727年 渤海使01(H0727a)

漂着・入京

神亀4年9月21日(727/10/14)、蝦夷の地に渤海使24名が漂着。大使高仁義(こうじんぎ)。蝦夷に襲われ仁 義ら16名が殺害される。この日、出羽の国に来着。[2]

神亀4年12月20日(728/02/08)、生存した高斉徳ら8名が入京。[2]
神亀4年12月29日(728/02/17)、使者を遣わして、高斉徳らに衣服と冠・はき物を賜った。[2]

神亀5年1月3日(728/02/21)、天皇が大極殿に出御し、親王・諸王・臣下百僚と渤海の使者らが拝賀した。[2]

神亀5年1月17日(728/03/06)、聖武天皇と対面。高斉徳は渤海国王大武芸(だいぶげい)が聖武天皇にあてた上表文とテンの毛皮などを献上した。

帰国

神亀5年2月16日(728/04/03)、従6位下の引田朝臣虫麻呂(ひけたのあそんむしまろ)を、渤海使01を送る使者(遣渤海使01)に定めた。[2]

神亀5年4月16日(728/06/02)、斉徳ら8人にそれぞれ色どりのある絹布や綾・真綿を身分に応じて賜った。そして渤海郡王に書状を賜った。[2]

神亀5年6月5日(728/07/20)、渤海の使節を送って行く使者ら(遣渤海使01)が天皇に拝謁した。
神亀5年6月7日(728/07/22)、 使節(渤海使01)を送って行く船の水主(水夫)以上すべて62人(遣渤海使01)に、身分に応じて位階を授けた。[2]

神亀5(728)年6月以降、渤海使01は天皇から進物を託されて、引田虫麻呂以下62人の送使(遣渤海使01)とともに日本を出発。[2]

遣渤海使01の帰国

天平2年8月29日(730/10/15)、遣渤海使01・正6位上の引田朝臣虫麻呂らが帰朝した。[2]

天平13年12月23日(742/02/02)、外従五位下の引田朝臣虫麻呂(遣渤海使01)を摂津亮(すけ)に任じた。[2]

参考文献

  1. 宇治谷孟, 1988. 全現代語訳 日本書紀 下. 講談社.
  2. 宇治谷孟,1992. 続日本紀(上)全現代語訳. 講談社.
  3. 大林太良編, 1995. 日本の古代3 海をこえての交流. 中央公論社.

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)