石上乙麻呂、土佐へ流される 739年(O0739a)

続日本紀 天平11年3月28日(739/05/10)
石上(いそのかみ)朝臣乙麻呂(おとまろ)は、女官の久米連若売(くめのむらじわくめ)を犯したという罪に関わって、土佐国に配流され、若売も下総国に流された。[1]
続日本紀 天平12年6月15日(740/07/13)
大赦:久米連若売(くめのわらじわくめ)は、流罪地から召して京に入らせた。石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ)は赦の中に入れない。[1]

石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ)、久米連若売(くめのむらじわかめ)という女性との恋愛事件をおこし、天平11(739)年3月、土佐へ流される。若売も下総に流される。乙麻呂は土佐配流中に漢詩集「銜悲藻(かんぴそう)」2巻をあらわしたというが、現在伝わらず、「懐風藻」によってその名を知ることができるだけである。のちゆるされて京に戻り、遣唐使となったが、渡唐は実現しながった。さらに従三位中納言兼中務卿(なかつかさのかみ)になる。天平勝宝2(750)年、没。

参考文献

  1. 宇治谷孟,1992. 続日本紀(上)全現代語訳. 講談社.
  2. 山本大, 1969, 高知県の歴史. 山川出版社.

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