫県の漂流民といえば、ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)だと思うのですがいかがでしょうか。

レプリカは大変よくできていて、ワシントン州に寄贈するのがもったいない感じでした。

説明パネルの文章を紹介します。

宝順丸と三吉物語(日本ボーイスカウト兵庫連盟)

 1832年10月、14人の乗組員を乗せて愛知県美浜町小野浦の樋口重右衛門所有の千石船「宝順丸」は尾張藩の米や陶器を江戸へ運ぶため、鳥羽を出帆しました。

 しかし難所として恐れられていた遠州灘を一気に乗り切って江戸へ向う途中で嵐に遭い、舵が壊れ、船の転覆を避けるため帆柱を折りそのまま黒潮に流され14ヶ月の間太平洋を漂流し、乗組員は雨水で積荷の米で飢えをしのいでいましたが壊血病で次々と倒れていきました。

 故郷の人々は宝順丸の消息は絶えて、地元の人々は「きっと冬の荒波で難破してしまった」ものとして慈しみながらも、地元の良参寺に墓を建て、乗組員一同の霊を慰めようとしました。現在愛知県美浜町の小野浦に「岩吉・久吉・乙吉頌徳(しょうとく)記念碑」(いわゆる三吉記念碑)があります。

 そしてついに1834年1月、米国ワシントン州(兵庫県の姉妹州)沖に漂着した時には当時14歳の見習い船員であった音吉、久吉、そして28歳の岩吉の3人(三吉)の若者だけが生き残りました。

 奇しくも3人は北米大陸の土を踏んだ最初の日本人になりました。3人が漂着したのは現在、アメリカインディアンの保留地とされているフラッタリー岬付近(ワシントン州北端カナダ国境付近)であった。ここで3人は現地のマカ族に捉えられ船は壊され彼らは原住民の保護の下に生き延びました。そしてその後に彼らには数奇な運命が待ちうけていました。

 当時、この地域は下側の取引などをしていたイギリスのハドソン湾外車の支配下にありました。3人の船員が漂着したという情報は、音吉がスケッチした遭難時の絵や積荷の美しい陶器が現地部族の手を経てコロンビア州のフォートバンクーバーに居住していたハドソン湾現地責任者として著名なジョン・マクラフリンにも届きました。生き残ったのは音吉、久吉、岩吉の3人となる。そこで3人は、地元の学校に入学し、英語教育を受けることとなりました。

 ハドソン湾会社にとって鎖国している英国と日本との交易のために開国交渉に役立てるという目的のためもあり、3人は1835年6月、3人はイギリス船イーグル号でハワイを経由してロンドンに送られ、ロンドンで1日だけ上陸を許され、市内見物をしました。ロンドンの土を踏んだ初めての日本人となったのです。1837年(天保8)アメリカの商船モリソン号で浦賀に着くが当時の日本はまだ鎖国状態であり砲撃され上陸できす、失意のうちに再びマカオに帰りました。マカオはその当時中国では唯一の外国人の住む地域でした。3人の世話をしてくれたのは、ドイツ生まれの宣教師チャールズ・ギュツラフです。語学に自身のあるギュツラフは3人を助手にして聖書の翻訳に取りかかり、1年がかりで「ヨハネ伝福音書」「ヨハネの手紙」の日本語訳を完成したのです。その後音吉はイギリスに帰化し、イギリスの通訳として1854年(安政元)日英親和条約締結時に通訳として日本との交渉に活躍しました。また音吉はマレー人と結婚し、妻の故郷であるシンガポールへ移住、シンガポールではなんと日本が開国して以来最初のヨーロッパ派遣団の福沢諭吉にも会っています。

 1864年、音吉はジョン・マシュー・オットソンとして、日本人としては初めてイギリスに帰化。その3年後の1867年1月19日、49歳で波乱の一生を終えプキティマ地区のイギリス人墓地に埋葬されました。2004年6月には音吉の埋葬地を発見した新聞紹介記事があります。

 後年(1879、明治12年)長男ジョン・ウィリアム・オットソンが横浜にきて、父の遺言に従って横浜で帰化を申請するがその後の消息は不明である。神戸のいくつかの商会で勤務した形跡があるが、当時の日本にはまだ帰化にかんする法律が未完成であったので帰化が出来なかったものと思われます。

*三吉の物語は下記の小説やビデオ映画、愛知県美浜町のホームページでも紹介されています。

 「海嶺」(上中下) 著者 三浦綾子  「にっぽん音吉漂流記」 著者 春名 徹


 日本ボーイスカウト兵庫連盟は1989年に「兵庫県・ワシントン州姉妹提携25周年・ワシントン州建州100周年」に三吉ゆかりの地、フォートバンクーバー国立公園に日本人としてはじめてアメリカの土を踏んだ3人の漂着水夫、岩吉、久吉、音吉という当時15、16才の少年たちが14ヶ月の漂流に耐え抜いたことが人々に大きな感動と勇気を与えるものであり、この史実を後世に伝えると共に、ボーイスカウトアメリカ連盟シアトル第53隊との交流を記念し、50年後に開封するタイムカプセルとともに顕彰碑を寄贈建立されました。

 今回製作された「宝順丸」模型は三吉らの上陸地フラッタリー岬の近郊にあるマカル博物館(Makah Cultural & Research Center)へ贈られる予定。

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